火の昇る東に

しかし流氷の下でどうやって2年から3年の出荷出来るまでの養殖が出来るのか
数年前に比べて現在は稚貝の大量生産も盛んにおこなわれている。
ホタテは自然にあったそうだが自然界では突然全滅に近いほど数が減る事が繰り返され安定的に出荷は出来ないものだったそうだ。
そこに漁師の窮乏を救う為に新谷広治氏と木下虎一郎氏が陸奥湾などで行われていた養殖技術の可能性を流氷のサロマ湖に探る事になったが苦難は次の人に次の人にと受け継がれてゆく
当然回りの人にはアッタラコッタラと言われただろう
銭も出さん手も貸さん奴ほど言う事はメチャクチャなのは今も昔も変わらんと思う。
途中で諦めていたらなら現在もゴザムシロ戸だったかも知れないし日本海側のように廃屋ばかりになっていたかも知れない。

ミンククジラを獲っていた捕鯨船の廃船 波を割って進む為に普通の船と型が全然違う。


北海道を東西に割った時に東の現在の繁栄に対して西のザップンピュ~は格段の差があり
最近は北前船の光と影を感じてしょうがないのだ。
勝手に想像するには東の現在の繁栄は西の和人に対して、
条件の悪い所に悪い所にと追いやられて行っても生き抜きぬいた、
厳しい自然と共に生きた根性の縄文や擦文やオホーツク人やアイヌの人達と何か関係はあるのだろうかなどと推理してるのです。

そんな訳で来週も~36時間をなどと 
燃料代5000円と食費と雑費3000円を来週までに稼がんとイカン~


前回食った花咲カニ 地元のスーパーでつい買ってシマッタ

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