植木算は大事

一昨年はこの船がすっぽり隠れるほど雪が積り除雪や雪の移動でエライ目にあったので今シーズンは屋根を掛ける事にし昨年12月10日から屋根を作り始めたが
簡単なポンチ図で積算するのだがなんてコッタ 植木算が抜けて材料の積算が狂ってしまった。
やっぱり学校はきちんといかんとないとユタポンとやらに言ってやりたいょまったく

幅12メーター 奥行6メーター 高さ6メーター クランプ60個、単管18本、垂木52本、波トタンは60枚 風の無い日でなければ作業は出来ないのだが
暮れからほぼ毎日5~10メーターの風が吹いて
物が飛ばされるので一個づつ抱えて上がって作業をしたが ざっと200回以上は上がったり下がったりしてる。
この梯子を登る作業は全体運動になると思うがオランウータンの様な身体になる前に作業は終了しようと思う。

外注作業では冬しか使わないので生きてる間に工事費の元は取れる事は絶対にないので
自分の労賃はタダで見積もって材料費だけでも元を取れたらいいかと自分1人でやる事にして作業開始
途中で八が亡くなって作業は中断したが12月31日ここまでやって年内作業は終了
段取り八分と言うが段取りが終れば後はひたすら身体を動かす やってみると身体を使い何も無い処から物を作る作業は楽しいが
家を作る大工さんは材料を測り切って作り 作った物に隙間がないのだ、それひとつとっても凄いなとつくづく思う。

昭和40年代マイカーブームーを境に修理工の作業方法が変わって自分で部品を測ったり手を加えて加工する事は返品出来なくなる為に禁じられ合わない物は返品交換をする事が基本になって
さらに修理工が5人いたら1人1人は10分考えていたら全体で50分の時間ロスが起きる為にチーフが1人で原因究明から作業工程まで考え手取り足取りと作業指示を出す方法が取られる様になった年代でもあって
それが言われなければ何も出来ない部品交換屋の修理工を生んで来た。
ただこれも場数を踏むとその中にも面白さを見つける事があり
その一番は壊れて困ってる人を銭を貰って助け「 ありがとう 」と言って貰える日々が楽しい


強風が続いた日は自分の車をアチコチ直した。
屋根に張ったソーラーパネルに左右横に2枚張って追加したので屋根に雪が積っても発電がする様になったが
バラす事を考えないで作ったのでたったこれだけの作業に二日掛かってしまった。
しかし北海道に雪が降る事を忘れて屋根にソーラーパネルを張ってしまうバカさ加減にムッタシ
何かに夢中になってしまうと回りが見えなくなる性格は変わらん

昨年の夏ころからエンジンが温まると音が変わる事が増えた
なんかラッシュアジャースターの音の様な気がするのだが
DOHCなのでそれは無いと思うのだが オイルはワコーズのリッター2000円もするオイルをフィルターと一緒に5000キロ毎に交換してるのだが
軽はオイル量が少ない為に油温が上がる傾向にあるので

オイルクーラーを付けて見た
風が直にあたる正面に付ける為にはオイルホースが1.5メーターになり行き帰りで3メーターになってしまう。
オイル油圧低下が心配で横に付けてあとは風取り込みルーバーを取付けて見ようと思う。
これでも今の季節で油温は85度まで上昇するので夏になったらやはり相当な油温になるだろうと思う。
やはり音の原因は油温上昇で油膜が切れるのかと思うのだが結果は夏までお預け

スーパーキャリーを新車で買って箱を乗せてバンに構造変更し車検を取ってサブバッテリー回路やFFストーブなど今更思うのは総額250万をゆうに超えてしまった。
最近はこれならダイハツグランマックスが買えたと思い始めたが
楽しんだのでま~いっかと
もう事故を起こしたら名前を言われるより先に年齢を言われる年代になったので
これを最後の車にしようと思ってるのだが・・・・・・・

新しい年

何年振りかで年の瀬も年明けもここで過ごした、
いつもは暮れから道南か青森に行くのだが天候が悪く何処にも行かずにノンビリ過ごしたが
最近はなんでもカレーに入れて食うと美味い事を発見して何でも一緒に煮て食ってる。
右肩が痛いので肩つながりで鶏の手羽元を唐揚げにしてカレーで煮て食ったが骨をかじって元々弱っていた歯が欠けてシマッタ
兄弟は欠けるわ 歯は欠けるわで中々な年末だった。
しかし実の兄弟と言っても一緒に暮らしたのは10年そこそこで仕事仲間とたいした変わらん
世の中には兄弟分と言う兄弟関係もあるが こちらは分と言うだけあって上下や関係性をなど分をわきまえる事を常とするが~
実の兄弟となると遠慮がない分、一旦こじれるとトコトン行ってしまうのも兄弟なのかと
俺は次男坊で八は三男坊で性格はまったく違う
俺は思慮とか思案するなどと言うのはほぼ無い 走ってから考える口で後先になり失敗も多い
その点、八は考えて考えて石橋を叩いて渡る口で叩いて壊すタイプ
考えてる姿はハシビロコウの様でここに来てからはハシビロコウの八と呼んでいた。
それでも実の兄弟となると遠慮がない 困った事は何でも言って来る。
風呂に行った時 ホームセンター並みにデカイ駐車場にお客もまばらで数台しか止まっていない駐車場に
40年以上もダンプに乗ってバックで砂利を積みバックで砂利を降ろすを稼業としたせいか
わざわざ狭い車の間にバックで入って浜風で煽られてドアをブツけてしまい
大の男の大人がアニキ~と泣きの電話を寄越す。
俺は歩いても狭い処には止める事はないが
わざわざ狭い処に入って事故は悪いのは一目瞭然で話し合いの余地などまったく無い
大の男は自分で保険を使うなり100ゼロで処理しなければならい案件なのだ
そこにノコノコ出掛ける事は当人の大人としての顔を潰す事になるし、もし相手方がしもに付く知合いだったら
抜き差しならない状態になりかねない事もある。
ここが実の兄弟と兄弟分の違いなのかとつくづく思ったが


魚箱からはみ出すデカイ魚
左ヒラメ、右カレイ さ~どっち下にあるのはカジカ年の瀬に貰った。

これが夫婦や男女間だったら話は全然違う
たとえ小さなかすり傷でもすぐ吹っ飛んで行って車のかすり傷より
「 お~お~身体は大丈夫か~ 」などと言っておかないと晩飯の品数が変わってしまうのだ。
ハシビロコウの八は何かに付けて甘えた弟だった。
今になって思えば一緒に暮らす時が短かっただけにハシビロコウ八はここに居た3年間は夢を見ていたのだと今更ながら知った、
もっともっと沢山話をしておけばよかったと、 あとの祭り
歳食ったら相手の性格は変わらん夫婦兄弟隣人なんでも理不尽かなと思っても何でもいいから優しくして沢山沢山話をしてやるのが誰の為でもない自分の為にいいかなと思った新年

普通にメシさえ食えればOK

今日一日で一年の区切りが終る。
たんなる区切りとは思うのだがこの年末になると
何処かに不義理はしてないかやり残した事はないかと歩くのもおぼつかないほど疲れる。
本当は機械物を作る仕事をしたくて一時期やった事があるが
乱暴で整理整頓が出来ない俺には無理と諦め
人様の作り組立てた機械を分解して元通りにする修理工になった。
それでも失敗を沢山して来たが助けて貰ったりお目こぼしで半世紀以上を好きな機械を触って来られたが
趣味なのか仕事なのか今になっても人の仕事を見ると勝てね~なと思う。


ほぼ進歩なしで半世紀もボアアップで凌いだGMのブロック

滅多に行かない銀行に行くとネエチャンにニーサーとやらをしないかと進められる。
西効通り7丁目6番地で修理工の丁稚に入ったが周辺の町工場の戦後日本の物つくりを支えて来た、オヤジや大将が
夕方になると今日はあ~だった、こ~だったとアチコチの町工場から通りに出て夕涼みがてら路上にチョークで説明書きをしていた。
皆は「 そりゃ~こうすりゃ~いいだに~ 」と異業種炉端会議が始まる
その姿がいい物を生み出し作り続けて来たのだ。
町工場の創業者だから銭金を超え時間が掛かっても採算度外視していい物を作る、いい仕事をすると夢に向かって進んで行く事が出来たのではないだろうか


トヨタ自動車博物館所蔵 ミズノオート三輪

最近は3輪と言えばトライクが流行ってるが先駆けも先駆けの
大正から昭和初期に作られた画期的な水冷前輪駆動 ミズノオート三輪
いい物を作るには時間が掛かり現在の様に日々の株価で会社の価値を見る状態では
長い目で見る必要があり、いい物を作る挑戦は中々難しい
そんな訳でネエチャンの誘惑に負けずに株やニーサなど不労所得には一切手を出さないでメシが食えて年末を迎えた事は良かった。

実弟の八がコロナの合併症とかで午前中は何でもなかったが今月14日
その日のうちにあっと言う間にジ、エンドになってしまった。
思えば兄貴兄貴と良くも悪くもいつも言って来た一番仲のいい八だったが
40数年振りに内地から北海道に戻って来た浦島太郎は3年前にここ崖下村に居を構えたが
田舎者は都会に行ってもなんとかなるが都会者は田舎で暮らす事は難しいと思った。
まず風で飛んだらいかん物を縛る紐を扱える 物に適した釘を真っすぐ打つ そんな簡単な事すら銭さえ出せばやって呉れる都会とは違い田舎はすべて自分の手と身体を使う事が出来ないとない
そんな浦島太郎を温かく向かい入れて呉れた
この北海道でもうすら寂れた西海岸の寒村と言っていいここの崖下村や町に感謝感謝しかない
俺もここに来て30年になったが田舎で快適に住むには
そこに住んだら自分にとって何があるかと考える前に、
その地域に何をお返し出来るかを考えるのが先に来ないと快適な田舎生活は出来ない
爺婆の毎度同じ話を聞いてやるだけでも充分で
大工っけの有る者は戸板を直し修理屋は戸車に油を差し
手間返しをし続け
「 すまんな~ 」
「 なんもだ~ 」
これで田舎の普通の年の瀬が一年が過ぎてゆき
普通である事がありがたいと思う一年だった。

追伸

留萌でイカが大量に獲れていた時には朝に入港するイカ船の
イカ箱を手渡しでする荷下ろしを手伝うとひと箱が貰えた。
次々と入港して来るので数箱はすぐに溜まり
大人の中に混じり小学生や中学生の子供達が数人いて
その子達はイカ箱を南岸の公衆電話の傍に積んで格安で立売をしていた。
今日その中の子の一人の子が立派に家族を持ってやっていると消息がわかり
逢った事はないが聡明そうな嫁さんと電話で話をした。 こんなに嬉しい事はない

次々と入港するイカ船のどの船頭さんは気前がいいとか漁が上手だとか言って入港する船を素早く見つけて走って行く
お母さんと二人っきりで暮らしていて
言う事も背一杯背伸びして生意気でいつも突っ張っていた子の顔がそのまま甦った。
嬉しいね~

公園の傍の住民は勿体ない事をした将来の喜び嬉しさを自分から芽を摘んだ。

シャイアン族に学ぶ

信州の公園の問題は人間は環境に慣れる。

ここは甘エビの産地で正式名称はホッコクアカエビと言い 英名ではアラスカピンクシュリンプと言う、

甘エビと名前を適当に変えただけで美味そうに聞こえるが中身はなんら変わらない
そのエビを獲る為に船団が何時間も掛けて漁場に通う。
船の中はジーゼルエンジン音とシャフト音や波にブチ当る音で凄いのだがその船の中でも慣れると寝る事が出来る。
人間は必ず環境に適応し乗り越えられるそう思わなければ生きてはいけない
今の環境もなんとかなるさと言う楽観視が出来ない者は自を消滅させていく
経験上かなりの問題は時と共になんとかなってゆくのは間違えない。
ならん時もあるがそんな時は一旦引く事も大事な対処方法だと思うのだが
どうにもならん事と闘いを始めるとその問題が小さな物でも気になり過ぎて些細な事まで拾ってしまい自分の中で増幅させて自分自身を壊してしまうのだ。

85歳のプロフェッサーは何でも突き詰めるのが生業かも知れないが
誰が言ったか、知らんけど
『 言うは水に流すがごとし 聞くは石に刻むがごとし 』
18年間も言う方も大変かも知らんが聞かされる立場はその何倍も辛いものがあり
言う方は自分の都合で決められるが聞く方は自分の気分や都合など一切お構え無しで聞かされるので辛さは聞く方が辛いと思うのだが
毎度聞かされたら聞かされる側はそれは騒音とたいした変わらんと思うのだが


上州月夜野町
毎度同じ事を聞かされたら 月夜の晩ばかりでね~ぞと言って見たくなるが
言えないのが聞かされる側の辛さかな・・・・

世の中 すべて自分の都合の良いようにはいきません
子供達に外で遊べと言ってるのは大人達でその遊ぶ場を取られたら何処に行ったらいいのやら
外で四季を感じる事は成長に欠かせない いい迷惑は子供達と思うのだが

85歳のプロフェッサーはこれからサッサと引っ越しせば良かったと思う日々が始まるだろう。
引越ししない訳はなぜに被害者の自分がと言う思いか、
何処に行っても音の種類が変わるだけで同じ問題が起きる可能性を感じたのか
「 すまんな~ 」
「 なんもだ~ 」
「 しゃ~ないべや~ 」
これがないと田舎では暮らせない 解決策は自分の中にしかない

私たちの最初の先生は、
私たちの心だ。 シャイアン族

他山の石

杉田水脈のニュースを見て思うのはこの人は中身に何もない事を自分自身がよくわかっているのだと思う。

プロとして業としてやってると常人では考えられないほどの速さで色々な事が頭の中を駆け巡る。
修理工の基本は起きた現象に対して原因を探り対策を講じて次回は同じ事が起きない様にして一件終了となる。
あくまでも基本だが使用に耐えられない設計なのか、材質なのか、設計を無視した使い方なのか
修理工なら仕事の事で聞いてやるから言ってミソと言われたら1時間や2時間などずっとクッチャベル事は出来る。
その辺に転がってるボルト一本でも
材質は、なぜに頭は6角なのか鍋ビスとは皿ビスとはピッチとは、と説明に1時間くらいならクッチャベル事は出来る。
水田水脈は議員として選ばれなければない立場なら記者団にマイクを向けられたなら宣伝出番が来た待ってました状態になると思うが、
水田水脈が気付いた社会現象に対してなぜそう言う発言になり、社会現象に対して今後の対策はどうするかなどと説明をする場になり
聞いて頂戴になると思うのだが
記者団の質問には毎回逃げ、ホントに掛かってる電話なのか毎度エアー電話で逃げる。
要は発言に対しても水田水脈は何も自分自身の考えや意見など無く
国会に着ていく衣装代を稼ぐ為に人を貶め、あざ笑い続け過激発言を繰り返す事で自分の魂も引いては身内も売り渡しているのだ。
そうなって考えると過激発言で衣装代とメシが当る哀れな人間で哀れな半生だと思うが
それでも自民党の比例順位が当選位置にあると言う事は自民党には必要な買物と言う事になる。

今年は何かと忙しく秋の旅行も等々行く事が出来なくなってしまった。
せめて年末年始は長く休み道南か青森に行ってみたいと思ったのだが
ここに来て重大なミスに気付いた。

最初に作った初代箱にソーラーパネルは横に張り付けたが行く先々で横に貼るのは効率が悪いドッタラコッタラと言われ

今年の3代目の箱はソーラーパネルを天井全面に貼り付けた。
発電量も大幅に増えて、うんうんよっしゃー!となったが
なんてこったここは北海道で屋根に雪が積る事を忘れていた
雪が降った今週はソーラー充電量が冷蔵庫やFF暖房を使うと全然足りない
もう一度バラシて張り替えるかしないと、冬は車中泊は危なくて出来ない事がわかった。
足元に雪がある今年3月に作ったのにまったくアホとしか言いようがない
ただ取柄は水田水脈先生と同じで中々懲りないのだ。

教えてくれ。
わたしは忘れるだろう。
見せてくれ。
わたしはきっと覚えない。
巻き込んでくれ。
わたしは理解するだろう。       ネイティブアメリカン

回転寿司占い

コロナに一度なった者はワクチン接種の副反応は結構あるらしいが早めにワクチン接種5回目をして日曜日から副反応で今回も結構来た。
大体が注射大嫌いどころか恐怖さえ覚える臆病者の俺が5回もブスブスと身体に針を刺すなど考えられない
人間の身体には内圧が掛かっていると思うが
それは黄河を羊の皮に空気を入れて渡ってる人達が居るらしいが羊の皮に針を刺す行為を想像してしまうのだ。
それでもワクチン接種をするのはひとえに昭和40年代頃に歌声喫茶と共に流行ったチェーンメール不幸の手紙の様なコロナ連鎖を断ち切りたいが為なのだ。
田舎に住めば公共性が大事で無視して自分だけがいいとはいかないし面白くない日々を過ごす事になってしまう。


宝引き 長生きの秘訣は適度なデンジャラスとギャンブル 田舎こそ地域を無視して生きる事は難しい

火曜日はやっと副反応が良くなったのでホームセンターに行って来た。
自分の物を買う時は何処で買ってもいいが仕事や設備などは元を取る事が難しい為に
今はネットで調べて現物を確認する為にここから65キロ先にあるホームセンターに現物確認をしに行きさらに戻って
取寄せる事が出来る物は留萌の資材屋さんに注文し配達をして貰うネットは何も安いとは限らないのだ。
ただ田舎なので現物が無く確認が出来ない事が大きい
そんな訳で滝川や砂川は風呂に入りながら頻繁に行くが月曜や火曜日に行く事が多く帰りにメシを食ってと思うが食事の店は月火曜日は休みが多く中々好きには食えない

今はカツ丼が食いたい、なぜかと言うと先月鶴のオヤジにセーコーマートのカツ丼をゴチになり一緒に食ったが誰も来なくなった黄昏た時期だったので人とメシを食うカツ丼がやたら美味く感じたからで
滝川の目当てのカツ丼屋に行ったが休みだった。
仕方ない第二希望の天ぷらを食いに行くがそこも休み この月火曜日は休みの店が多いので諦めて
2年振りに滝川トッピーに行って1人回転寿司を食ったが中はすっかり変わって何やらタブレットで注文なのだがやはり面倒なのだ。
客は俺以外は誰も居なかったのでお姉さんに口頭で注文したが
いつも不思議に思うのは珍しい物は必ず何品か食う
回転寿司は沖縄本島より広い留萌管内に無い事もあり滅多に食わないので価格はあまり気にせず計算もせずに食うが
それでも何処に行っても支払い価格は2500円から2800円内で収まってしまうホント不思議なのだ。
普段暗算で損をするパッとせん頭が無意識で計算してるのか胃袋が計算してるのかなんでだろうと思う。

