義経伝説

文字を持たないアイヌ人は口伝によって様々な事を伝えて来たが
口伝は伝説を書き換えるには都合がよかっただろうと思う。
義経は奥州衣川で生涯を終えてると言うのに文治5年西暦1189年渡道したと言う。
北海道平取には静御前の墓まであるらしいしが
民話と違い伝説は時の政権の嘘ニュースなのかもょ。
義経伝説を作ってアイヌの人達をたらし込んでの協力を得ながらアイヌからの搾取が無しでは
北海道開拓は出来なかっただろうそれは昭和初期と近代まで続くが
その為に義経がアイヌ伝説として利用されて来たのだと思う。
積丹ブルーの海に沈む夕日が黄金色に輝く時に悲恋の話などはぴったりなのだが
現実に見たモノと手で触ったモノと力しか信じない俺には身も蓋もない話ではあるが

二年前に行った弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民俗資料館 
和人が持ち込んだシントコ 熊10頭と交換が相場だったらしい 
以前はヒグマは一頭100万したが現在は暴落してヒグマ20万としても数百万になる おいおい


美国漁港横で美国川が流れ込んでいる。
 ここにサンキャット7.7双胴船を海底深度測量の為に増毛から回航して来て途中でシケに合いえらい目にあったのが25年前になる。
双胴船は一定の波までは安定してるが大シケになるとハルとハルの間の波は横に逃げる事が無いので腹が叩く為に通常のモノハルよりは衝撃は大きい事を実感した。
当時はGPSは高価だった為にコンパスと山を見ながらの航海だった。
増毛から積丹半島に向かっての回航は大変だったが逆に積丹半島や小樽から増毛に向かって来るのは日方岬を目標にするので楽だったし時間も早かった。
あちこち回航を何度も経験した身として同じ海でも岬を交わすとベタ凪になる為に緊急避難や港の利用に制限を掛け違反した船長には過料5万円が課せられる北海道独自の北海道漁港管理条例には今でも強く反対をしている。
ここでも条例が出来る過程を見て来たが作る側は何の責任もとらんがそれによって海難死する者にとっては100パーセントの不幸となる。
世話になった人が海難に逢う度にもう嫌だ嫌だと思いながらもいまだに海に関わって生きてる。

もう食いたい物もやりたい事も大したない
今年こそ週休3日を実現させようと思ったがコロナがあるのに例年以上に忙しく時間にゆとりがないのだ。
出張修理で地方に出る事が多いが国道の電光掲示板に札幌にはゆくなと書いてある。
コロナは都会と田舎に壁を作ったのだ折角なので今まで都会に流出していたマネーは田舎で使ちゃいましょう。
地元の物を食って車はもう一年余分に使いましょう。

2 thoughts on “義経伝説

  1. 忙しいと言いつつも自由気儘な時間を満喫できているようですね。修理の要請があるということは素晴らしいことで貴方の技術を評価されているということですね。機械修理という緻密さが要求される中で自分というものを失わずに過ごしていることに感心するばかりです。それにしても博学ですね。知識に加えて感覚も磨けば物事の真価に近づくと言われますが貴方はそれを地で行っているような気がします。健闘を祈ります。

  2. ふうこさん おはようございます。
    博学とは思いません、気になる事や不思議な事は調べるのが修理工の性ですから それに俺は独り身なので普通の人の10分の一も物事を考える必要がありません 
    普通なら子供の事や連れ合いの事やで様々な事を考えないといけません 
    それは従業員が5人居たら5人分の家族も含めた苦労があるのと一緒です。
    一人がカツアゲして来たら謝りに行き 一人が喧嘩こいてこえば火星に行きと
    俺はタコを見る度にコイツはロケットの故障で火星に帰りそこね重力に耐える為に海で暮らしてるのだと思うのです。
    お前らも纏めて海に掘り込んでやろうかとなんぼ思った事か
    それが一人になって身体も心も暇なのです。

    昨日の早朝に人の気配がしてるので外を見たら可愛いネエチャンと足の短いゴツイ野郎が突っ立っていました。
    3時に起きてわざわざここまで初めて出来ただろう彼女を見せに来たのです。ここに来たらホタテでもなんでも腹一杯食えると

    少しづれた野郎ですが働き者のいい奴です。

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