砂川Ⅱ

今週火曜日で砂川有名処のラーメンはほぼ食った。
砂川でラーメンを食うには午前11時から午後2時頃まで再開は夕方と営業時間が少ないので中々大変だったが
この営業時間に関しては美味いラーメンを作ろうと思ったらスープを加熱し続ける事は段々劣化するので一旦休む事は合理性がある。

いまは商売とは待ち続ける事と駅前の姿はむやみやたらに変えるべきではないと考えるに至った俺にとっては一か所とても興味深かったラーメン屋があり 
その姿勢は田舎の小商いの見本になるかも知れないと思った。
砂川駅前にあり小さなその店で食うには暗黙のルールが幾つかあるらしく 常に不機嫌そうな昔は綺麗だったと思う、お姉さまがラーメンを一人で作っていて立待客が数人いるほどだった。  
ラーメンの写真を撮るなど厳禁らしく怒られる 価格表もどこにあるのか 
その昔は綺麗だったと思う、お姉さまは常に不機嫌か言うと そうではなく知合いと思しき人が入って来ると世間話をし始めるのだ。
それも久し振り~などとお互いに言って子供が学校に入ったとか言っている。
このひとは誰か旧知の人が来る事を待ち続けてるのかも知れない 
映画などのワンシーンである居酒屋の女将が待ち続けた客が来ると暖簾を下ろし昔話にこうじるそんな感じなのだ。
その無愛想は流行らなくてもいい日々食ってゆくだけあって誰かを待ち続けていけるなら、いいと考えてるのだろうか
その為に人を雇う事もなく客を待たせる事もいとわないのだろう。
だが誰かに美味いものを食わせたいと頑張ってる結果が望まぬ客が一見さんとして大量に来てしまってるのだと思う。
価格もいつ頃からの価格なのか破格の450円なのだ。

駅から発って行った誰を待ってるのか そしてその人は戻って来たのだろうか


雄信内駅前 竹内商店 酪農と農村地帯の雄信内駅は通勤客は無かっただろうと思うが 
ここから出稼ぎにいったり地元を去ったり 子供達がここの前を通り通学にも通っただろうに通りに明かりを灯し続ける事も たいした儲からんでも続ける事も大事な商いの道なのだ。

みんな蔭から誰かに見守られて育って来たのだ 自分一人で大きくなったと勘違いした結果が各種事件に繋がっているような気がしてならない。  
現在のJR線路も一人で育ったように勘違いしJR北海道も自治体も儲からないなら廃線してしまえと乱暴な考えかただと思う。
何かの方策はないのか唇の薄い薄情者でセコそうなJR社長を思い出した。
本当に方策は無いのか
利益と効率だけで本当にそれでいいのか
 
そんな事を思わせた誰かを待ち続ける砂川駅前ラーメン屋

待ち続けたのは俺ではなかった様だ~

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