俺は思うのだが高い物から食うタイプと安い物から食うタイプが居ると思うが
俺は由緒正しい貧乏人なので安い物から食うタイプでイカ耳やホッキ紐が好きなのだ。
ホタテは飽きるほど食ってるので食わない
選ぶ物にも、その人その人で傾向があると思うので
会計はタブレットをレジに持って行くシステムなので折角タブレットを使うなら
回転寿司で占う今日の貴方の運勢などが画面に出たら面白いと思った。
お付き合いしてる相席の方との相性は48パーセントなどと出たら
速攻別れるか運勢を変えるまで食い続ける事もあったりして売り上げ倍増も可能かもなどと1人崖下村に帰る道に思った。

北海道の回転寿司は何処も美味い 頑張れ北海道資本の滝川トッピー

畜生道を考える

旭川や滝川に積雪があってから一週間後にここが雪が積るのだが同時に降って溶ける気配はない
珍しい事なのだ
以前は9月に除雪機やスノーモービルの一括仕入れをしていたので測候所に行って毎年の積雪予報を聞いて調べていた。
その予測はかなりの確立で当たり1センチ降ると1万円儲かると豪語していた時があった。
雪は降水量1ミリが新雪換算にするとおよそ8~10倍になり一晩の降水量が10ミリなら10センチの積雪になる。
それも朝に戸を開けた時点でムッタシ来る一番心理的な積雪は15センチ超えとなり除雪機販売業としては待ってました状態になり押せ押せとなる。
今の場所に移ってからは業態も変わったが除雪機に食わして貰った事は間違えない

除雪機も後半は耐久消費財ではなくなり消耗品となって各メーカーは使用年数を設定し始めた為に費用対効果を考えると諦めた方がいい場合が多くなってきて修理工としてはサッサと諦めて解体する事が多くなって来た。


畜生道とは輪廻転生の中で何に生まれ変われるかを言う
人間として許しがたい行為や生き方をしする。 これは思い当たる節が多々あるし
人倫上許せないような間がらでの色情。これはないがすぐ人を好きになる惚れっぽい性格なので可能性はある。
よって俺は畜生に生まれ変われる可能性は大なのだが
畜生と言ってもタヌキやクジラなど様々なのだが考えようによっては人間よりいいかもと思える時もある。
この言葉がいつの時代に始まったかは知らんが動物は最悪と考えていたなら現代よりいい時代だったのかも知れない
現代では動物以下の職場や生活と言うのもよく聞くが
「 過ちを見てそれを正そうとしなければ過ちを犯した者と同罪だ。」オマホ族

俺がもっとも生まれ変わりたくない物は除雪機で
秋に物を何処に置いたかも忘れて除雪機でガンガンとぶつけ羽根は曲がる自分の頭がぶつかる夢を見そうになる。
オイルもろくに点検せずに使う、
小型除雪機はオイルポンプが付いていない為にオイルが少ないと傾けて使うと焼付く事はよくあるのだ。
使った後に燃料も入れずに置きタンク内は結露をおこすわで
知る限りでは除雪機ほど過酷な使われ方をする機械は知らない
そんな訳で畜生道より除雪機道に落ちる事だけは避けたいのだがすでに解体しスクラップにした除雪機は数知れずなのだ。

昨シーズンは積雪がありすぎて小型除雪機では対抗出来なかったので今シーズンは2段オーガーでジーゼルエンジン仕様に買い替えた。
中古なので減った羽根には8ミリの鉄筋を等間隔で溶接した自分の機械を直す時はほんと楽しい
一言言われたら10倍にして返し一発は3倍にして返す少々元気過ぎた時も修理工をやっていたから元の道に復帰出来た。
俺などは超幸せな分類に入るだろうと思うが
残りの人生畜生道に落ちいるより除雪機道に落ちんようにせんとイカン
ナン~マイダ~色足是食~ 右の頬を叩かれたら左の頬を、、、、、

