出戻り三分


上ノ国

随分長生きしたが思い越せば恥ずかしい事ばかりで 多分あと十数年後に振り変えるとブログを書き続けた事がもの凄い恥ずかしい事の一つになっているだろうと思う。
まったく雪も降らず暇なのだ、さらに何処にも行かんし誰もこん うんでつい書いてしまうのだ。
俺が言うのもなんだが
 
眼の前の現象をこれは化学反応で~ドッタラコッタラと言われると、そこで思考が停止してしまうが
世の中はこの手の論法は多い
商売上は記憶にある限りでは一円も不義理はしていないと思うが
不義理する相手は大企業で僅かばかりの銭など痛くも痒くもないかも知れんが 集金に来る相手はこれから未来も沢山ある若い衆なのだ。
商売は売上高で評価され利益は連動すると考えてる連中は多いと思うが
俺が思うには売上高=利益上昇ではない 
ゲームとしての面白さは欠けるが意外と小さい売上は目配りが行き届き無駄がなく利益率は高い
さらに商売上で出逢う人で人生が充実する事もあるがそれは帳簿には載らない

銭の量=幸せの量ではまったくない
確かに売上高があると流動資産は増えるがそれは顧客からの預り金であり
そこから差引いた銭もいつかは社会に戻して行かなければならない銭なのだ。
その辺を勘違いをすると身の丈を超えた物を会社資産として買ってしまい
買う事は出来たが維持は出来ないと言う状態が起きてボデーブローとして効いてくる。
そのいつかは社会に返してゆく資産や銭を返す時が数年に一度来る。
その方法は様々あるだろうが 働く人を守る為に使う事が多い
どうしょうも無い天候に左右される漁師には
今でも出戻り三分と言う言葉あり
それは天候で若い衆の収入が無くなった時に船のエンジンを掛け舫いを解き一度は離岸させすぐ戻る。
そこでシケで出られないと言って出戻って労賃を三分払い若い衆の最低の食い扶持を払い生活を支える。
日雇い常雇い問わず今でいう最低保証になる。

東北震災の時に夜瓦礫の中に一か所だけ灯りが付いていた場所があった。
それはローソンで誰も流されてしまい売上など有ろうはずもない誰も居ない場所にローソンはプレハブで発電機を使い少ない品物を瓦礫で真っ平になった荒れ地に置いていた。

それ以降 俺は商売とは通りに灯りを付け続ける事なのだと悟った。
利益は預かり金でありいずれは何らかの形で還元してゆくものなのだと思う。
補助金を貰う事ばかり考えている乞食経営者ばかりではない
自分の車を叩き売る社長のその姿勢を背中を見た社員は生涯の宝を得たと思う。

さ~もう一回寝るか~二度寝は気持ちいいぞ~

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