テレビを見て

毎日ニュースを見て今までとは違う違和感を感じてる。
強盗殺人は無期もしくは死刑しかないのに逮捕された若い容疑者がカメラを堂々と見る姿に強烈な違和感を感じる。
犯罪を犯し捕まる多くの者は顔を隠すが、もう出て来る事を諦めてるのか、
この事件は俺がやったと知らせる様にカメラを見る。
この感じは威嚇で食ってるヤクザが出所後もその世界で生きると言うヤクザならわかるが
ごく普通の若者がこの雰囲気を出す時には出所しても悪への道を歩むと宣告してるのか、
やってる事の重大さがわからないのか
さらにやってる事が荒っぽすぎるのだレンタカーを借りたら身元はバレるのは当然で
さらにハンマーを凶器に使う事も通常犯罪とは違う異常さを感じてしまう。
今までの犯罪で刃物はあるがハンマーを使うのはあまり無い、
相手に拷問の様な苦痛を与える凶器になるが中々使われる事はない中で
まったく無抵抗だったであろう90歳の老人を殺害してしまう犯人
死刑もしくは一生出て来る事は出来ないだろう強盗殺人これを実行したら自分の身に起きる事に実感がないのか 学校時代にイジメなどをした延長線なのか
遠隔操作された結果なのか
この遠隔操作をする者は戦争でもドローンで親も子もいる人を殺めてしまってもヒットと奇声を上げるヒトデナシになってしまう。
今回の事件を遠隔操作したと言う人物は初犯で未成年それも18歳以下ではないかと思うのだが

誰かわからん奴にいい風に使われ
この先の人生を詰んでしまい後先をまったく考えないバカとしか言いようのない荒っぽい犯罪はどんな環境で育ち、どんな親に育てられたら
この様な若者が出来るのか子を持つ親の参考の為に
一時のニュースではなく生い立ちから環境まで全容の解明を強く望む
ホームレスの人を騙してコンビニ連れて行くニュースなどもまったく理解に苦しむが
思いやり持てとか以前にそれをやったらどうなると言う想像力がまったく欠如してる。
今が良ければそれで良いと言う これは社会に公平感が無い事も一因にあるのではないだろうか
言い逃れと誤魔化しと嘘八百の代議士達が自分には甘い処遇と寝ていても登院せずとも貰える給料
これからを生きる若者には耐えられない現象として確実に写るのだ。
代議士達政治家に少しは責任をもって貰いたいと思う。


不労所得の株価がドッタラコッタラよりもっと地を這い額に汗する人達が表に出る
NHKプロジェクトXの様な番組を見て励みにしたいと思う人は多いと思う。
我々年代が時代を支えて来たのだ多少の間違えはあっただろうが
多少貧乏でも毎日明るく自信を持って日々暮らさなければ若い者に希望を与えられない

留萌から沼田間3月廃線

3月
新卒がそれまで住んだ町から新たな新天地に向かう時に離れていく息子や娘を見送る時は
駅で見送るのがいいのではないかと
ひとり車窓から見える景色が普段とは違い
人の住む家と家の裏側を通り山河を超えトンネルを抜けて走り
そこには自分が今まで暮らした景色をあらためて見て
ゆっくり過ぎる景色に親や地域の恩や自分がひとりで育ったのでは無い事を知らされ
歩いては戻れない津軽海峡を越え 簡単に戻る事が出来ない事を思い知らされるのだが
子供を千歳空港まで車で送って行き羽田まで1時間チョットで着いてしまってはアッシー代わりの親の恩もヘッタクリも無いのである。

かつては栄えた瀬越の浜を通った増毛~留萌線、7年前に廃止された。
俺の寝てる部屋からNNEの方角に10メーターほど行くと増毛線の線路にはまだレールが残っているが
北海道には廃線になった線路はそこら中にあるが、そこで暮らした人の足跡をまったく見る事が出来ない場所になった処は多い
原野2線にバス停より少し大きい掘っ立て小屋で暮らして居た時は時計が無かったので汽車が通る音を時計代わりにしていて
冬になるとその汽車の始発にはガンガン部隊のおばさん達が大勢乗っていたが、その中に母親と学校もろくに行かずに一緒に姉が乗って稼いで俺達を食わせて呉れた。
その留萌線が3月に廃止になる。
地域を経済だけで見る事はどうなんだろうといつも思ってしまう。
絶対に採算は取れていないだろう博物館や運動場や各種公共施設はどうなんだろうと
飛行機があるのに3割にも満たない乗車率の北海道新幹線など採算などいつ取れるのだと
この広い北海道の汽車路線と言う
莫大な資産を生かせきれないJR経営陣や地方自治体の考えたかに問題があるような気がしてならない
運転手不足を言われて久しいがチッキの活用や駅舎に庁舎や銀行や商業施設を集約させるなど手立てはまだある様に思うのだが

首都圏から地方への拡散など、どの口が言ってるのだと思う。
高齢者は免許返上しましょう汽車の無料乗車券を差し上げます、バスの無料乗車券を差し上げます、タクシー無料券を差し上げます。
へっ! 免許を返した年寄りは多いが汽車もタクシーも今はない 坂の上にあるバスは滅多に来ない

それでもまいっかと思うこの頃なのです。
崖下村では火曜日から続く吹雪で二日間人間を見ていないし人との会話をまったくしていない

超最低バカ野郎のたわごと

駐屯地正門から直線距離にして500メートルもない場所でやや25年商売をやっていた時は商売柄、
数人の新兵を外からもたまには駐屯地の中からも見て来た。
国を守ると言う意思は国民を守る事になるのだが世間もよくわからんうちに超特殊な階級や規則の世界に飛び込んで24時間徹底的に管理され雨降ったから雪が降ったから予定変更など絶対にない
たとえ岩に乗り上げようが上官が行けと言ったら行くのが自衛隊員
自衛官も数いればたまには変わった奴もいるが御法度を自分に厳しく定めている職業なのだ。
付いて行けない者は除隊しても現場で自分で判断をする一般社会に馴染むまで大変な苦労をする事になる。
自衛官は早死にする職業ワースト8に入るくらい過酷な職業で
逆には政治家は長生き!ベスト3位に入る。
ついでにどうでもいいが自営業などは回りを見ても長生きの業種に入ると思う。
言ってみれば人の人生を左右させて自分らの安全を保障させている事になる。

母親は俺を早くに手放す時に色々言ってくれたが
「男に好かれる男になりなさい」と俺に言った。
ひとつ解釈を間違えると全然違う道に入ってるかも知れん危険な言葉だったが
それは男はこうでなければならないと呪文の様に頭に残り
右か左かと何か決める時はその言葉が男として正しいのかと頭をよぎるのだ。
俺は修行僧でもなければ高潔な心の持主でもないので自分への御法度はだいたいこれ位なら守れるだろうと
思う位置から3段ほど下がった処に自分への決め事を御法度をいくつか決めているのだが
そこそこに長い人生でそれすら破る事は何度もあった。


一昨年行った熊野古道 俺は修験者じゃないので数メーター行ってバック

ひとつには酒を断つと決めて7年ほど止めていた時があるが ここで解禁しようと呑み始めた日の事は今でも鮮明に覚えている。
相手の立場になる布施の心を持つ事も男として大切な事のひとつだと教えられてきた。
今になって思えば親不孝はしたが偉大なる母親だった。

その母親に尽くして良くしてくれたのが買ったばかりのレビンに乗って、そのまま戻らん逃げられた嫁さんで
何処にいるか口座番号しか知らんが本当にただただ幸せな人生を送って欲しいと思って幸せを見届けるまで俺は先には再婚はしないと決めている。
だいたいが別れた嫁さんが再婚もせん子供抱えて苦労してるのに野郎が先に再婚してしまい養育費も払わんなど男のする事ではない
慰謝料や養育費など銭は暈だかではなく千円でもきちっと決まった日に送る事自体に意味があり、それは見守っている事を意味し
それが超最低バカ野郎でも男の務めなのだ。

波トタン屋根は一期目は完了 この時期は落下しても下には船もあるし雪もあるのでオッチヌとこまでは行かない
後は雪が溶けたら周辺の物を片付けて次回の冬に再開までしばしばの休憩
忙しかったのが極端に一段落したら気落ちしたのか、何もする気が起きないが
つらつら考えるにはバラックに住む者にとっては亜鉛引き波トタンは素晴らしい発明で貧乏人の味方だと思う。

波トタンと自衛隊と言えば七年前に七飯町で行方不明になった子が七日後に波トタンで出来た自衛隊の既設倉庫で発見されたが
ラッキースリーセブンの幸運の子と凄い根性だと思う将来は・・・かな

下衆の勘繰り 星の数よりメシの数

もし引渡し後で主導権が艦長にあった場合は護衛艦「いなづま」の件は艦全体として見た場合は正しい行いで正しい事故なのだ。

自衛隊員は命令された事には確実に従い自分の判断を入れて
これは行動しないとか報告しないとか個別にする事はやってはいけない
すべては上官の指示に従うのが絶対的な原則なのだ。
その意味で操舵手は正しく 報告したであろう見張り手も正しい行動をしたと思う。
すべては上官である艦長の責任であり 事故は艦長が適任でなかった事になり
選任した上層部の問題になってゆく
護衛艦「あたご」の時は海難審判はあたご側は無罪になったが
問われたのは事故後の行動を問われ それは艦長の資質に問題があるとなって石破防衛大臣が謝罪をしたが
上官や上層部を選ぶ時に人間であれば絶対解決出来ない戦う集団、機械となり人として道を踏み外す事を要求される構造的な問題があり
今回も同じ道を歩んでいると下衆は勘ぐるのだ。

一人の主義主張を元に
いまウクライナでは毎日すべてに親もいれば子もいる人を何人殺したと多ければ多いほどニュースにもなり勲章も貰えるが
それはすべてに上官の命令の元に行われ正しい行為と認識される。
方や日本でも一人の主義主張を元に一般人ではない者を殺した者が起訴をされたが
その違いは紙一重なのだ。
戦争になれば自分の考えなど一切無視をする事を要求され 戦う人間ではなく戦う機械を国民に要求され
アイアンサイトは確実に相手の眉間をぶち破る事をしなければ自分の命はない状況に追いやられる過酷な人達なのだ。

最終的な実質上官の国会議員達が今いう武器を買え与え人員さえ増やせばいいと言う単純なものではありません
民間人はたとえ敵国になろうが九分九厘の断絶はあっても僅かな糸を繋ぐ、
自分の稼業で出来る事をやっていく
いまの何かに国全体が一丸になって向かって行く短絡的な風潮に危険を感じてしまうのだ。

ネエチャンと同伴し雲隠れした議員や一度も国会に出て来ない議員や
言い訳と嘘しか付かない税金泥棒の政治家などゴロゴロいる。
衆議院465人、参議院248人 総数713人
もしこんな人間達が住んでる713人の村や町内会だとしたら
とてもではないが住んでいられないが
明日のメシより今日のメシと自分に都合のいい利益供与をして呉れる者を選ぶ
税金泥棒の政治家に棄権をして白紙委任状を渡す
それを選んでいる国民の側に問題があるのだ。
未来の為に今日のメシを一品抜いて選ぶ事が必要なのだと思うのだが

昨日は旭川の病院に行き帰りに旭川の老舗ラーメン屋 蜂屋でラーメンを初めて食った。
星の数よりメシの数かなと 人様の作ってくれる物は何食っても美味い

下衆の勘繰り 安芸灘の風

石を投げたら海に届く場所に住んで多少なりとも海で食わせて貰ってる俺が勘ぐるのは
護衛艦「いなづま」の件は大変参考になる。
小型船舶の場合は指定海域以外は船長が乗っていたら誰が操船しようが構わないが
すべての責任は船長が取らなければならない
これがいまだに遊覧船会社の社長が逮捕されない理由のひとつになる。
今回は怪我人が居ないので不謹慎ではあるが非常に面白い事故なのである。
ひとつは試運転中の事故であった事
ドックの作業員も乗船していたので主導権は点検修理した造船所側にあったのか引渡した後で護衛艦「いなづま」側にあったのか

