悠久の悠


一人では呑む事は殆どしないのだが無性に呑みたくなって たまにいく焼肉屋に峠を二つ超えて泊りがけで呑みに行ってきた。
神かまうな仏ほっとけの無宗教無神論の俺が翌日はお墓に入れる一文字を決定する日なので早朝朝霧のなか戻る事に

ニュースでもよく間違われるのは再犯率と再犯者率なのだが再犯率とは一年に起きた犯罪の中に再犯者が何人いるかで計算する。
再犯者率は塀から出て再度戻った人の率を言う。
平成20年頃を境に犯罪は減少しているので計算上は再犯者率は高くなる傾向にあるが
再犯した人の理由などの調査はよく行われているが
一度でその後犯罪を行わない人の理由などは当然だが調査は行われていない
その人はなんで立ち直ったのか
世界的に収容する事と更生は連動しないと結果は出ているが
再犯を防いだのは地域に母に似た愛があったのではないかと思うのだが

犯罪を犯す当然その国の法によって裁かれるがそれは司法が行うべきで一般人が裁く事は許されていないし有ってはいけない
現在はここが大問題で司法が裁いた者を一般人も追い打ちを掛ける様にして裁いていく
これでは一度でも間違えを犯した者は立ち直る機会を奪って行く事になってゆく
犯罪発生率は経済と連動していて生活に困窮する食うに困る立場になった事で起きる事がわかり
塀の中の収容率はバブルが去った2000年頃から多くなり始め一時期は収容率は100パーセントにまでになったが
現在は収容率は60パーセントにまで下がっている。
すべてとは言わないが元々この立場上からの人達が犯罪に走りその後は立位置を持ち直す事無く約40パーセントの人が再犯を犯す。
収容されないまでも戻って来た人を何の因果も無い人達が各種の媒体を使い叩く事が絶対にやってはいけない事で
それでは逃げ場を奪って行く事になって仕事を失い食うに困る事に追い詰める事になっていく
俺は左目が悪く身体の抵抗力が落ちると左から来る人の判別が出来ない
それは何も顔をそらしている訳ではないが人によっては自分の置かれた環境なども考慮して無視されたと感じる人もいる。

罰を与えるのは司法の役目でそれを何の因果も無い者が一緒になって罰を与える事は長い目で見た生活の安全上もやってはいけない
何の根拠もないが勝手に思うのは
叩く相手は自分が理解出来る範囲の相手でそれはひとつ~ふたつ~みっつ~くらい間違えると明日の自分かも知れない
と思う時にせめて何もせずにほって置けと思うのだが

八を入れる為の墓に一文字 悠久の悠の字を彫ろうと思ったのだが
就学前の頃から縁があった子が彼氏を見せに遠路連れて来た。
その彼氏の名前になんの因果か偶然悠の字が付いていた。
散々酔っぱらった俺は悠の字に言ったわかってるなと

チ~抜かれた~

目の前をスピリット・オブ・エクスタシーが通ろうがスリーポインテッド・スターが通ろうが
だからどうしたのと思う
それよりは軽のパネルバンが通ると俺の目はカッパと開き欲しいなと思う。
普通の実感として恐いと感じる金額は庶民なら払えそうで払えない100万程度ではないかと思うのだが
俺が回転寿司屋だったら6700万などどうやっても裁判で認めて貰える事などないだろうから
アンポンタンな子に100万請求し示談に持込み
その銭で岐阜県で一度も回転寿司を食った事がない育児園や施設の子供達を招待してレーンを回して食わせてやる。
当然そのアンポンタンな子と共犯にもスシローの帽子をかぶり接客をさせる。

商売をやってると相手先の倒産や自分の事故など損する事はよくある事で損を絶対しないなどと言う事はありえないその為に貸し倒れ引当金や控除があるのだ。
個人商店でもない大企業が高々アンポンタンに株価を下げられたと請求する事はその程度の会社と言わざるをえなく
企業は儲ける事は大事な事だが何かの役に立つ事も大事でいい機会だと思うので
このアンポンタン家族のメンタルが壊れない様に長引かせないで結論はさっさと出してやるべきで
たった一人でも救ってやる事が出来て再犯防止や事後処理などその手法も学んだらそれは企業の本望ではないかと思うのだが


これだって犯罪 信号待ちしていたら二人が乗ってるピカピカに磨いた車の窓からタバコをポイ
隣に乗ってるのも注意せんと共犯になる。

火曜日は医療センターには7時に入って一番乗りをしたのだが
そこに爺が入って来て「 あんたが一番か 」と聞いて来た。
そうすると間隔を開けずに隣に座り何やら書類を見せる旭川の高齢者検診ドッタラコッタラと書いてあり
これはどしたらいいと聞いて来るが俺は分からないと言う
それから俺の状態を聞いたり自分は無料だとか色々話掛けて俺より2歳上だと聞いた。
受付のシャッターが開くと俺を飛び越えて診察はいつまで待たせるのだと怒り始める。
俺は時間は一杯あるべし急ぐ事はないべ帰って何かやる事があるのかと聞くが俺には怒らんが
順番を無視して受付にずっと怒鳴り続けて早く採血をせと言う。
話が合わずに一方的に怒鳴りつけ結局は掛かりつけの医者に行くと帰ってしまう。
当日は一日待ち時間なのでずっと話を聞いてもよく俺は商人(あきんど)なので見知らぬ爺相手でも一時間や二時間なら相手は出来る。
生まれついての気が短かった俺でも商人はお客を怒らせない事も大事だが貰った対価にたいしてきちっと納得させる事が大事な事になる。
刑法も賠償金もその都度その都度きちっと相手に納得させる事が出来ないと無敵の人を作る一因にもなってしまうと思うのだが
俺は受付のネエチャンを慰めて大嫌いな診察と採血に向かう。

ヤフコメは回る

なんか忙しい日が続く
海の上で使う船外機はエアクリーナーと言う物が付いていないが港内で使う場合は土場などの砂ホコリが舞う中で使う為にシリンダーがスカスカになる。
エンジンにパワーが無くなると後進が出来なくなる=停止が出来ないでぶつかる。
予算がなくても多くの人が関わる作業船を止める事は出来ない
どうしょうか悩みに悩んで世話になってる若い現場代人の顔が浮かんで新品エンジンをバラし
このショートブロックを使う事に

あ~あ~もう新品では売る事は出来ない涙がちょちょ切れる。

夜中に目が覚めて バカになるからよせばいいのに
回転寿司大好き男なので あきんどスシロー6700万賠償のヤフコメを見てしまった。
なんだ、なんだこのコメントはここは日本かと思ってしまった。
今後の見せしめの為とか言って6700万賠償はせと言うコメントに13000ものイイねが付いている。
俺は法律家でもないし小学校も中学も貧乏でロクに行ってないがその俺でもわかる。
現在の日本には見せしめの為の刑や一罰百戒などは存在しない
もしそれがまかり通るのであれば誰かに見せる為に一人の人間を利用し過度に裁く事になる。
裁く時には起きた事に対してだけに誰であっても公平に裁く事が絶対条件で、
これから起きるかも知れないと言う事で裁く事があっては絶対にいけないのだ。

6700万もの銭をこの若い子の家庭で持ってるとは想像出来ない
もし持ってるのあればそんな~育ちの悪い
食ってない子みたいに醤油など舐めないでもいいべ~と思うし
まだ若いだろう親ももう少し育て方も違うのではないかと想像するのだが
持っていない場合は将来の稼ぎから賠償をして行かなければならないが
このアンポンタンな子にもし兄弟が居たなら
その子は親や兄弟を選ぶ事は出来ないと言う不可抗力の世界に生まれてしまったが
その子がこれからごく普通に生きていく事を出来なくする事はこの日本では出来ない
ま~ま~どれほどの財産を持ってるか知らんが
親は仕方ないとしても兄弟などのメシ代や学費など普通に暮らしていく為には賠償金を差し押さえしたとしても控除されるべきで
その事を考えたら親は子の為に鬼になっても家族を守る為にどんな手を使っても闘う事が今度は親の責任になっていく
サバンナでライオンがトムソンガゼルの子を狙って噛みついたら親ガゼルにライオンの〇玉にケリ入れられ泣く泣く諦める図が見えた。

ない袖は振れません、それに長い事関わる事は時間の無駄だし危険な事になり
銭貸してブツチコロされるのは大概は貸した側が多く
関係者がバカなヤフコメを見てうん、うん、俺の考えは間違っていないなどと思ったらおお間違えで
なんの根拠もないが裁判で賠償額が決まるのはせいぜい200万以下だと思う。
裁判に時間を掛けるならもっとやる事があり腹の太い処を見せた方が客商売としては得だと思うので
間抜けな、あきんど、と言える。

問題が起きるそれに向合い改善していく その事がより良い物を作って来たのだ
今頃みせしめの為にだとか一罰百戒だとか どこの国の話だと
このヤフコメは何処かの国の人間が日本を乱す為に日本語で書いてるだけなのだと思った。

お天道様


昨日16時10分に電話が来てやや一年振りに海に出た。
もう故障が起きる船も無くなり海に出る事は無いだろうと思って自分の船は陸にあげたままにしていた。
日暮れまで3時間しかない
チームを集め自分の船を点検し下架させるには時間がまったくない
近くにあった馬力のある船を事後承諾で借り出港する事に
30年のあいだに76回までは数えたが面倒になりその後は数えていない
その間に心に残る事がいくつかあるが
歩いて戻る事が出来ない海から戻って来た時に
心配させたと非難する人が大方だが
それは陸に足を付けて何もせずに待ってるだけの人達全員にハンドマイクでも持ってスマナカッタと言えばいいのか
いつの頃からか見守る事が出来なくなって
思いつくままに口に出し批判する人達が多くなって来たような気がする。
曳航作業のなかでそう思う事が一杯あった中で今でも記憶に残るひとがいる。
ただ一人事務所玄関の横にあった自販機から
買って来たのだろうと思う缶コーヒーをよかったと手渡して去っていった人がいた。
今でもごくたまにその人を見かける事があり
俺はそのひとに大きく手を振る相手も手を振り返して呉れる。
それだけで俺は1日が楽しい

たった1人でも作業終了するその陰には何人もの人が関わっている。
事後承諾で借りた船も
普段の立ち姿にその人ならと思える人の船だから事後承諾で借りて
暗くなる前に曳航作業が完了する事が出来たのだ
ありがとうございました。


お天道様が見ていてくれる。
海の上で命と身体を掛けた寄せ集めチーム解散
また何処かで逢いましょうと完了さっさと本業に戻る。

食べログ 

60歳を超えた時からモグラ叩きの様に次から次と身体に異変があり最初は30センチの高さから降りる事も出来ない状態が続き軽い脳梗塞と診断されこれはリハビリで元に戻り
チームを組む仕事は1人の失敗がチーム全体を危険な目に遭わせるので冬山での作業は止めた。
次もまた色々ありここ数年は腕が上がらなくなり病院を札幌から旭川にと4か所も替えて何とかなった。
今度はまた何かおかしいエンジンで言えば坂を登らん吹け上がりが悪い感じになった。
一か所めの病院で諦めて初診料に大枚を払ってもさっさと旭川医療センターに行く事にした。


トレーラーのドライバーさんは前日からここで待機で拘束時間の合間に自転車で回って歩くそう
俺の少ない人生で残された役目は誰でも声を掛け調子を呉れる事だと思っている。

全国アチコチの道の駅を回って歩いてるが旭川道の駅は俺が考えるには全国一と言っていいほど素晴らしい道の駅と思う。
隣はホームセンターと食品スーパーがあり
何が素晴らしいと言うとここからタクシーで1000円もしないで旭川の中心地に行く事が出来る。

旭川は端から端までおよそ15キロ程度しかないがその中に石狩川、美瑛川、忠別川などが数本流れていてその周辺は緑に囲まれている。
北の緑の大地の中心に都市があり北彩都と言えば病院だが旭川は北の彩都と言っていい
その中にあるのが旭川道の駅でこの立地は全国でも珍しい
飲食店の多さも全国屈指で人口当たりは札幌や名古屋より多く何を食っても美味い
実際に飲食店は市内何処に行ってもある。
医療に関してもレベルが高い
そんな訳で月曜日前日に旭川道の駅で車中泊をし食い歩きする事に
まずは白米と大好きなイカを食う為に宮前にある回転寿司トッピーに行く
他に行くつもりだったが食べログで可哀想な事を書かれているので予定を変更してトッピーに
食べログなどガキに武器を持たせた様なものでロクなもんではないがルートとメニューを見る。
回転寿司は明かにアルバイトかパートと思われる人達のお蔭で安く食う事が出来るのだ。
そこに俺など行った事もないナイフとホークと言う武器を持ちがら食う高級レストランの様なレベルを求める事自体が間違えで
それが店員を委縮させて店全体を危うくさせてしまうのだ。
銭を払う、対価に見合った物を渡して貰う、もうその時点で銭を払った側と物を渡した側とは対等な立場にあるのだ。
それが見合っていない場合は店は消滅し雪がピュ~ピュ~と舞う氷点下の中で露頭を迷う事になるのだ。
常に他店と比べ闘う事を要求されて価格が決まっていく商売はギリギリのバランスの中で日々暮らしていく
その時に文を書く者は人様が楽しむ時間帯に働いている店員が前に進める文であるべきだと思うのだが

白米と大好きなイカ五貫盛り食ったが値段は忘れた浜に住んでるからと言ってイカが常に食える事はない
明日から病院で今生の別れにと次から次と食って大満足でとっぴー終了
この後よそでうどん食ってエビ食って鶏唐揚げ食った。

白いご飯


ここに生き付くまで住民票を12回替えここを終の棲家と決めてここで終わろうと思う。

ここは冬は何日も人と会話をする事が無く夏でもあまり人と話をする事がなく
土日ラーメン屋をやって会話をするくらいのものなのだ。
土曜日に店を開けるとまず数十メーター離れた隣のお姉様が家からそろりそろりと出て来て店が終る頃には北隣の百メーターほど離れた老漁師の徳さんが腰を曲げならガハハッと来てビールとラーメンを食す。
徳さんは居合わせた人に必ず何処から来たと聞く
重度で耳が遠く、ほぼ自分の都合に合わせて話を解釈をする。
そんな営業日の土日とも常連客かかなり度胸のある一見さんで一日が過ぎる。


BF130 ショートブロック

もうすぐエンジンに貴方は何処が悪いのですかと聞いたらコノ部品を替えて下さいと言う様になるだろう。
「 ワタシハ、ハタラキスギマシタ、カエカエテクダサイ、タントウニイマスグデンワヲ 」と
実際に一時期だがスズキの200馬力船外機が音声で異常個所を喋った時があったらしい実物は見た事は無いが
出逢った時に困らん様にサービスマニュアルは今も持っている。

俺のお客さんは100キロ以上離れているのは何も珍しくはなくトラブル相談は携帯でやり取りは多く
機械のトラブルシューティングには余計な会話は邪魔にしかならないので決まり切った会話しかない
それは耳に当てた箱から聞こえるのはチャットナンチャラとさほど変わらんのだ。
月曜日から金曜日は効率重視と老いた身体にムチを当て時間短縮=単価の潤いもない生活をしなければならないがそれももうすぐ終わるだろう。
修理手順は動画で知り物はネットで買ってともうすぐ田舎は修理工は要らなくなる時代が来る。
身体の中に普通にチ~が流れ息もする動物達と人間の違いは生活に潤いを持たせる量の違いではないのかと思う。
それはトラブルも人生の一コマに潤いに替える。
若かりし頃に少々外れた時期があってその時は何か面白い事がないかと誰かに聞く時は殆どが他人の成功した話ではなく失敗した話を求めてるのだと知った。
「 人の不幸は蜜の味 私の耳はロバさんょ 」とその状態を乗り切って前に進む事が出来るのが人間と動物の違いなのだと思うのだが
その力は何処から出るかと言うとやはり人との会話の中に学び
出逢った人を一人も取りこぼしたくないとラーメンを茹でながら最近は欲深く思う。

