大都会と自然治癒力

火曜日は久し振りに全休にしてテレビ見てゴロゴロしていたが飽きたので厚田にメシ食いに行って来た。

ワイドショーで居酒屋経営者夫婦の事件をやっていたが考えさせられる事が多かった。
実行犯に一時期脚光を浴びたらしい地方出の子役がいたがテレビ業界は華やかな場面だけを強調する事で勘違いさせ人を食い潰していく業界である事が見て来る
画面に写るその華やかさや金額にひかれて首都圏に人が集中して行くのだろうと思うがその陰の部分が出たのではないかと思う
指示役と実行犯が違う事件は過去にもあったが その事件は指示役は無期になり実行犯は極刑になった裁判員制度になってから最長の期間になった事件でもある。
主犯でなくても極刑になる事もあるのに若者が従犯として犯罪に走ってしまうその思考力に何か構造的なものを感じてしまうのだ
モノが形になるそれまでの過程や時間を端折って成功=金の嵩のみを見てしまったのではないか

俺の様なド田舎者には都会にはもう自然治癒力はないのではないかと思ってしまうのだ。
半世紀も前なら怒鳴ったり罵倒する事は日常にあり周辺も耐性があり誰でも彼でも罵倒したりすると窮鼠猫を嚙みその場で返り討ちなども普通にあったが
現在の日本に置いてはその様な日常は無く若者にも耐性もない事に気付くべきだった。
江戸時代には1割が武士で恥を掻かされるくらいなら腹を切ってしまえと言う武士道などと言うものもあった国なので
現在に置いても人前で一人の人格を持った人間を罵倒する事はやってはいけない


熱田神宮宝物館 真剣 持つ事が出来るがカッパワレないように鎖が付いてる

結局は金儲けの為には人を罵倒する事を厭わなかった人が金の為なら何でもすると言った人達よって人生を終えてしまった。
人生には楽しい事は沢山あってその多くは人と人の間にあるのだろうと思う
俺が言うのもなんだが罵倒していては人は寄って来ません

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから
あなたは、あなたであればいい
マザーテレサ

神かまうな仏ほっとけ

本業とラーメンと仕事が重なる5月連休がやっと終わった。
今年からラーメンは地図に出ない様にしたお蔭でわりとゆっくりラーメンを作る事が出来た。
ラーメンを食ったら好きなだけその場所に居ていいと言うのがコンセプトなので少々五月蠅いが
それでもいいと言う人向きのラーメン屋なので一般客には向かないが
来て呉れる人が来て呉れたらいい後は10月初旬まで土日のみ営業する。


やっと二階部分を解体出来た。

その間に冬の暴風雪で屋根の一部が風で飛んでしまったD型倉庫の解体をしなければならない
年齢的な事もあり修理はやめて中の品々は処分して解体をする事にした。
立ててやや28年ほどたつが浜風に曝されながらよく持って呉れた。
最近この倉庫に足を踏み入れるとバタン、バタンと音がするのだ
最初は戸を開ける事で風が入り屋根のトタンが動くのだと思っていたが
だんだん風の無い日でも足を踏み入れるとバタンバタンと数回音がする事に気付き
きっと万物の霊が壊さないでワタシ~を捨てない~でと言ってるのか思い始めたが
俺は神も仏も霊も信じてはいない
神や仏があるならウクライナもパレスチナも毎日毎日なんの罪もない子供が犠牲になる事はないだろう
神も仏もすべては自分自身の中にあり状況を作り出すのも変えるのも自分自身なのだ
そうは言っても生身の人間は頑張ってばかりいられない
そんな時は困り事は事前に神様お助け下さいと
感謝は仏様アリガタヤアリガタヤと使い分ける事が肝心かと
未練がましく現世に出て来る霊などそんな奴にはろくた奴はいない ア~霊~

最初はボートの格納庫だったがバブル以降は格納するボートが無くなり空いた倉庫は何でも珍しがる性格で何でもかんでもなんの脈絡もなく詰まっている。
古い物では昭和初期などゴロゴロしていて折角型があって生まれた物を少ない設備と工具でどうやって作ったのか採算性はどうだったのかと考えてしまい捨てる事は中々出来ない
それらを処分するのだが逃げられた嫁さんの弟で離縁したので元義理の弟カツノリの物も捨てる事が出来ずに残っている。
物にも自分にも確実に寿命がある事をもっと真剣に考えていたならこんな事には成らなかっただろうと思うが
そんな中でも片付けをしてると運と人に恵まれて来た幸運な人生だった事をつくづく感じるのだ。
ま~仕方ね~ゃと冬までに中の物はバイクも含めてすべて片付けようと思う

