老礼苦酢

毎日がクソ熱い 滅多に汗も知恵も出さない俺が黙ってるだけで汗が出て来る。
阿部さんに言われていた原爆写真展を文化センターに見に行く事にして いつものコース
国稀酒造の前を通り越し北日本水産の直売所前を左折と行ったら
文化センターを通り越してしまった。
そもそも文化など程遠い俺には この小さな町だが文化センターがどこにあるかもよく掌握してない
このコースはシンコウ石油に燃料を入れに行くコースなのだ。
ここの途中にここにはどんな人が住んでるのだろうかといつも気になる家がある。
正面は小さな平屋だがきちっと整頓された中になんとも言えない佇まいがあって気になってしょうがない。一度、用も無いが呼び鈴を押して誰が出て来るか陰から見てみたい衝動になる。
増毛にはこんな住んでる人が気になると言うか家が生きてるような
そんな小さな普段の生活がいいなと思う家が沢山ある。

文化センターの展示は24日までだったので見にゆくと言った阿部さんとの約束を守れてよかった。
根性無しなので悲惨な写真は直視出来なかった。下手に見ると夜中に起きれなくなったり夢に出そうなのでサラッと見たが
一番気になった写真がこれ

写真説明では原爆の犠牲になった弟を荼毘にふすこの子 親や親族はどこに居るのだ。
戦争とは誰かれ構わなく均等に犠牲になると思われているが
機械と同じく応力集中が働くと思う。機械も実は弱い部分に破壊力やせん断力が集中し
そこから犠牲になり破懐が始まる。
機械は果てしなく続く強度の強化を防ぐ為に初めから犠牲にする部品を決めて設計される。
それはヒューズという形になったり 交換しやすく安価な部品を犠牲にする。

いまの平和はそういった犠牲の上に成り立っている感謝せねばいかん
この子と背中の子はその後どうなったのか 知ってもどうにもならんが
俺が言うのもなんだが暴力は覚醒剤と同じで どんどんエスカレートしドーパミンとアドレナリンのカクテルが頭の中で騒ぐ。
暴力はどこかで負の連鎖を断ち切らなければならない  
それか理屈抜きで最初から近づかない これが一番楽だと思う。
注射が嫌い病院も薬も嫌いでまったく良かったよかった。

弁天の店に戻ると入り口に文字盤の直径が25センチもありバンドに至っては100センチもありそうな老礼苦酢が誰が置いて行ったのかドデ~と置いてあった。
回りのギザギザがローレックスと思うのだが
電池が切れている。

ここに古い物を展示するようになってから近所の人が色々と古い物を持ってきてくれる。
その中で気にいった物だけを展示するのだが
一定のルールは設けてはいるが、、、、、、、
昨日は綺麗なお姉さん二人連れに ここの展示品がオシャレと言われてしまった。
オシャレな物は何もないと思うのだが
「お~お姉さん こそ~おしゃれで都会のセンスが~」と愛想を売ってしまった。

One thought on “老礼苦酢

  1. いつも拝見しております。
    3年くらい前に一度だけコメントさせていただきました。

    『焼き場に立つ少年』は、それを初めて見た時に、私も心を打たれました。

    死んでしまった弟を焼くための順番を待つ間、悲しみをこらえ唇を噛み締めて直立不動で立っている少年。
    おそらくは彼の両親も死んでしまった。
    だから彼が弟を荼毘に伏さねばならなかったのでしょう。

    幼いながらも、まさに日本男児です。

    今回の管理者様の記事で、久々にこのことを思い出しました。

    日々の暮らしの中で、忘れたくないもの忘れてはいけないものさえも、忘れるではないけれど、思うこともなくなってしまいます。

    どれほど辛い最中であっても、果たさなければならないことは誠実に果たすということを今一度、自らに言い聞かせた次第でございます。

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