ロクデナシ義経 2

積丹半島神威岬を出帆してものの八海里もいかんで積丹半島入舸で難破してしまったアンポンタンな義経主従
そこで怪我をした義経を看病したのが入舸の酋長の娘シララ姫だがそれもまた二人の子供まで作ったのに、またまた袖にした為にシララ姫は積丹ブルーに呑まれてしまい女郎子岩となりました。


この高さ170センチほどのトンネルを歩いて抜けると。

島武意海岸 左にゆくとシララ姫の女郎子岩 


下に降りる遊歩道があるが靴に替えてこなかったので少し躊躇したが夕暮れまで戻れそうなので雪駄で降りて見る。


降りる途中で息のあがった二人の若者とすれ違う、俺の雪駄を見たのかここを降りるのは大変ですと言って呉れた。 下から上を見る。 


後でプリン体を食いながら聞くには昔のニシン番屋だったらしい銘板には大正六年、石工 中村栄一郎とあるあとは読めん


ハングルのポリタンク


不思議なボンベがあった。プロパンではない充填口がある処を見るとアセチレンなのか 
147kgf/cm2まで充填する工業用酸素瓶(注意医療用ではない)ならシームレス一体構造になってるはずなのに
なっていないしかと言って口金は酸素瓶のフランス式になっている。
酸素瓶の口金にはドイツ式とフランス式があり吹管も両方あるが日本では愛知県を境に東はドイツ式で関東方式と呼び西はフランス式で関西方式と呼ばれていてこれは電気のサイクルが違うのと同じで
県をまたぐ工事現場に行く時は確認をしないと現場がストップしたりと少々困る事になってしまう。

愛知県を中心に西は和歌山県、東は静岡県と各地の工事現場を夜具を布団袋に詰め込んでガス器具や工具を持たされて飯場を渡り歩いたがこのボンベは知る限りでは何とも判断が付かない
きっとかの国の船が難破して流れ着いたのだろう使っていた者達は海の藻屑と消えていったのだろう。
昭和40年代の荒くれ飯場に送り込まれた修理工は次の交代要員が来るまでに現場の労務者と渡りあって行かなければならなかった。
当時はトンネル工事も切り通しも火薬を使いドッカン~と爆破が主流で労務者の賃金は支保工を何本立てたかで決まっていた為に手が遅い者には容赦ない言葉が投げつけられ
その荒くれ労務者を相手にする修理工の給料は破格だったが機械以下の扱いだった。
飯場から遥か眼下に見える街の明かりに早く帰りたい交代要員は来ないのかと思い続けた日々だった。
日本国内ですらそうだったのだ、
有志で銭を集い海外の傭兵を使い一旦海外に出国させるなど手段は無かったのかと横田さんのニュースを見た。


トンネル出口にあった店でプリン体三銃士を食う。 

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