畜生道を生きる女

雪が降って来た 例年は旭川や滝川が先に降って積り始めてから日本海側が降るのだが
今年はどうも違う様だ。

この除雪機が販売されたのが1978年で自社製品を作る前はアメリカのTORO製を輸入し販売していた。
俺の知る限りでは除雪機はこのメーカーが耐久性や整備性などの面から見ると
一番で除雪機と言う機械がどんな状況で何処で使われるかを良く知っている。
それは北緯44度10分に常設研究施設を持っているからだと思うし最初に北海道に似た広い土地で作られたTORO製を販売した事で広い国土がゆえに整備は持ち主がする必要があった事も大きく影響してると思う。
その土地にはその土地ならではの理由と機械があり
除雪機を試作品から使用し見続けたが良い物を1台や10台を作るのは割と簡単に出来ると思うが、
良い物はコストが掛かる為にそれを商業ベースに乗せ作り続ける事は難しい
機械メーカーはあんな良い物を作ったのにメーカーが消えてしまうと言う事はよくある話なのだ。

末端の販売店サイドも良い物を作るメーカーは取引条件も厳しくなり資金力や販売力もそこそこに持つ必要が起きて、
たとえ売りたいと思っても売る事が叶わなくなり販売店から脱落する事なども起きてしまい良い物だから売れ続けるとは限らない
その為に「 悪貨は良貨を駆逐する 」事が起きて来る。
これは一番最初に使われたのはイギリスで経済の法則となっていたが現在は経済の法則を超えて使われる事が多い

少数民族や少数者や弱い者をあざ笑い続ける水田水脈がなぜに衆議院議員で居られるかは比例代表制選挙で選んでもいないのに自民党順位が高い位置にあるからでそれは自民党には必要とされるからなのだ。

水田水脈先生は人をあざ笑い続ける事で生計が立ち、立場を維持し続ける事が出来る畜生道を生きる女なのだ。
子供を産む事を生産性で語るのは養豚業のオヤジなら真っ当な意見ではあるが相手は人間なのだ。
この様な悪貨の見本の様な畜生道思想を持つ奴には今もアイヌの人達と一緒に暮らす北海道に足を踏み入れて貰いたくないと思うのだ。

インデアン嘘つかない

「 インデアン嘘つかない 」昔なんのCMか思い出せないがそんな言葉が流行った事がある。
アメリカ大陸におよそ1000万人いたネイティブアメリカンが
西も東もわからんスットコドッコイのコロンブスにインドと間違えて発見されその後50万人まで激減させられる虐殺の歴史でもある。
さらにスットコドッコイにインド人と間違えられインデアンと名付けられてしまう。
思うにインデアンはなぜに嘘付かないと言われるのかは狩猟民族だったネイティブアメリカンは自然が相手だったからだと思う。
自然は人間と違い早々簡単には変わらない、
変わらない相手だからこそ嘘を付く必要が無かったのだ。
その為に白人によって騙し討ちされる事が多かった。
それは同じ狩猟民族のアイヌも同じで嘘を付く騙すなどと言う必要がそもそも無いのだ。
1669年アイヌのシャクシャインの戦いでは疑う事もなく出掛けた手打ちの酒宴の席で松前藩によって謀殺され以後アイヌは和人によって搾取され続ける事になる。
その歴史は大小はあってもネイティブアメリカンとさほど変わらないのではないか
大自然を相手に生きる者は小手先の浅知恵などは通用しない真っすぐにやるべき事をやっていく
現代では考えられないが


現在のウポポイになる前の白老アイヌ民族博物館で手渡しの踊りウポポ

広大な大地に豊富な資源を持った嘘付く事も策を弄する事も必要がない民族は滅びる運命にあるのかも知れない
そう思う時に現代に生きる者はせめてこうありたいと思うのだが、、、、、、、

生きとし生けるものに敬意を示せば、
彼らは敬意を持って答えてくれる。 アラパホ族

これらの言葉はいつの時代に発せられ原文は何語でどう書かれてるのか
コロンブス以降なら大変な苦労の中で正気を保った事になる。