32時間三角

今週は夜の付合いが続き忙しかった。
命も掛かる不始末の責任問題を分散化して少しづつ薄めてわからなくなってしまうと言う 少し考えさせられる事があった。


北海道は大きく分けて13世紀に突如消えたオホーツク文化圏と縄文系アイヌ文化圏がそれぞれの川の流域と海を使い広まってゆく 中でもここは後世まで繁栄をしてゆく
日本で3番目に長い川の流域と4番目に長い川の源流域はわずか10キロほど隔てただけで近い アイヌの人達や縄文人は川を遡り川伝いに交易をしていったが一番盛んに交差したと思われる三叉路は愛別あたりではないかと思うのだが

三叉路はそこには宿場がたち交易が盛んに行われてゆく 
ここの狭い川沿いの土地でハッカ栽培がおこなわれた事も面白が 一つの産業の品物が何処まで運ばれるかは発展するかどうかの大きな要素になってゆき 量があっても運ぶコストは大問題になるがハッカなどは高価な割にガサがないので伐採された木材と共に川を下って行ったのだろうと思う。

ハッカ蒸留設備


映写機


駅兼博物館と思われる建物の二階から街を見る 誰も出逢わなかったが街の手入れもゆき届きすごく理想的な住みやすい街と思った。
今回初めて来たがまた必ず来るだろう。
原木が陸送に代わりやがて材木価格の下落により住民の流失が続いたそうだが 
人が食ってゆく為に必要な富は人材も考え方も含めて地域にどれだけ蓄積されたかでその後に続くかが決まってゆくような気がしてならない
北海道は大きな町と町が繋がっていないで個々がハッキリと分かれているので町が現れたら道を一本外して走るとその町がまた違った面が見えて面白い
折角予約要らずの動く宿キャンピングカーで北海道に来たなら国道だけでは勿体ないと思うのだが


32時間到着 

人間社会には出逢い 生活や一瞬の雑談や暮らしとやがて別れがあるが
昼の商売から夜の商売まで出逢いは出向かえる為に「 おはよう 」「 どうも毎度~ 」なりと誰でもなんとかなってしまう。 
中間も紆余曲折があっても流れてゆくが人間社会では別れが一番大切と思うようになった。
別れをいかに出来るかでその後もその人と続いてゆくことが出来るような気がしてならないのだ。
一瞬の出逢いにキッチリと別れを言えただろうか 
またいつか出逢いましょうと気持ちを伝える事が出来ただろうかと
言葉では到底あらわす事の出来ない お互いの人生の出逢いのわかれ姿を身に付けたいと思うこの頃なのだ。
「 さよなら三角また来て四角 四角は豆腐 豆腐は白い 」と

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