貧乏が世界を救う~


北緯43度仕様なので真冬の底冷えを防ぐ為に下に発泡スチロールを引くが捨てようと思った物があったのでそれを敷き詰めその上にパネコートをタッピング止めにする。
途中でひろゆきが来て呉れていつのものトンネルの幽霊の話ではなく
現物合わせの線はアッチ切るかコッチを切るかで2ミリ違うと言った言葉がやたら印象に残った。
やはりプロは違う同じような長さの場合は移動してる時に持ち手が替わってしまう場合がある事に気付いたのだ。

外壁はアルミ複合材で3×6は途中で繋ぐ為にミリ規格にしたが価格が高かったが素人なのでしょうねや~
その辺で落ちてる物を使いながらやったが最初の予算50.000円を使い切った。
完成前にミニキャブバンを売るしかないかも
しかし~


安保条約の日米地位協定をテレビで見たとうとう首都圏上空に可変チルトのオスプレーが飛ぶらしいが 
それは日本人すべて誰も嫌だと言う事は出来ない 
一つには沖縄は本土人の植民地ではない同じ日本なら沖縄に基地を集中させて それを良しとするなら嫌だと言う事は出来ない

二つ目は明らかにやりた放題の不平等条約をアメリカと結んだ背景には当時の通産省の意見が大きかったのではないかと推測してる。
1956年頃に「 もはや戦後ではない 」と言う流行語が流行り北米に対しての輸出が軌道に乗り始めて景気が良くなり始めた時に1960年当時の首相岸信介が不平等条約の新安保条約を結び日本中が騒然とした。
オースチンやヒルマンミンクスなどの海外からのノックダウン方式で生産された車から自国ですべてを作りコロナや脱兎のごとく走るダットサン310が北米に輸出が始まる時期に重なる。
北米一辺倒の輸出によって景気が上向いた当時の政権は不平等条約を呑む事を経済界から押し付けられる事になったのではないかと推測している。
武士に二言は無いとかナントかアメリカに言った一番の裏方は通産省ではないかと思うのだが
そして いざなぎ景気えと突入してゆくそれと引き換えの不平等条約なのだ。

しかし~無いからこそ楽しい事も沢山あるのだ
そろそろ物は充分に揃った野郎は貧乏を楽しむ時代に入った事を知るべきだと思うのだが
修理工が見てもマスキー法にしてもナンチャラ湖法にしてもアメリカは身勝手な国で元々アメリカンファーストなのだ。
そもそも日本には武士は一割しか居なかったのだ
『 武士に二言は無い 』など誰が言ったのだと平和の為にはホゴにしてしまえ

あんまり根拠はないが生活を一割落とす事によって北米一辺倒の日本は変る事が出来るし世界平和が~と思っている。
かなり恐かった航空機関兵だった修理屋のオヤジに取って置けばいつかは役に立つと教わった。
何か使える物はないか今日も倉庫を漁って見ようと早起きしてしてシマッタ

朝に台所で顔を洗う時に窓をチラッと開けて確認とあ~あでもない、こうでもないと考え貧乏を楽しむのが日課になってる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA