何年振りかで年の瀬も年明けもここで過ごした、
いつもは暮れから道南か青森に行くのだが天候が悪く何処にも行かずにノンビリ過ごしたが
最近はなんでもカレーに入れて食うと美味い事を発見して何でも一緒に煮て食ってる。
右肩が痛いので肩つながりで鶏の手羽元を唐揚げにしてカレーで煮て食ったが骨をかじって元々弱っていた歯が欠けてシマッタ
兄弟は欠けるわ 歯は欠けるわで中々な年末だった。
しかし実の兄弟と言っても一緒に暮らしたのは10年そこそこで仕事仲間とたいした変わらん
世の中には兄弟分と言う兄弟関係もあるが こちらは分と言うだけあって上下や関係性をなど分をわきまえる事を常とするが~
実の兄弟となると遠慮がない分、一旦こじれるとトコトン行ってしまうのも兄弟なのかと
俺は次男坊で八は三男坊で性格はまったく違う
俺は思慮とか思案するなどと言うのはほぼ無い 走ってから考える口で後先になり失敗も多い
その点、八は考えて考えて石橋を叩いて渡る口で叩いて壊すタイプ
考えてる姿はハシビロコウの様でここに来てからはハシビロコウの八と呼んでいた。
それでも実の兄弟となると遠慮がない 困った事は何でも言って来る。
風呂に行った時 ホームセンター並みにデカイ駐車場にお客もまばらで数台しか止まっていない駐車場に
40年以上もダンプに乗ってバックで砂利を積みバックで砂利を降ろすを稼業としたせいか
わざわざ狭い車の間にバックで入って浜風で煽られてドアをブツけてしまい
大の男の大人がアニキ~と泣きの電話を寄越す。
俺は歩いても狭い処には止める事はないが
わざわざ狭い処に入って事故は悪いのは一目瞭然で話し合いの余地などまったく無い
大の男は自分で保険を使うなり100ゼロで処理しなければならい案件なのだ
そこにノコノコ出掛ける事は当人の大人としての顔を潰す事になるし、もし相手方がしもに付く知合いだったら
抜き差しならない状態になりかねない事もある。
ここが実の兄弟と兄弟分の違いなのかとつくづく思ったが
魚箱からはみ出すデカイ魚
左ヒラメ、右カレイ さ~どっち下にあるのはカジカ年の瀬に貰った。
これが夫婦や男女間だったら話は全然違う
たとえ小さなかすり傷でもすぐ吹っ飛んで行って車のかすり傷より
「 お~お~身体は大丈夫か~ 」などと言っておかないと晩飯の品数が変わってしまうのだ。
ハシビロコウの八は何かに付けて甘えた弟だった。
今になって思えば一緒に暮らす時が短かっただけにハシビロコウ八はここに居た3年間は夢を見ていたのだと今更ながら知った、
もっともっと沢山話をしておけばよかったと、 あとの祭り
歳食ったら相手の性格は変わらん夫婦兄弟隣人なんでも理不尽かなと思っても何でもいいから優しくして沢山沢山話をしてやるのが誰の為でもない自分の為にいいかなと思った新年
私も姉妹といっても幼少から家族バラバラで暮らしたので兄弟愛は薄い法かもしれません。妹とは
母が亡くなる10年間は喧嘩して音信不通でしたした。母の死によってまた家族が再構築された感じです。私は兄弟はいないのだと言い聞かせていましたし母も私が死んでも知らせなくてもいいといわれとぃましたので知らせることはしましんでした。ですがお骨くらい拾いに来てほしいと何度も息子が裏で画策してたらしくお通夜の前に我が家を訪れて玄関先で夫婦二人であたまを下げました。
私は来るものは拒まず去る者は追わずといった人間ですので、その後は何事もなく付き合っていますがちょっとした行き違いが大きな溝をつくることを身をもって体験しています。年末にも気持ちが弱い妹が弱音を吐いたのであなたに何かあったら私がついているとメールしたら涙がこぼれるほどうれしいと返信がありました。年を重ねると昔見えなかったものでも見えてくることもあり同じ轍は踏みたくないので思いが残らないようにしていますが、
やはり他人さまとなると姉妹のようなわけにはいきませんね。こじれてしまうと弁解の余地さえも受け付けてくれませんものね。それもまたその人の生き方なんだとわかるようになりましたので、去る者は終わずを貫くことにします。
でも心に苦いものが残ります。
年を食ったら貴方のように広い心をもたなけばと自分に言い聞かせています。
おはようございます。
ガキの頃は父親から暴力を受け、
それを受け継いだ 頭がいいなどとおだてられ
11年前に孤独死して3か月後に発見された兄貴からもお前はバカだからと暴力受け
暴力は連鎖をする事を身を持って知って、俺自体も乱暴者になりました。
銭が無いので浜から石を拾って来てサンダーで削って墓を作り無縁仏になっても、
そんな家族の墓には絶対に入りたくありません
未だに許す事は出来ませんので 俺は決して心が広いわけではありません
戒名は源の頼朝でなかった 元々のアホでいいかと