五畿七道ラーメン

釣りに出たボートからホッケを貰ったこんなに貰ってもと思ったが置いていってシマッタ
魚大好きで新鮮な魚を食いたくて老後はここでゆっくり暮らそうと移住して来たが銭が無いのでゆっくりは出来ていないが新鮮な海産物には当たっている
それでもいまやホッケは高級魚で食べるのは数年振りになる。
外に干せばカラスの餌食 屋内に干せばクロテンの餌食になってしまう
浜は外に干した魚と屋内で干した魚は味が違うのでカラスの餌食になる覚悟で外に干す事にしよう

最近では岸壁でもホッケが釣れている。イワシは掬いホッケは釣る。

土日営業のラーメンは先週から再開してるが連休前半がやっとこさ終った。
ここ崖下村は来た当時は40人ほど居たのがいまや8人しかいないので
冬は何日も人に逢わない事もあり
場末も場末の崖下村ラーメン屋は生身の人間と対話をする場所になるので赤字にならなければそんなに沢山来てくれる事は望んでいないが
天候もあり連休前半は真っ赤で終わる。

ホタテラーメンは臼谷のホタテを使っているが
数年やっていくうちに海産物を使うラーメンには産地から離れた場所では難しいのではないかと思い始めた。
その一番の理由は時間と共に干ささるからではないかと思うのだが
ホタテなどは他の貝類と違い口がきちっと閉じる事がないので時間と共に干ささる代表格と思う。
水槽も10度を超えると産卵が始まり味も落ちてしまうので冷蔵水槽に2日間保存するのだが手間が掛かるが中々美味い
醤油ラーメンはブロイラーの鶏ガラは味が出ないので玉子鶏の親鳥を使うのだが今や親鳥ガラは鳥インフルエンザの影響もあり争奪戦で土日しかしないラーメン屋には中々当たらないので苦戦している。
見掛けたら買って買い置きしてある在庫はあと78羽しかなく何か対策をと考えているがラーメンで時給を超える物はラーメンとは言わないと思っている土日ラーメン屋で600円を維持するにはこれと言った対策はない
これと言った対策が無いから面白いのだが
煮干しラーメンから豚骨ラーメンや中華ソバと何でもありと思われるラーメンはハッキリとした五畿七道ご当地味がある事は各地で食って来て確信している。
その一番の理由は子供の頃に親と食ったラーメンの味が景色とともに脳内に引き継がれているからだと思う。

仕事の為の仕事

昨日は朝コッ早く留萌港に呼ばれ修理をするが早く終わって時間があったので会費要員だが久し振りにチョットした会合にいく
その会合は行政と民間との混合で苦手なのでスルーしていたが開始時間が中途半端な午前11時 う~んメシでも食わしてくれるのかと参加する事に
会費は払ってるがメシは当たらんかった
ようは腹減る時間に合わせサッサとしゃんしゃんと手締めをして終わらせと言う出来レースだった。


戦艦「陸奥」の主砲身 全長18.8メートル 室蘭で作られた

参加人数はおよそ30人ほどで発言する人はバッチを付けた数人がほぼ言うが内容より発言する事に意義があるのか何を言いたいのかよくわからん
これはこれでクックとなるほど次回の選挙を思うと面白かったが
そんな中で座長がこのナンチャラ会合について
「 やってる事が町(まち)の為になってるのか うんぬん・・・・・ 」と言う
さすが儲けてる企業人と思った。
自分のやってる事が何かの役に立ってるのか
仕事の為の仕事になってはいないだろうかと年に一回くらいは振り返る事は仕事をする人間は大事な事だと思う。

改めて自分を振り返ると歳は食ってるがこれがまった結構役に立ってるのである
修理と言う仕事はほんと面白く ゲームをやってる様に動かない物が動き出し何かしらの役に立つていく
これが製造業や修理業の面白さなのだ さらに出来高払いだが銭が貰える
冬山での仕事は一人の失敗が全体を命の危険にさらす その危うい場面を何度も見て来て自分の限界を見極め10年前にすべて止めて今は海関連になっているが

周辺で問題がさらに起きていくだろうと思う事があってその対処も細々と進んでいない様に見える
一番の原因は食い扶持を保証された人達の仕事の為の仕事をしてる処にあるのではないかと思っている町も各課の人事異動はあるのだろうと思うが
費用対効果を見る事が難しい課と数字を見る事が必要な課とがあって
老婆心ながら各課を横断したコラボが必要でないかと思うのだが

