ひとは皆無口で~津軽海峡

浅虫も青森も早朝に通り抜け津軽半島にはいるが何処から津軽で下北かはよくわからん もしこれが歩き旅ならきっとここから違うだろうと漠然と思わせる場所があり
山頭火も山下清も歩く事で成立したと思う。
18000円の年金暮らしには歩き旅は贅沢なのだ。

北海道ではあまり通りに墓は見る事はなく墓の形態も違う。

津軽半島外ヶ浜付近 突然通りに面した処に塀をしてる地域にはいる。

塀 へイ~ヘ~イ~ホ~与作は~

塀 これなどまだいい方 浜で拾って来たような木や板を紐で括ってる処もあった。

サル避けとも思えんが田舎でこれほど塀が続く土地は珍しい
越後や山陰で城かと思うほど立派な塀があるが それは相応な家が建っているし道路ギリギリに建っている処は珍しい
たいした通らん車が突っ込んで来る事を心配してるのか、ここから自分の土地と境を主張してるのか なぜこんなに塀にこだわるのか不思議
津軽の門付と何か関係があるのだろうか
門付けは東北でも日本海側でよく聞き ここ増毛でも門付けがあったらしいと実際に縁戚と言う関係者から聞いた事があり
その人は演歌がやたら上手だった。

津軽弁といっても地域によって色々あるらしいが俺には一緒に聞こえてるし函館なども津軽弁と同じに聞こえる。
この津軽半島も下北半島も北海道から比べると遥かに所得が低いと漁業施設や農村施設を見ても感じ
あらためて北海道はかなり恵まれていると感じる。

が売上とキャッシュフローは連動していないし
さらに人の幸せも銭とは連動していない
何が悲しいと言ってすぐ傍に格差を見せつけられる金満が居たらそれはチョットだと思うし
それは恨みを買い人としての琴線に触れる芯からの付合いを知らずに人生を送る事になるかも知れない
そう考えた時にこの日本海側の近代はニシン漁や北前船交易によって栄はしたが格差は太平洋側や現在の比ではなかったろう。
歌謡曲で演歌は圧倒的に北日本の日本海側が多くそれも海の歌が多く 農作業関係の歌は与作しか知らん
その歌を作る原動力となったのはどうしようもない格差や天候だったのだろう。
救いはあったのだろうかと思う時にこの津軽や下北の人達に関西や東京の下町の人達に見る明るさがないのは仕方のない事なのだろうと思う。

なんの予備知識も無しに吸い寄せられる様に蟹田駅前にオヤジギャグの建物発見
俺は国道はなるべく走らん様にして一本外れた処に町の本当の顔があるような気がしてる。

漁箱に二匹しから入らんほど大きいカワハギは初めて見た これ美味いだよ~

魚が安い
店は観光客用にも見えるが中は普通の店でなんでも売っていて小さな食堂もあるが
一見観光客用に見えるこの手の店で何が違うと言うと次から次と地元客が入って来ては魚や野菜や日用品を買ってゆく 掌より大きいシマダイは一匹60円だった。

コロナで商売の形態は大きく変わっていくだろうと思うが
エラソ~に俺に言わせれば観光施設だろうが地元民にソッポを向かれては成り立たない事を知らしめた。
これからは観光客も地元をチョット覗かせて貰うと言う態度が必要だと思う。
まだ様々なウイルスが出て来るだろう、その度に人を実験台にして 度胸出して、身体張って、経済回せドッタラなどとGOTOトラブルキャンペーンなどやってられなくなる。

海外は一度も行った事はないが観光も大きく分けてアメリカ型とヨーロッパ型がある様な気がする。
アメリカは観光客だけの為に街全体を作ってしまう そこにその町に遊ぶ者とそれを支え寝る時間も働く者を作ってしまう。
漠然と思うヨーロッパ型は歴史の中に居る人達の暮らしを垣間見る観光の様な気がしてならないし
これからはこの容になっていき観光客と言えども地元の人の生活を変えたり踏みにじる事は出来なくなる。
その意識がお互いに生き延びて行く事に繋がっていく

ウエル蟹の魚屋でこの魚食ってみたいが旅なので残念と言うと300円だった思うが忘れた。
別料金で捌いて食べれると言う。

カワハギとアオリイカの刺身 美味い、美味いぞ~
一人で食い切れないと言ったらパックに入れて呉れた。
お代をと言うが全部捌き代に入ってると言う。

何処か目立つ処に書いておけば客も増えるだろうと思ったが
それが津軽なのだと
ひとは皆無口で~津軽海峡~冬景色~

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