それが事故原因にあるような気がしてならない
ひと昔前は公の船を直す場合は油まみれになる油虫側を下に見る傾向があり そのやり取りはここに書く事が出来ない事は沢山あった。
それはその担当責任者次第でムッと来る奴から
銭金でない一生懸命やろうと思わせる責任者と様々で
俺は商売でも取引は会社と付き合ってる気持ちはまったく無く、担当者と付き合ってるといつも思う。

不思議なのはなぜに航路を突然変更したのか
電子機器の塊であろう護衛艦が海底探査のソナー警告に気付かないとは考えられない
今時小さな17フィート程度の中古価格63万8千円消費税抜きのボートでさえ深度センサーは付いていて警告音は出る。
さらにいい物なら前方にソナーが向いていてかなり早めに警告音は出るが船にはブレーキが無く後進するしかない
その為に危険海域は目視が必要になって来る
目視は海の底を見てる訳ではなく山や建物を何時に見たらドッタラコッタラと行動をしなければならないが
左舷、右舷、前方、後方とその何人もいたであろう見張り要員の報告を無視した結果だと思う。

ここからは下衆の勘繰りである。
ドックに入ってた時は主導権はドックの油虫側にあり相手が お上だろうが職人としては意見は通すだろう
修理する油虫側はここ一番とCoCo 壱番激辛カレー並みのプロとして職人の意見は通すだろうと
船を引き渡された艦長は海に出さえせば俺の度胸と腕と立位置を見て見ろとばかりに航路を突如変えたのだろうと
下巣は勘ぐるのである。

艦長がいい処を見せようとして事故を起こす事はある事なのだ。
その筆頭はくしくも宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸で
相手方アメリカ潜水艦グリーンビルには民間人16人が乗船して居て艦長はいい処見せようと急浮上をしたのが原因とされている。
護衛艦あたご漁船清徳丸衝突事件などは
他の大臣なら逃げただろうが当時の石破防衛大臣が遺族宅に向かい謝罪をしている。
他にも色々あるが一度折れた骨は丈夫になると言う それも原因を徹底究明してこそなのだ。

護衛艦などは知らんが商船は座礁させても引き出してそのまま自力航行は出来るが
プロペラが損傷したらそれはタダの鉄の塊になるので小型ボート以外は大概の船はプロペラは守る構造になっているが
民間船ではプロペラまで損傷させる座礁では離礁させても そのまま沈むのは過去に何度もあり下手すればその場で解体などもある。

闘う人はどんな時も平常心で居なければならない商人も含めてケツを見られる様な事をしてはいけません。

公船で何度もムッタシ来た経験から嫌味ではあるが
怪我人が居なかったらしいので迎えが来るまで艦内は暇だろから地元ソング安芸灘の風でも聞いておくれ

忍 

足場を作らずに垂木の間の45センチから身体を出しトタン板に笠釘を1200本打って第一期屋根予定は終わった。
終って気付いた事は右肩が腱板断裂で痛んでいたのがすっかり痛みがない
いいリハビリになったのかも知れん 歳食ったら身体は動かさないと固まる事が理解出来た。

後は新規の仕事は断り春までノンビリ仕事をこなしていけばいいハズなのだが
次から次と仕事は切れずに荷物は送られて来るわで置き場に困ってしまう。
ほんと仕事は始めるより止める時の方が大変で難しい

プーチンは今頃シマッタな~えらい事やってしまったな!と思っているだろう
この21世紀にこんな事が起きるなど想像も出来なかっただろうプーチンの暴走を許してしまえば習近平も暴走する可能性も大きくなるだろう。

一般民衆から大きく逸脱する第2第3のプーチンが出て来ない様に見せしめに西側諸国は援助をし続ける事になるだろうが
プーチンはロシア人を代表してるのだろうか わりと長い事ロシア人と付き合って来たが
ここに来るロシア人は気立てのいい連中が多く争い事を好むようには俺にはそうは思えないのだが
どうと言う事はない プーチンが一言全軍ロシア領まで撤退をすれば終結しロシアにとっては何の利益もない戦争は終り 若者の無駄死も防げると思うのだが
食うに困らん奴が戦争を起こし食うに困る貧乏人の次男坊から順番に戦地に行く構図が出来ていく
このまま継続すると死なないまでも手だの足だのが欠損し、
その戦後保証などに次世代を担う若者が困窮し次の戦争に繋がっていく
第一次世界戦争は1914年に始まり4年後の1918年に終結するが戦後補償に苦しんだドイツによって僅か21年後に第二次世界大戦が始まってる。