うん! 老婆はよく聞くが老爺は聞かんぞ~なんでだ~


寒いの~借金だらけの人生だったが終活中で個人情報が詰まってる銀行から借りた証書を燃やして暖を取る

東北は何処にいっても東北弁だが播但地域はとうとう播州弁を聞く事はなかった。

すさんでまっせ

せっかく旅にいって戻って来たのにムッタシ来る事が多く最近かなり荒んで(すさんで)いる。
そんな中で10数年前に諦めた銭が戻って来た。
ほんと銭は貸したら戻って来ないのでまったく珍しい 利息は付いていないが嬉しい~機嫌を直して
先週からラーメン屋を開業する為にラーメンを食い続け米を食っていないので
ほんのごく一部を使って回転寿司でコメと青魚を食って自分の舌の確認してみようと思うのだ。
深川いこうか~滝川いこうか~へ~らっしゃい

何度か貸した経験から銭は絶対に貸したらいかん 友達を失くし恨まれ果ては首など〆られたり後ろから殴られたりするのは貸した側でいっそやった方がよく精神衛生上もいい
いまは月1万8千の年金暮らしなので生活ギリギリで良かったぜ

 
出発前にせっせと貯めた8万円をしっかと握りしめフェリー代往復68000円とホテル代6600円はカードで払ったが残りは全部現金で払い残った銭は福沢諭吉3枚


舞鶴まで戻って来たら後はフェリーで寝てるだけなので諭吉未満は硬貨も含めてここのお助けボックスに入れて来た。

燃費は平均リッター18キロほど走るがガソリンは
出来る限り田舎の小さなスタンドを利用するのだが
北海道の田舎スタンドは何故かしら寂れた感があるが内地の田舎の小さなスタンドでもガソリン以外にも何かしらの生活用品を扱ってる店が多く寂れ感はない
これは歴史が関係していて郡領は山の常を境にして戦国時代に争った事が現代も遺恨として残り山の常を超えてまで買い物に行かない事があるのではないかと思う
その点北海道は寿司食うかと50キロや100キロは普通に走っていき郡境と言うものがない
これが北海道の地方の商店が成り立たない理由と思うのだが

福井県三方上中郡若狭町三宅西大畑 179円 19.1リッター 3.419円
岡山県津山市三浦   175円 19リッター 3.325円
広島県呉市川尻町西    157.8円 16.63リッター 2.625円
岡山県岡山市東区一日市 166円 10.3リッター 1.710円
沼ノ端   160円 19.19リッター 3.070円
今回は少しウンと思ったのがガソリン価格で上と下では20円の開きがあり
一番安かったのが呉市川尻町の小さなスタンドで感覚的に地方の田舎は安かった気がする。
確か燃料補助金制度は令和6年も継続中だったと思うがなぜにこんなに価格差があるのか不思議
沢山売れると思われる比較的大きい店は高かった。
思うに父ちゃん母ちゃんでやってる店は安い 自分の人件費を考慮していない事が考えられる事と燃料補助金は本当に有効に効いているのかとも思った。
俺の人生で書類を書く面倒臭い事大嫌いもあるが補助金は諸刃の剣の感がありただの一度も補助金を貰った記憶がない
田舎の小さな店はそう言う店は結構あるのではないかと思う。

時薬


マリーナー斜路に波で打ち上げられるイワシ
型がよくて生きのいいのをすくって食って見た「 鰯七度洗えば鯛の味 」と言うので刺身で食ったら美味かった
残りは塩付けにして何も食う物が無い時に食おうと思う。
北海道西岸はいたる処がイワシだらけでいったい海にはイワシはどれほど居るのだろうと思う この光景はレミングの行進を思わせる。
レミングは陸から海に飛び込んだがイワシは海から陸に飛び込んだ立場が違えば色々あるのだ。
数が多すぎカラスもゴメも全部を食う事が出来ずに放置されている。
畠中町にあるスカンピンパン屋が言うには食い物が豊富にある為かサギが巣を作ってるらしいがサギのその鳴き声と言ったら
老婆が首を絞めらてる断末魔のようなグ~ギャ~ア~ァと凄い声を出すのだが今はまだ聞こえてこない
イワシは打ち上げられるわサギは啼くわでこの世も終わりかょ~


西岸の現在のマリーナーが出来る前は漁師の船置き場で誰もが自由に出入り出来る場所だった。

そこに突如マリーナーを作って浅海漁の磯船置き場とボート置き場をフェンスで仕切って反対側にある出入り口には鍵を掛けた。
漁師の側から見ると地元民でないボート利用者から自分達の財産をフェンスで守ってると言う意識がある。
ボートの側から見ると少々荒くれた様に見える!地元漁師から高価なボートを守ってると言う意識がある。
マリーナーが出来て28年ほどなるが両者を隔てているフェンスも一部錆びて無くなっているし
その隙間からなし崩し的にボート側に漁師が越境して来ているがボート側からそれをおかしいと言う者も聞いた事がない
そのうちにフェンスは崩れさりどっちも予算は無さそうだから再度フェンスを作る事は無いだろう
そうなった時にお互いに声を掛け合う事も起きてきて生活者の漁師と遊びのボートとの境界がなくなる
その時に現在の釣りが目的のレジャーボートが大きく変わる切っ掛けになると思っている。
食う事が目的の新鮮な魚は漁師から買う事と海に出る事とゲームとしての魚釣りとの融合が起きていくと期待してる。

漁師もボート利用者も両方を見て来た立場から言うと今はだいぶ変わったがヤサグレ加減はどっちもどっち
声を掛けあい理解しあう為にもフェンスや壁は要らない 問題は時が解決していく
先人の不安を払拭する為にも後からいった者は一歩下がる気持ちが大事で王道とはそういった事ではないかと思うのだが
違うかネタニヤフ

銭かえせ

内地から戻って来てから野球には一切興味はないが毎日ショウヘだのイッペイだのとテレビで言ってる。
金額を別にするとこれはよくある話なのだ。
自分がいる場所が自分とあまりにもかけ離れた場所にいる時にそれが自分の力と勘違いして自分を見失ってしまう時によく出る言動が
虎の威を借りる狐なのだ。
誰々を知っているとか何処に努めてるとかもこの類なのだが
以前から悪評のあったナンチャラ岳なども勘違いをしてしまった類なのだ。
回りの環境や立場のそれらを除いて自分自身を精米歩合をすると自分とあまりにも違う事に愕然として何かに走ってしまう事もよくある事なのだ。
そうならない為には常に自分の実力や能力を知る事が必要で結果相手の凄さも知る
お茶の県庁の中だけではなく賢い奴や凄い奴はそこら中に居るが
勝負師ショウヘイの銭は戻って来る事はない諦めてまた稼ぎましょう。

俺は暑いのは超苦手で夜は窓開けて寝るのでそろそろ網戸を付けるべと用意した
が寝てる部屋から網戸が用水路に落ちてしまったので拾いに行ってビックリ


いつもは深さ10センチ程度なのだが用水ケーシングマスにやたら水が溜まっている。
ここは以前にも大雨の時に上流からの流木などで詰まって水害になって倉庫も水浸しになったり隣も浸水した事があるので堤防を降りて確認にいった。

 
流木がテトラにつかえて流れずに他にも色々詰まっている。
ヒューム管はおよそ直径1メートルくらいで長さは12メートルほどあるので半径×半径がナンチャラカンチャラで8割としておよそ7.5トンほどの水が一気に流れる計算になる
う~この流木をうかつに取ったら危ないかも

数年前にここから3キロほど離れた町内のさほど大きくない用水路のゴミを取った人が一緒に海まで流され何日か後に海で発見された事があった事を思い出したので一人で取る事は止めて
地元の管理してるだろう某役所に連絡をしたすぐ見に来てくれて
俺はすぐ取った方がいいと何度か言ったが危険なので雪解け水が減った時に取りましょうと言う
暑寒山系の雪が無くなるまで待つのかな?
その間に雨も降る俺は何回か手伝うから取って言うが却下
「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、ものをつくったりとかと違って、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち」の行政の人達の発言なので諦めたが
二日経って土曜日は気温もあがりさらに水嵩が増して来たが土日は某行政も休みなので自分で取る事に

 
ロープで引っ張るが全然取れん ロープやワイヤーは伸びて危ないのでチェーンとチェーンブロックで引き上げる事に

 
流木が取れて一気に水が流れてゴミも出て来る出て来るボンデンが出て来る処が浜


このあと残ったゴミを取除きミッション完了
堤防やテトラを登ったり下りたりと作業開始から掛かった時間は90分
流されてイワシの餌にならないで良かったぜ~
「 基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち 」もたいして頼りにならん事がわかった。

流木は俺のでない税金に払った銭返せ


予定では四国今治に上陸して香川を通り徳島から神戸に行きそこから敦賀に行きフェリーと思ったが寄り道ばかりで時間がなくなってしまったが今年秋にまた来ようと思う。
夜道は走る事はやめてどこだかわからん道の駅で車中泊をしたが問題発生FFヒーターが点火しない山陽といえども夜は寒い
シェルを木造骨格に交換した時に雨漏りを見る為に30ミリ断熱材を外してしまって
寒いので予備バッテリーを使い切るかもと思いながら電気毛布を使い寝る。


なんのコッチャ電磁ポンプの替えたばかりのホースが固くなって接続から空気を吸ってしまってる。
格安ヒーターを買ってホース類は日本製の耐油ホースに替えて使っていたが
この電磁ポンプのドラミング音は寝ていて結構気になるので外に移動した時点でホースの長さが足りなくて急遽付属のホースを使ったのが間違え  固くなってる部分を切取り繋なおして取り合えず帰るまで持つだろう。
ビニールホースは耐油ホースでない物に油を通すと固くなるのだ。

墓ばかり見て歩いたので祟りか
さすが夜の墓は恐いが昼間の墓は面白と思い恐い事はない
そもそもが幽霊も怖がらせていては誰も来んぞ
恐いのは生きてる人間の方が遥かに恐い その怖さは最初から怖そうな奴はまだマシだが罠に嵌める奴は恐くない優しを見せる。
この時期は新天地に行く者も多いと思うが知らない奴には最初から近づくな
呑み屋で知り合った知合いの知合いはまったく知らない奴と思え!
住んでる処は絶対に明かさない!メール交換などもしてはいけない!
これは新天地に行ったら鉄則
見るからに怪しい俺は誰にでも声を掛けるし、よく声を掛けられるが例外

 
銀の馬車 留萌にあったキャバレー銀馬車を思い出した。

 
生野鉱山寮馬車道

カーナビを見ると同じ銀鉱山でも神子畑鉱山とは尾根が違う場所にいる
いかんこの道の行き止まりを見てみたい誘惑駆られるがダメ
今回は最後の内地旅と思ったが意外と元気に過ごしているので再来できると思ってるがわからんのだ
敦賀までの途中で一日時間が欲しいので急ぐ事に

  
この播但地域は塀が好き 家より塀に銭が掛かってるのかも
何処か他所から突然移って来て銭があるからと立派な塀を作ったら
きっと揉め事が起きるだろうと思う
どう言う基準で塀を作るのか何か基準がありそうに思う。
これは大地の水と土が基本の北海道とは違う
この塀を作る心理は腕を組む人の深層心理に近いものがありそう

 
福知山を過ぎたあたりからみぞれ混じりの雨
冬の長い北海道にとってはこの季節が全然違う長い日本列島は商売上とても助かりメシの種は沢山ある。

 
ふらふら遊んでる時は元気いっぱいだが本当にまた再来出来るかどうかわからないので
ここだけは見ておこうと決めていた。
ここまで来たらあとはフェリーに乗るだけ運営資金が足りないらしいので・・・・・

未来は今の延長線上にあり今は過去の延長線上にあり
過去を知る事で自分の道が見えて来る事は間違えないと思うのだが

タイムアウト

魚泥棒クロテンは子育てをしてるのかも知れんので他所に連れて行って放すと安寿と厨子王 になるのでここで放免してやったら春の雪の上をぴょんぴょん跳ねて走っていった。


想像するに同女遊加の石は山が崩れて墓石が落ちて来たと言うより
何処からも苦情の来ない遊女達の無縁墓地に近年道路を新たに作ってそこにあった石を一か所に集めたと言うのが本当の処ではないかと思う。

アチコチ放浪して歩いて思うのは
他の国の事は知らんし一度も海外に行った事もないし行きたいとも思わないが
日本だけに限って思うには紆余曲折はあっても一歩づつ確実に良くなってると思える。
家族の為に娘を身売りさせる事もなく飢饉があって餓死者が出る訳でもないし
下手打ったと玄関先に青竹で封鎖され一族根絶やしや痛い切腹をさせられる訳でもない
その日のメシに困るなどは近代と比べても大幅に減って極一部の問題で
その多くは対処方法は現代では無い訳ではない
なぜにそう思うかと言うとテレビなので全部を鵜呑みする訳にはいかないが家族で縁も無い山奥に住んで自給自足で暮らしてる人達もいる
それは田舎に住めば食う事は出来ると証明してると思う。
日々暮らす中で不満の種は尽きないだろうが 足りないモノを探し続けるよりまずは現代に生きてる現状に感謝があって
そこからまた先に進む事を考える事が自分の精神衛生の為にもいいのではないかと思う


