12月26日

俺は言葉しゃべるのが遅く8歳くらいでやっと通じる言葉を喋れたので本当は小さい頃から一人で黙々とやる何か物を作る仕事をしたかった。
言葉の遅いぶん短気で手が早かった

いつも食うに困り留萌川の堤防に勝手に作った畑でジャガイモやトウキビを植えたりカボチャやシソを作ったりした。
秋には収穫した物を土に埋めて目印にボッコを立ておき冬に掘り出して食った。そのボッコが吹雪で見えなくなったりしたら泣きながらアチコチ掘り返して探した。
その中でもどうしてガマの葉はあんなに揺れてるのに折れないのかと眺めたり雲は汽車の煙が雲になるのだと思ったりと結構楽しかった。
その間に港に石炭を拾いにと言えば格好いいがカッパライに行ったり 
水道が無かったので今の信号機が付いてる処まで一斗缶で水を汲みに行ったりとあまり学校に行く暇がなかった。
春になるとニコヨンにゆく母親をボロボロの自転車に乗せて日劇の坂で登れなくなる処まで乗せてゆく為に学校は遅刻など普通だった。
原野二線や神居岩の貧乏部落は殆どがそんな生活でそれが変だとは思う事はあまりなかったが
或る日 
冬は水が貴重品なので学校で顔を洗っていた時に女の先生に お前達は家に洗面器も無いのかと言われた。
その時にああそうなのか俺達は貧乏なのかと実感し学校にゆくのを辞めた。
親に怒られるので学校行く振りしながら堤防で畑仕事したり寝て適当な時間に戻ったりしたので字もいまだに書き順がおかしい

大都会名古屋では飛行機も車も沢山作ってるらしいと これこそが俺の新天地とクスぶっていた有楽トンネル界隈の空き瓶拾いから抜け出したが
思惑は大幅に外れてそこからまたナンダラカンダラとなってゆく
旋盤工になりたかったが物を作る仕事が向いていない事がわかったのだ 
最初に造った製品はずっと持ち歩いたが
なぜかもう諦めろと言うように増毛に引越しした時に無くした。

物を作ると言う事はどんな物でも面白くも可笑しくもない真面目でキッチリした性格でなければない 
適当にやると少しづつの誤差が完成した時に足ささりオシャカになってしまうのだ。
ところが人間相手の商売はあまりにもキッチリした性格では駄目なのだ。 
ゆとりと何処かに相手の逃げ道を残してやる事が必要なのだ。
両方全然違う仕事を経験したが 
毎年年の瀬はやはりどこかで自分の手の爪先に油を染みこませ物を作る仕事をしたかったと思う。

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