どうみても強そうに見えないロシア人
戦争を防ぐには足るを知る事と想像力を養う事が必要だと思うのだが

俺は嫁さんに逃げられる前から使っているロシア語辞典があってそれを使い雑談をするが
辞典にメモをしたり端を折る事をしようとすると、ロシア人はするな紙を挟めと言う
水と土に生きるロシア人は慎ましい きっとそれはウクライナ人も同じだと思う。

テレビを見てると
「 戦争はしてはいけない平和が大事 」と戦争経験者は言うが
「 では平和の為に貴方は何をしたらいいと思いますか 」と取材者記者は聞く事はない
戦争経験者に何したら戦争は減らせるのかぜひ聞いてみたい
夫婦喧嘩が家庭内の戦争だとしたら方法はひとつ 忍、耐えるに尽きる。

植木算は大事

一昨年はこの船がすっぽり隠れるほど雪が積り除雪や雪の移動でエライ目にあったので今シーズンは屋根を掛ける事にし昨年12月10日から屋根を作り始めたが
簡単なポンチ図で積算するのだがなんてコッタ 植木算が抜けて材料の積算が狂ってしまった。
やっぱり学校はきちんといかんとないとユタポンとやらに言ってやりたいょまったく

幅12メーター 奥行6メーター 高さ6メーター クランプ60個、単管18本、垂木52本、波トタンは60枚 風の無い日でなければ作業は出来ないのだが
暮れからほぼ毎日5~10メーターの風が吹いて
物が飛ばされるので一個づつ抱えて上がって作業をしたが ざっと200回以上は上がったり下がったりしてる。
この梯子を登る作業は全体運動になると思うがオランウータンの様な身体になる前に作業は終了しようと思う。

外注作業では冬しか使わないので生きてる間に工事費の元は取れる事は絶対にないので
自分の労賃はタダで見積もって材料費だけでも元を取れたらいいかと自分1人でやる事にして作業開始
途中で八が亡くなって作業は中断したが12月31日ここまでやって年内作業は終了
段取り八分と言うが段取りが終れば後はひたすら身体を動かす やってみると身体を使い何も無い処から物を作る作業は楽しいが
家を作る大工さんは材料を測り切って作り 作った物に隙間がないのだ、それひとつとっても凄いなとつくづく思う。

昭和40年代マイカーブームーを境に修理工の作業方法が変わって自分で部品を測ったり手を加えて加工する事は返品出来なくなる為に禁じられ合わない物は返品交換をする事が基本になって
さらに修理工が5人いたら1人1人は10分考えていたら全体で50分の時間ロスが起きる為にチーフが1人で原因究明から作業工程まで考え手取り足取りと作業指示を出す方法が取られる様になった年代でもあって
それが言われなければ何も出来ない部品交換屋の修理工を生んで来た。
ただこれも場数を踏むとその中にも面白さを見つける事があり
その一番は壊れて困ってる人を銭を貰って助け「 ありがとう 」と言って貰える日々が楽しい


強風が続いた日は自分の車をアチコチ直した。
屋根に張ったソーラーパネルに左右横に2枚張って追加したので屋根に雪が積っても発電がする様になったが
バラす事を考えないで作ったのでたったこれだけの作業に二日掛かってしまった。
しかし北海道に雪が降る事を忘れて屋根にソーラーパネルを張ってしまうバカさ加減にムッタシ
何かに夢中になってしまうと回りが見えなくなる性格は変わらん

昨年の夏ころからエンジンが温まると音が変わる事が増えた
なんかラッシュアジャースターの音の様な気がするのだが
DOHCなのでそれは無いと思うのだが オイルはワコーズのリッター2000円もするオイルをフィルターと一緒に5000キロ毎に交換してるのだが
軽はオイル量が少ない為に油温が上がる傾向にあるので

