半端もんの積丹ブルー

美国で夜通し釣れないオヤジを見ていたらクッソ~忘れていた昔を思い出した。
よど号事件が起きた頃 借金が出来て返す為にそれまで散々世話になった西郊通7丁目6番地の大将の処をナップサック一つ持って後足で砂を掛ける様にして夜逃げし包里で働いた。
そこは田んぼの中に作られたバラック建ての小さな作業所の集まりで
毎日毎日同じ物を作り続けて一個作ると確か20円ほどが貰えた。
主にKE43や45のステアリングギヤボックスを取付ける部分を作った。 8個ほどの部品を溶接で組み立てる作業で作業効率を上げる為に元受けから指導員が来てどちらの足から動かすか身体はどの角度にするかと事細かく決められていた。
ある程度の数が出来ると大江工場に納品に行くのだが孫請けのさらに下で5次下請けか何かわからんほど末端でも納品はそのメーカーの車を乗って行かなければ電車通りから工場の中に入る事は許されなく後は台車に積んで遥か先まで押すか誰かにそのメーカーの車を借りるしかなかった。
それは何処の車メーカーも同じだった。
数物をやると数か月で最初の三倍は製品が作れる様になるが
そうなると一個当たりの単価の値下げを要求されるがそれは度々ありそれでも溶棒代を抜いてもかなりの稼ぎになった。
朝起きると手はパンパンにむくみメシを食う箸も握れないほどだった。
爪も真っ黒に汚れオガ屑に石鹸を混ぜてなんぼ洗っても落ちる事は無く 色気ついていた俺は爪をギリギリまで切り詰めるのだが爪を残して置かなければ部品を爪で起こす時に不便なので一本だけは残していたがやがて諦めて爪を切るのを止めた。
隣の畳み4~5枚の作業所のオヤジは朝から晩まで旋盤前に立ち続けブレーキのアジャスターネジを切っていた。
当時からトヨタで言うジャスト・イン・タイム カンバン方式に近いものはありそれはどれほど末端の枝葉が苦しむかで成立している。
数人しかいない作業所でも納品時間には交通渋滞は起きない 作業員は怪我しない 病気にもならない事を下請けに要求されそれは絶対で、その為に枝葉は作り置きを貯める必要がありそれは自腹だったし
手持ち在庫は変更などしょっちゅうありやがて廃棄になってしまう。
大企業の何かの華々しい改善は日本の中小零細企業99.7%の枝葉が泣く事で成立する事が多い
せめて政治は99.7%の見方であって欲しいと思うのだが

朝の納品に間に合わす為に夜通しで作り続け深夜放送でよくこの曲が流れていた。
やがて耐え切れなくなり18ケ月でそこも逃げ出す事になったが 今度は極め道を歩く人達が大勢居る危険な飯場暮らしに

みな世の中は甘くないと言うが 生まれがどうであろうがどうしてたった一度しか生きないのに甘い事があってもいいだろうと機械油が染みついた手を見る。

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