網、走る

毎年9月に行っていた網走詣でも今年は終わった。
昨年の水害の影響がやはりあり漁獲は低調と通常の見られる小魚が少なかった。
オホーツク方面は石狩川水系と違い外来種は少なく 多いのは鯉くらいと思う一つにはやはり寒さなのかも 普通に見られるウチダなども漁師さんでも網走湖では一回しか見た事が無いという。

網走湖湖畔の石は軽石がほとんどで水に浮く水が浸みこみ沈むまでの相当の時間が掛かるし舗装していない道路などは軽い為にいつまでももうもうと土埃が舞っている。そこに根性で何世代にも渡って客土をして今の豊かな土地が出来たのだ。

ホタテ養殖発祥の地 
1934年から延々とやって食えるようになったのが1960年代じつに26年掛かっている その後も紆余曲折した。
流氷で半年漁が出来ないオホーツクの漁師は戸が買えない貧乏人ばかりでゴザを戸の代わりにしてると言われていたのが今ではホタテ御殿などと言われる豪邸が軒並み建って居る。
その恩恵は大工から機械屋まで裾野は広がる。

皆は成功の秘訣を一言で聴きたがるが そんな一言で語れるものではないがすぐ目の前に見える人の成功は周辺に暮らす人達に一つの方法と灯りを照らす。
大工の息子豊田佐吉は静岡県湖西の出身で
静岡からはアート商会修理工丁稚の本田宗一郎、
二刀流の山葉 寅楠、大工の鈴木道雄などが世界に羽ばたいた。

地域の誰かの成功は背中を見せる事で地域全体に大きく影響する  現在のオホーツクの繁栄は新谷広治氏と木下虎一郎氏が苦難の末に導いたものなのだろう。
『 成功体験は前に進む力になり失敗体験は横に広がり その人の幅を作る。 』 by俺、
う~ん 渋いぞ~渋いぞ~

俺の場合は何やっても失敗と言う認識が無い!
ので懲りていないのが現在の貧乏暮らし

先週の網走で見掛けた大好物の花咲カニを食ってしまい今回の食費を先食い食い潰したので北見のスーパー見切り品の天ぷらセットと三食うどんで二日間凌いだ。
毎度食う前に写真と思うがカツレているのと雨で外では調理は出来んかったのだ。
ザップン~ピュ~

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