オイルクーラーを付けて見た
風が直にあたる正面に付ける為にはオイルホースが1.5メーターになり行き帰りで3メーターになってしまう。
オイル油圧低下が心配で横に付けてあとは風取り込みルーバーを取付けて見ようと思う。
これでも今の季節で油温は85度まで上昇するので夏になったらやはり相当な油温になるだろうと思う。
やはり音の原因は油温上昇で油膜が切れるのかと思うのだが結果は夏までお預け

スーパーキャリーを新車で買って箱を乗せてバンに構造変更し車検を取ってサブバッテリー回路やFFストーブなど今更思うのは総額250万をゆうに超えてしまった。
最近はこれならダイハツグランマックスが買えたと思い始めたが
楽しんだのでま~いっかと
もう事故を起こしたら名前を言われるより先に年齢を言われる年代になったので
これを最後の車にしようと思ってるのだが・・・・・・・

新しい年

何年振りかで年の瀬も年明けもここで過ごした、
いつもは暮れから道南か青森に行くのだが天候が悪く何処にも行かずにノンビリ過ごしたが
最近はなんでもカレーに入れて食うと美味い事を発見して何でも一緒に煮て食ってる。
右肩が痛いので肩つながりで鶏の手羽元を唐揚げにしてカレーで煮て食ったが骨をかじって元々弱っていた歯が欠けてシマッタ
兄弟は欠けるわ 歯は欠けるわで中々な年末だった。
しかし実の兄弟と言っても一緒に暮らしたのは10年そこそこで仕事仲間とたいした変わらん
世の中には兄弟分と言う兄弟関係もあるが こちらは分と言うだけあって上下や関係性をなど分をわきまえる事を常とするが~
実の兄弟となると遠慮がない分、一旦こじれるとトコトン行ってしまうのも兄弟なのかと
俺は次男坊で八は三男坊で性格はまったく違う
俺は思慮とか思案するなどと言うのはほぼ無い 走ってから考える口で後先になり失敗も多い
その点、八は考えて考えて石橋を叩いて渡る口で叩いて壊すタイプ
考えてる姿はハシビロコウの様でここに来てからはハシビロコウの八と呼んでいた。
それでも実の兄弟となると遠慮がない 困った事は何でも言って来る。
風呂に行った時 ホームセンター並みにデカイ駐車場にお客もまばらで数台しか止まっていない駐車場に
40年以上もダンプに乗ってバックで砂利を積みバックで砂利を降ろすを稼業としたせいか
わざわざ狭い車の間にバックで入って浜風で煽られてドアをブツけてしまい
大の男の大人がアニキ~と泣きの電話を寄越す。
俺は歩いても狭い処には止める事はないが
わざわざ狭い処に入って事故は悪いのは一目瞭然で話し合いの余地などまったく無い
大の男は自分で保険を使うなり100ゼロで処理しなければならい案件なのだ
そこにノコノコ出掛ける事は当人の大人としての顔を潰す事になるし、もし相手方がしもに付く知合いだったら
抜き差しならない状態になりかねない事もある。
ここが実の兄弟と兄弟分の違いなのかとつくづく思ったが


魚箱からはみ出すデカイ魚
左ヒラメ、右カレイ さ~どっち下にあるのはカジカ年の瀬に貰った。

これが夫婦や男女間だったら話は全然違う
たとえ小さなかすり傷でもすぐ吹っ飛んで行って車のかすり傷より
「 お~お~身体は大丈夫か~ 」などと言っておかないと晩飯の品数が変わってしまうのだ。
ハシビロコウの八は何かに付けて甘えた弟だった。
今になって思えば一緒に暮らす時が短かっただけにハシビロコウ八はここに居た3年間は夢を見ていたのだと今更ながら知った、
もっともっと沢山話をしておけばよかったと、 あとの祭り
歳食ったら相手の性格は変わらん夫婦兄弟隣人なんでも理不尽かなと思っても何でもいいから優しくして沢山沢山話をしてやるのが誰の為でもない自分の為にいいかなと思った新年

