自己責任

ここに来て2年後にマリーナーが出来た。
その後24年間に最初は隻数も多く 年平均4~5隻の船を曳航した 最初は記録していたが多すぎて面倒臭くなってやめてしまったが
3桁に近い2桁を無償で曳航してきた。
危険な海に遊びで出る事自体が自己責任だと思うのだが 
曳航する為だけに時間当たり80リッターも食う大馬力のエンジンを途中で焼付き今度は225馬力に交換もした。
俺の場合はせっかく曳航して来て一番ムッタシ来るのは当事者以外から出る自己責任論なのだ

現場から近い港でも平均して2時間程度の曳航などは当たり前にあるが 当事者はやっと地面に足を付けたと言う事だけで他の事など
眼中にないのが普通なのだが
野次馬が回りに聞える声で「 皆に心配掛けてツラッとして挨拶もしない 」と言う。
では貴方は心配以外は何をしたのですか 揺れる船から船に飛び移ったのですかと
他人の不幸で何か実際に不利益を被ったのですかと聞きたくなる。
自分は安全な処に身を置いてクッチャベル奴を俺は信じないし そんな奴を沢山見て来た。
実際に経験しない、した事もない窮地を想像出来ないからこそ出て来る言葉も沢山聞いて来た。

初期の携帯電話はバッテリーが長持ちしなく不必要に使う事を止めさせる為と万が一そのまま行方不明になった場合に食糧とさせる為にも残ってるエサが続く限り救助されるまで釣りをさせる。
それを見て
「 人に心配させながらノンビリ釣りしてやがった、」などと言う者もいる。
それは言う者の浅はかさで己のバカさ加減を言ってるのとかわらんのだ。
中には心配したぞと缶コーヒーなどを渡す者もいた。
たった一本の缶コーヒーで相手に対する態度がその人の人格を物語っているが
そんな人はえてして普通の人が多い 
ここでの経験から声の大きい者( 発言力のある者 権威のある者 )をそのまま信じる事はなくなった。
簡単に助けるから懲りずにまたやるのだと言うが
懲りずにまたやるかどうかはそれはやってみないとわからないし一度出たからには二次遭難を防ぐ為にもさっさと簡単に出来るならやるに越した事はない
一概には言えないが助けられる者は連絡が付く間は動かずに待つ事が二次遭難を防ぐ事になる場合が多いし
燃料も体力も消耗するのは動いてる救助側なのだ。

医者が腹切って縫ってる最中に無保険者で金が無いと分かっても縫う手を止める事が無いのと一緒で
自己責任はどんな場合も付きものとは思うが 
相手が誰だろうがどんな事情があろうが助ける事を出来る者がやればよく その事が自分に生かされてゆく
自己責任それは己に言い聞かせる事で他人様に言う事ではない

よく知りもせんで知らん人間のジャッジばかりしてるとそれなりの顔つきにも立姿にもなり臭いとなって表れてゆく

ナミアムダブツ~ 右の頬を叩かれたら~ あら~は偉大なり~


10年前に伊藤和也さんの御両親から頂いた写真

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA