またまた稚内


またまた稚内に
ここからおよそ160キロ 片道3時間いつまでこの仕事をするのだと思いながら霧雨の中ゆく
小ぶりの雨の中で一時間半作業をして完了 故障修理は事前の下調べと部品調達と二度いかさるので修理工賃より出張料の方が遥かに高いはずなのだが自分売った物は泣く事が多い
帰りは稚内で寝て帰る事に


いつも行くスーパーは閉店していたのでユアーズで食料調達して宗谷岬で車中メシ ご飯は自宅の炊飯器から持ってきた。


海から日の出を見たのは正月に釧路で見て以来


二ヶ月分の生活費で買ったナンチャラ軍ご調達の距離、方位も多少暗くても見える双眼鏡タスコは サハリンの様子がすぐ傍に見える。
双眼鏡は揺れる小さな船で役に立つ事は中々難しく安い物は無駄金になる。


あれ~赤白灯台なのに白の閃光だぞ 
赤と白が交互に光る不動互光か閃互光なはずなのに
なんでだ~と不思議なので戻ってから東京の元航路標識事務所に聞いてみたが明確な答えはなかった。
これなら稚内は浅く暗岩が多いのでうろ覚えでなく北海道航路標識案内本を持って航海しないと危ない


サハリンがはっきり見える。
サハリン残留二世の方が稚内の灯りはサハリンからハッキリ見えると言っていた事を思い出した。
残留一世の方は日本人としての振る舞いを固く守り二世に伝えてゆき
まるで日本の缶詰の様な二世と親交があるが 
一世の人達が今の日本を見たらどう思うかと思うと複雑なものがある。

戦争は経済が密接に絡み起きていくが金のある者や権力のある者はそれを利用していち早く逃げ帰る事が出来たが 
犠牲になるのは全く何も関係ない弱者が一番に犠牲になっていくのは現在も変わらない
この構造は原発も同じで一番電力を使う地域ではなく戦後開拓農地に半数が作られて残りは低所得の地方に作られてゆく

逆にいまコロナは所得の高い地域に集中している。
若かりし頃は夜な夜な飲み歩いた俺が言うのもなんだが 
コロナは所得と享楽を取るのか健康を取るのかと問題を投げかけている。
ある時を境に呑み歩くのを止めたら別に呑みに出んでも良いわいとなった。
元々は男女間の虚構の世界なのだもう水商売は凋落の一歩を急激に進んでゆくだろう。
かつて連日都会の状況をこれほどニュースで見る事はなかっただろう 
命を掛けても繰り出すそれは田舎者から見ると不思議な世界で息子や娘に田舎での暮らしを選択させる切っ掛けになるかも

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