島々を繋ぐ有料道路を渡って行った先が行き止まりだった。

呉から四国上陸にはフェリーを使うつもりだったがこちらのフェリーは札幌バスターミナル並みに乗り場が沢山あって何がなんだかわからない さらに寄り道につぐ寄り道で
ここで敦賀フェリーまでの帰り道およそ490キロの行程を考えるとタイムアウトになってしまった。
諦めてもう一度10月には早めに休みを取って来ようと山陰に戻るが
カーナビもいいが今度は忘れずに地図本を持って来ようと思った。
今回は中華ソバを中心に食べていたが田舎道が多くそれも営業時間が昼2時間だけとかが多くあまり食べる事は出来なく
腹減ってここまで来てと思ったが東広島で山岡家ラーメンを食ったが北海道と同じ味だった。

また何処かで寝ていざ敦賀に

石に刻む

自民党の処分が出揃ったが石に刻みそうな勢いで怒ってらっしゃる先生様もいるが未記載はそもそも自分らで決めた法律違反でしょ、
それは自民党ではなく検察が処理すべきものだと思うのだが
なぜ検察は途中で止めて起訴をしなかったのか思うに二つ
ひとつは86人を全員起訴をしたら政権与党は成立たなくなる事から忖度して途中で起訴を止めた。
もうひとつは加計、森友、サクラと安倍晋三長期政権が握った人事権で育った検察内部も腐ってる。
どんなに支持率が下がろうが言われようが岸田首相は安倍晋三長期政権残党狩りをしなければならない
金儲けが上手い自民党は儲けて税金を集める、野党はその税金を使い金儲けに散々コキ使われた下々を助ける。
与党と野党が両方共に助けあってこの土地に生きる者が幸せに暮らせる道を進むのが政治だと思うのだが


脱輪からデフロックを使い脱出してさらに進んでやっとこさ付いた先が

 
下蒲刈 家と家の間が軽がやっと通れる幅


下蒲刈 瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきた町で、江戸時代には朝鮮通信使も立ち寄った地
残念ながらこれは移築した施設なのと内部はなぜか撮影禁止
暇そうで見学者は俺一人だった中に説明大好きオヤジがいて考える隙間も与えずに付いて来てずっと自分の話をしゃべり続けていた。
中に朝鮮通信使の立ってる人形があったが背丈が俺と同じ170cmあった。
渡来人は比較的大きかったが江戸時代に実際にそんなに上背があったのかとオヤジに聞いた
「 朝鮮通信使はお客さんだから大きく作った 」とオヤジは言った
江戸時代から忖度は有ったのだ。


すぐ裏には瀬戸内海がありその流れの速さにびっくり その速さは川と言っていいと思う。

 
なんだなんだ何処かで聞いたような


ここだった。この歌はこの橋を渡って島々の地名を順番に歌ってる事がわかった。

 
こう言う路地を歩くのは大好き どんどん先に歩くと


出ました墓が 観光案内所で後から聞いたところ山の上にあった墓が崩れ落ちて来て縁者の無い墓をここに集めたらしいとの事だった。

 
寛政6年 同女遊加や安永6年高橋市なにがしの文字が石に刻まれてる。

 
十三才や四月ナ?七日なにがしや判別出来ない石もあり遊女の墓らしい
それでも亡くなった後に誰か思い人(おもいびと)がいて海の見える丘の上まで運び石にありったけの字を刻んだり字の書けない者はただの斜めの線のような印(いん)を刻んだと思う石もある。
字を刻む銭がある者や字を自分で刻む者や字を書けない者も思う人が息が絶えても躯と石をその高い丘まで運ぶ思いは何も変わらんかったのだろうと思う。

この海に囲まれ閉塞された地では漁師か野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかで識字率は低かっただろうと想像されるが
字や知識を覚えてる事と内面の思いや前に進もうとする事はまた違ったものがあるような気がしてならない
俺が思うのだが社会に出たら目の前の問題を様々な角度から自分の眼と身体で見て調べていく事をしないと家族は食わせていけない
ある意味高校までは知識の吸収だが社会は常に自分で知らべ探求する
その様は社会は大学と何も変わらんのではないかと思う
義務教育も中途半端で高校も大学も行った事ないから知らんけど