普通にメシさえ食えればOK

今日一日で一年の区切りが終る。
たんなる区切りとは思うのだがこの年末になると
何処かに不義理はしてないかやり残した事はないかと歩くのもおぼつかないほど疲れる。
本当は機械物を作る仕事をしたくて一時期やった事があるが
乱暴で整理整頓が出来ない俺には無理と諦め
人様の作り組立てた機械を分解して元通りにする修理工になった。
それでも失敗を沢山して来たが助けて貰ったりお目こぼしで半世紀以上を好きな機械を触って来られたが
趣味なのか仕事なのか今になっても人の仕事を見ると勝てね~なと思う。


ほぼ進歩なしで半世紀もボアアップで凌いだGMのブロック

滅多に行かない銀行に行くとネエチャンにニーサーとやらをしないかと進められる。
西効通り7丁目6番地で修理工の丁稚に入ったが周辺の町工場の戦後日本の物つくりを支えて来た、オヤジや大将が
夕方になると今日はあ~だった、こ~だったとアチコチの町工場から通りに出て夕涼みがてら路上にチョークで説明書きをしていた。
皆は「 そりゃ~こうすりゃ~いいだに~ 」と異業種炉端会議が始まる
その姿がいい物を生み出し作り続けて来たのだ。
町工場の創業者だから銭金を超え時間が掛かっても採算度外視していい物を作る、いい仕事をすると夢に向かって進んで行く事が出来たのではないだろうか


トヨタ自動車博物館所蔵 ミズノオート三輪

最近は3輪と言えばトライクが流行ってるが先駆けも先駆けの
大正から昭和初期に作られた画期的な水冷前輪駆動 ミズノオート三輪
いい物を作るには時間が掛かり現在の様に日々の株価で会社の価値を見る状態では
長い目で見る必要があり、いい物を作る挑戦は中々難しい
そんな訳でネエチャンの誘惑に負けずに株やニーサなど不労所得には一切手を出さないでメシが食えて年末を迎えた事は良かった。

実弟の八がコロナの合併症とかで午前中は何でもなかったが今月14日
その日のうちにあっと言う間にジ、エンドになってしまった。
思えば兄貴兄貴と良くも悪くもいつも言って来た一番仲のいい八だったが
40数年振りに内地から北海道に戻って来た浦島太郎は3年前にここ崖下村に居を構えたが
田舎者は都会に行ってもなんとかなるが都会者は田舎で暮らす事は難しいと思った。
まず風で飛んだらいかん物を縛る紐を扱える 物に適した釘を真っすぐ打つ そんな簡単な事すら銭さえ出せばやって呉れる都会とは違い田舎はすべて自分の手と身体を使う事が出来ないとない
そんな浦島太郎を温かく向かい入れて呉れた
この北海道でもうすら寂れた西海岸の寒村と言っていいここの崖下村や町に感謝感謝しかない
俺もここに来て30年になったが田舎で快適に住むには
そこに住んだら自分にとって何があるかと考える前に、
その地域に何をお返し出来るかを考えるのが先に来ないと快適な田舎生活は出来ない
爺婆の毎度同じ話を聞いてやるだけでも充分で
大工っけの有る者は戸板を直し修理屋は戸車に油を差し
手間返しをし続け
「 すまんな~ 」
「 なんもだ~ 」
これで田舎の普通の年の瀬が一年が過ぎてゆき
普通である事がありがたいと思う一年だった。

追伸

留萌でイカが大量に獲れていた時には朝に入港するイカ船の
イカ箱を手渡しでする荷下ろしを手伝うとひと箱が貰えた。
次々と入港して来るので数箱はすぐに溜まり
大人の中に混じり小学生や中学生の子供達が数人いて
その子達はイカ箱を南岸の公衆電話の傍に積んで格安で立売をしていた。
今日その中の子の一人の子が立派に家族を持ってやっていると消息がわかり
逢った事はないが聡明そうな嫁さんと電話で話をした。 こんなに嬉しい事はない

次々と入港するイカ船のどの船頭さんは気前がいいとか漁が上手だとか言って入港する船を素早く見つけて走って行く
お母さんと二人っきりで暮らしていて
言う事も背一杯背伸びして生意気でいつも突っ張っていた子の顔がそのまま甦った。
嬉しいね~

公園の傍の住民は勿体ない事をした将来の喜び嬉しさを自分から芽を摘んだ。