金曜から試食でラーメンを食い続け今日からは修理工に戻り白いご飯を食べる事が出来る。

じあたま

ラーメン屋は土曜日お客さんは5人だけだったが
昆布を持って来て呉れた大間の漁師さんと偶然居合わせたここから40キロほど離れたアニー夫婦がなんと生まれた家が隣だったと言う。

こりゃ~先週貰ってまだ口を切っていない酒が数本あるしお互いの話をアテに酒盛りをするしかない
ドライバー用のアサヒドライゼロを出し昔話を沢山聞いて楽しく縁が進む


ホタテラーメンは前回から作り方をまったく変えた
その為にわざわざ大間の昆布を持って来て呉れた。

ホタテは他の二枚貝と違い口をピッタリ閉じる事が出来ないので水から上げた時から乾燥が始まる。
ここで使うホタテは冷蔵水槽に入れて生かしているので味は全然違う
これも産地である事と漁師さんとの連携プレーがあるから出来る事なのだ。
ホタテだけで充分なダシが出るので余分な物は省く事にして
前日から水に浸して置いた昆布とシイタケだけにして大幅に作り方を変えたと言うか簡単になってしまった。
あとは生きたホタテ二枚を360ccの昆布シイタケ出汁に入れて100秒ゆでるだけ
なんと言う事だ食って呉れた人達の評価が全然違うのだ。
いままでは仕込みに一日掛かった貴重な醤油ラーメンのスープを使っていたのだが
全然違うのだ。

土日ラーメンは20年以上はたち自分でも店に立ち仕込みを始めても5年は経っている。
その間に様々な人からあ~せとかこ~せと言われて来ているのだが記憶に残る事はなかった。

ラーメン屋のシステムは他に目が行き見ても脳に入る事は無かった。
それが町内の行列が出来る田中ラーメン屋に初めて食いに行った時に突然納得をして
すぐ俺の店に戻って真似して作ってみたがなんと今までの俺の抱えていた問題が解決してしまったのだ。
田中ラーメン様大変参考になりましたありがとうございます。

結局は何を聞いても何を見ても
自分自身が育ち初めて聞こえ見える様になると言う事なのだ。
それまで自分を大事にせんといかん自分の命が大事なら当然相手の命も大事せんと


土日で30食分の醬油ラーメン用の鶏ガラと豚骨
新しいやり方でラーメンを作り始めてひと月が立つ以前よりはおおむね評価がいいのだ。

いま闇バイトが横行してるらしいが
半世紀ほど前に吹上ナンチャラプログラムを受けた事があり2週間ほど性格テストとIQをテストされる。
そこで頭の悪さをつくづく知らされコツコツと手を油で汚すしかないと決断する岐路に立たせて貰った。
悪事は地頭(じあたま)がそうとう良くないと成功はしない
頭の悪い奴が生き残るのは実直に自分の身体を使い少しでも正直に生きる事が一番いいのだと教えられた。

損だの徳だのと言ってもそれはその場だけの問題で
その損を生む構造をなんとかするのが本質なのだ
地頭が悪い奴がいっ時の儲けを取れると思って人生を棒に振る闇バイトなどやめとけと言いたい

どんな凄い大学に入っても公邸の階段で寝そべる様では地頭がいいと言えん
日々コツコツと真面目に生きて行けば見える物、聞こえる物がきっと来る。


地頭が悪い俺は釣銭は間違う 品物の確認は間違う
そろそろ限界が来た
あ~あ~おりゃ~もうダメだ~早く墓を作ろっと!

