寿都弁慶


朝一に寿都漁港到着 
ガビ~ン 生シラス丼の寿都漁組直売所は火曜日は定休日 月曜日に出遅れたのが祟った。


道の駅、みなとま~れ寿都裏口
さらにシラス漁は前々日で終了だったので生シラス丼はなんぼ待っても食えないぞと傍のオヤジが教えて呉れた。
グーグル先生で下調べをしてから出ればいいのだが俺の一人旅には誰かわからん奴の筋書き通りに歩く事になってしまうのでグーグル先生は邪魔なのだ。

寿都は夜来てその辺で呑むのは面白そうな場所だが夜までは待てない
何処かで二度寝して次の目的地に向かう事にした。


岬に立つ弁慶 
文治5年奥州衣川から逃げて来た義経主従がこの地に立ち寄ったらしい
その際に弁慶はアイヌの人達と相撲を取ったと言う場所が数百メートル南にもある。

弁慶の土俵

増毛町別刈にも義経が隠れ住んだと言う洞窟があるが実際には海なので人が住める処ではない
知る所では北限の義経だろうと思うが
いったいいつ頃からこの義経伝説が普及したのかが面白い
文治5年は西暦1189年 源氏の時代が始まったのだろうが
日本には西暦と元号と使う事はないが皇紀があり今年は皇紀2680年になる。
いまさら目くじら立てないが海外でもキリスト生誕が元年になる。
西暦や元号や皇紀と言っても時の政権に都合よく作られる。
 ま~そんなものなのだ 
だが!昭和、平成、令和、と変わると困った問題が起きたりする。
メーカーの製造番号がその元号の年を表してる場合があり06101234は頭が捨字で昭和61年01月で次が実際の製造された番号になった場合は これは西暦2006年なのか平成06年なのかと混同するなど混乱が起きて
時の経営者が右寄りで昭和も自分の命も永遠に続くと思った経営者の大きな勘違で部品発注ミスが起きるなど、どぇりゃ~迷惑なのだ。

義経とアイヌの話は全道各地であり日本は奥州にもアイヌが実在したのは確実で東北各地にアイヌ語でよく使われるホロ、ナイ、ベツなどが付く地名があり
アイヌは津軽海峡を渡っていないなどと考える 一国一民族などと言う政治家や連中の脳味噌は狂っている。
弁慶はアイヌだったとしても何も不思議ではないし 北海道と義経伝説を思う時にそう思った方がスッキリするのだが


弁慶岬突端 さもありなん


寿都美谷の小さな港で直接買ったプリン体が滅茶苦茶美味い
このカキを買った漁師のオヤジの水槽に60センチほどのサメが泳いでいた。
番人と言うか番サメと言うのか寝たらイカンぞう~眼はサメたか~

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