共生か寄生


バラバラになった家族をもう一度まとめる為に商売をし始めたが俺が商売をする上でバイブルとして昭和45年からこの本を持っている。
自分で探し選んで買ったとは思えんのだが古書店南陽堂のオヤジに進められたのか忘れた。
オヤジは通りに面した処に座ってこれで商売になるのかと思うほど通る人といつも世間話をしていた。
この本「 道をひらく 」はこれから商売をしようと言う人に中古本を探して贈ったり読んでみれと薦めている。

売る側、買う側と言う時に圧倒的に売る側が強い立場にいる。
そうでない場合は早晩ジエンドになる可能性が強く
それは買う側に比べると資産は少ないかも知れんが売る側は売る物に圧倒的に知識や情報を持っている量が違う。
その知識を駆使する事で修理業は成り立ちメシも食えるし情報は今売るべきか待つべきか設備投資をするべきかを教えて呉れる。
決して買う側と共生ではないのだ。買う側を育て共に育って行くように見えるが
売った物で何らかの利便や利益をえらせてそこに寄生をしてるのだ。
その為にも売る側には強い倫理が求めらる。
この本「 道をひらく 」には実際に例を出しそう書いてあるが現在はその倫理すら儲かりさえすればいい倫理ナンノコッチャと言い売る側が忘れている企業が多い
コロナはそれをもう一度思い起こせと言ってるのだ。

近くの人達の湯治の為にあったはずの観光地は観光だけの為に巨大かし本来の癒しになっていないのではないか
忙しい時や家族のハレの日の特別な食の為の食堂もその重量を支える事が出来ない
北海道など店に入ったら自分一人しかいないと言う店はなんぼでもあり、それでも営業を続けている。
適度を越えてしまった店はいつも資金繰りに陥りやがてトホホになってしまう事は身をもって知っている。

人々の足になればいいと作り始めたポンポンバイクも巨大企業化し世界に羽ばたいてるが札幌を出て石狩から稚内までおよそ300キロ間に修理が出来る処は知る限りでは5軒しかない それも羽幌を超えると150キロ間一軒もない 小さな修理と兼業出来るはずのスタンドもろくにない
なぜそうなったかはメーカーの方針による処も大きい 人より鹿と牛が多い地方に過酷な販売条件を掲示し それをクリア出来ない店には一番困る部品供給をしないなどして締め付ける。
完成車のバイクなどは売れんでも元々爺のションベン程度しか利益がないので大した困らんが一度売ってしまった物をお客さんが維持する為の部品供給が止まる事は
壊れる物を作ったのはメーカーだが一番末端でお客さんに接する売った側の倫理の問題になって責められる。
日本で生産される製品のほとんどを海外で販売する様になったメーカーは誰にここまで育てて貰ったのよ 日本のユーザーではないのかと思う。
なにがメイドインジャパンと思うこの頃なのである。

このままでは海外製の社外部品が出てそれを買って一台出来てしまう日もそう遠くはなく
それは大企業の社長の茶坊主や腰巾着の官僚化で起きてる事で
何が大切かを考えなおす切っ掛けになりそうだと思うのだが

2 thoughts on “共生か寄生

  1. 貴方の文に触発されて「道をひらく」を探し出して読み返してみました。本当にどの章も簡潔で分かりやすくいつ読んでみても心を素直にしてくれます。今わたしは引くも進むもできない状況におりますが今日は特に自信を失ったときにの「一陽来復」に心救われました。ながいか短いかわかりませんがこの書を人生のバイブルにしていこうとおもいました。

  2. いつもコメントありがとうございます。
    商売人以外でこの本を持ってると言う人を初めて知りました。
    一陽来複
    「 塩の辛さは舐めてなめてみてはじめてわかる 」
    この歳になってもほんとそう思うこの頃です。

     

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