「一人口は食えぬが二人口は食える」

普段から車など数分に一台程度しか通らん道で人などは一日に数人しか通らん
半分は出稼ぎに来ているベトナム人でそれも若い
それでもラーメン屋ならここで土日だけの営業が出来る。


土日に数年振りで再開されるエビ地酒祭りでここは通行止めになるので嫌味たらしくノボリを立ててみたが
今年からここに住んで車を持ってる住民4人には通行許可書が発行されフロントガラスに張付けてると通行出来ると言われたが
ま~いいやと今日は数年振りで逢う子達や家族達も来て貸切り状態になるのだ
酒でもかっくらってと思っていたが
ナンノコッチャ通行止め時間になってもドンドン車が来る。
いったいどうなてるのかと思ったら今年から一方通行になってるらしい


一方通行はこの先のどん詰まりを解消し流すのは大変な苦労があると思うので役場の努力にご苦労様と言うしかない
そんなんで皆で食おうと思った大量のカキとホタテを急遽 ホタテラーメンに使ってがっぽり稼いでシマッタ
日曜日は早くに食材を売り切ってしまいあとは居合わせた人達と楽しく宴会をする事にして
ワイワイと騒いでしまった。


その辺で拾った材料で作ったラーメン屋の宴会場

何本も貰った酒をかっくらって宴会をしたが皆地方から来てるので雨が降って来て早々に帰ってしまった。
ケッエ雨で溶ける訳でもないのに皆一斉に帰りやがってと思ったが
それでも初めて逢った子供やすっかり大人になった子供も居て楽しく過ごせた俺は幸せな方だとは思う事にしてる。
半世紀前にこの道を進むと決心したのだが俺には家がない
家とは雨漏りがしようが隙間風が入ろうが家族の住む家が最高の家だと歳のせいかつくづくそう思うのだ

「一人口は食えぬが二人口は食える」
実際家賃も光熱費も一人も二人も大した変わらんのだと
いちど掴んだ手は離したらいかんと去っていく若い子達に見えなくなるまで手を振った。

船越英一郎様

昨日地元ホテルの日帰り風呂に行った。
玄関正面に救急車がドデ~ンと止まっている。
俺は嫁からやっと逃げ切る事が出来たサスペンスドラマの帝王船越英一郎状態になり
寂れた北の漁村にあるたった一軒のホテルの湯船に人が浮いてる状態が眼に浮かんだ。
野郎なのか女性なのか女性であってもここは限界集落の町なのでどっちにせ見てはいけないと思った。

ここ数日ホテルは工事関係者で駐車場は狭くなっていて狭い処に駐車した車を俺はそろりそろりとバックさせた。
時間が夕方5時だった事もあり俺がバックしてる傍を次から次と漁師の軽トラが突っ込んで来る。
漁師の野郎どもはツラこいて救急車の横をすり抜けて玄関に入っていく
俺はすげ~な~としばし車の中から様子を見ていたが
夜道で出遭ったらそのダミ声と吊上がった眉毛で失神しそうな小樽真内(現在はこの地名は番号に変わった)の船頭のKアニーがノシノシと入っていく
いまから40キロも離れた北竜温泉に行くのも面倒だしと俺は意を決して真っ赤に染まっているであろう
湯船に向かった。

そこには救急車には乗らんとだはんこいてる風呂場で転んだジジイが居た。
乗らんと言ってる者を無理くり乗せる訳にもいかんし、かと言って置いていってその晩にポックリ行かれても寝覚めが悪いし
救急隊員も浜の漁師相手は大変だなと横目で見ながら風呂に入り浜の一日は暮れていく


墓の画像が送られて来たので姪っ子とあ~でもないこうでもないと思案するが
面倒なのでM町公営墓地に一緒に行って墓石を色々見て回ったが、
意外や意外、その人の生前の様々な人生を垣間見る型や想いがあり墓地はまったく面白いのである。
ここでも船越英一郎状態になり本の一冊二冊くらいはすぐ書けるわいと
こりゃ~黄昏た町のM町中央情報局CAIと言われる暗号名フ~コお姉様と一緒に来るべきだったと思った。

どうせいつかオッチヌのである恨みつらみ、恨(ハン)も現世に置いて行きせめてあの世とやらでは愉快に楽しく過ごしたいと
だから誰でもいい誰かが面白いと思って貰える墓にしょうと
すでに一緒に入りたいと言う希望者が数人いるので横に置く墓誌に自分が入る時は面白い言葉を考えろと言ってある。


