山河

俺の人生は少学校に行っても言葉が遅く上手に発音が出来ず喋れなかった為かガキの頃から常に喧嘩腰で物事を斜に見てる。
原野二線の家はそこらのバス停程度の大きさで朝には隙間風で布団に雪が掛かっているほどの家だった。
親には学校に行かない事を多少咎められたが さほど怒られる事はなかった。
朝起きると留萌川のそばに家があった処から北に留萌川を渡り時計代わりにしていた汽車の線路を渡り
近道をする為に小さな川沿いに進むと小さな集落があり山菜の宝庫だった。 フキノトウがありイタドリがあり笹があった、イタドリとフキノトウは自分で食う為に摘んで袋に入れ笹は形の良い物を100枚を一束にして川で洗い 留萌駅前に沢山あった、お菓子屋に売りに行ってわずかな現金を稼いだ。
その小屋も近所の火事からついでに燃えてしまい焼け跡には越冬用のジャガイモがわずかに残っていた。

もうここに居てもと漠然と思い津軽海峡を渡り大都会に中学は途中でやめた。
山河で鍛えたガタイだけは良かったので何処に行っても常に喧嘩腰で物事を裏からも表からも見て来た。


オリンピック前年に津軽海峡を越えて最初に降り立った駅 裏は中村署 義理も恩もすべて捨てて ここからまた旅立ち
そんな中でもいつかは川を越えて線路を越えてあの小さな集落に戻ってみたいと思い続けて来てた。
いまは小さな鳥居も無くなったが記憶の戻る場所があった事に感謝している。
もし記憶が戻る場所がなかったなら今はない
土と水があればどんなに困っても生きてはいけるとコロナは言っている。

俺の憧れは十数年前に望来のお多福で見た。
ちょっと知恵遅れと思われるカップルが小上がりでお互いに
「 美味しいね 美味しいね 」
と言いながら澄んだ目で食べてるその姿の様なそんな者になりたい。
いまさら無理か

2 thoughts on “山河

  1. 人を頼らず自分の力で生きていくという心構えが幼いころから培われていたことに感心しました。誰でも記憶の場所はあるはずで、普段は忘れているのが現実のような気がします。私も幼い日に駅に降り立ってから一変した日々をしみじみと思いだし、今日あることを感謝しなければと思わせてくれる一文です。〈拍手〉

  2. こんばんわ 
    ここには丁度いい空間と海と山もあり 食うに困らんと思う気持ちからか
    ここに住んでから特に感謝と思う様になりました。
    ここの前の道路を時折色々な人が空き缶やゴミを拾って歩いていますが
    日曜日早朝に見掛けたのでコーヒーを差し入れする為に追い掛けていったら
    麦わら帽子の町長だった。
    賄賂になったらイカンと思い引っ込め掛かったが 
    貰ってくれました。 

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