今週土日は久しぶりにエビ祭りが再開されるが~
毎回の事だがこの道が通行止めになり俺の店には入る事が出来なくなる
祭り期間中はラーメン屋は逆に黄昏て超暇になる。
港の広い駐車場を使う為にはこの海岸通りを通行止めにするのが一番いい方法とは思うが
ここに住んでる住民には決定する前に事前に一言あってもいいと思うのだが
こ言うのは顔で笑っても眼は笑わない、で結構~恨み貯めちゃうんだょね~ のんきな役所だぜ~

ま~通行止めはベストな方法とは思うし出来レースの公的集まりには一切出ない主義で
自分で代替え案も浮かばないので好きにさらせと思っている。
この通行止めをトレーラーは通年通して行うと通告があったが流石にそれは俺一人の問題ではないので闘ったが
もともと海上保安庁であれ警察であれ役所であれ協力はするが出来れば関わりたくないと言うのは俺の一環した基本方針なのだ。


エビ祭り期間中はドョ~ンとこんな感じになる。
それでも通行止めを強行突破して来る人も居るのでラーメン屋は営業はする。

ここでは食ったカキやホタテは外に掘り投げながら食っている。
貝殻の中に使わない携帯なども埋めて2000年後には新文明貝塚発見などと思っている。

老者舞


多和平展望台から根室半島方面を見る。
この何もぱっとした設備の無い360度が見える展望台もいい
木がちょろっとあるだけで森がまったくないここの冬はどんなのかと思うと恐い
猛吹雪でも森の中に入ると木々がざわめくだけで中は静かで逃げ込むにはいい場所になり
雪原で猛吹雪に巻き込まれたら天候が回復するまで動かないのが一番
その為には車だったら必ず毛布を積んで置くことが必要で防寒保温シートと言う物もあるが
防寒保温シートはピンからキリで買ったら必ず試してみる事が必要
粗悪品はタダのビニールにアルミ塗装もあり命に係わる。


網走方面を見る

ここから弟子屈まで25キロ 標茶まで20キロ
だたぴろい放牧地に家がポツリポツリと見える 人が暮らして居るのだろうと思うが
冬なら雪に閉ざされて町に行く事も難しい中で家族が一番の楽しみなのだと思うが
どうやって暮らしてるのか同じ北海道の西海岸の少し辺鄙な処にひとり住んでいる俺には想像が出来ない
自業自得 覆水盆に返らず


糸魚沢小学校廃校


降りる


さらに降りる

道道から急な坂を1キロほど降りて着いた先が日本でも有数の地滑り地区
砂礫と石の断層が海岸隆起で崖となっている
老者舞漁港(おしゃまっぷ)ざっと見た感じでは100人ほどが暮らしていそうだが
この辺鄙な漁港は一軒づつがかなり裕福そうな建物で同じ海岸淵でも北海道西海岸側とは全然違う
こうして同じ北海道でも地政学的にも同じ経済になる事は無いので自分の住んでる場所にあった出来る事をやっていく事が大事かなと最近つくづく思う。
もっと早くに気付いていたならと思うが生きてるだけでもま~いっかと思う。

この後釧路で用事を済ませ戻ってする事があるので一泊二日の急ぎ旅終了。
大好物の花咲カニは一番美味いと思ってるがロシアからの輸入が減ったのか一匹3000円もした、
普段なら数百円なのにとクッソ~戦争早く止めれと未練タラタラに横眼で見ながら花咲カニは諦めて釧之助でメシ食って霧で見えなかった美幌峠を再度見る為に北見回りで戻る


俺の住処 北海道大字道西小字西海岸字崖下村と俺が勝手に呼んでいる
ほとんどが朽ち果てた空き家で崖下村の住人は10人だけ
ここに来てから数十年になるがいつの間にか住所地名が番号だけになった処も多い
誰が音頭を取って地名変更をしたか知らんがそこで暮らした人達の歴史もヘッタクリもない地名変更はその根拠はなんだったのか頭のいい奴のやる事はわからん