半世紀近く売価と言う物がない物を売ったり修理したりして来た
メーカーの定価格はあっても誰もそれで買ってくれる人などいないで価格交渉か見積を出しそれで双方が了解すると商談成立となるが
この「 な~な~だきだき 」と言われる場合は損をするなとこちらの事を思ってくれる一面もあるが売り手にはとても厳しい一発勝負を迫ってるのである
相手の腹積もりを越えた場合は再挑戦などなく「 あっそ!舐められたな! 」と他所に行って商品は在庫となってしまい陳腐化してしまう。
さらにそれ以後は一切の付合いも無くお客さんは離れていきやがてその地域全体も失う事になる
「ワ~ナ~なぁなぁだきだき」は売る方にとっては真剣勝負の厳しい商談なのだ
これに近い状態は選んで貰う側と選ぶ側の選挙だが当選すると掌を返す選挙より厳しい世界が田舎の商いだと思う。
ヤマハは最初アメリカから輸入したTORO除雪機を販売していて当時に日本でもこれは使いづらいと思う製品だったがヤマハの徹底したアフターサービスと販売網でそこそこに売った。
ヤマハコミニケションプラザ 初代7F7除雪機
その後1978年に自社で作る事になった7F7を売ったが後にとても苦労する事になり現在では初期の7F7を現場で見る事は出来ないが
開発スタッフの努力でまるで違う製品7U7が発売されその製品の丈夫さで40年たった今でも見る事がある
ヤマハはクレーム処理と徹底したアフターサービスがありそれが製品にも生かされている。
その姿勢が浜では受け入れられNO1になるにはなるなりの理由(わけ)があるのだ。
俺の今までの人生でなぜかしら新規開拓が多くスノーモービルも地域では初めて売ったり当時除雪機販売台数は常に全国上位にいたが
新規開拓はそれほど難しい事ではなくやり易い商いと言っていい
除雪機を売った時には雪が降った日は朝6時に市内をグルグル回って歩き
その商店や家では誰が除雪をしてるか見て歩いた。
社員や家族でなく財布を握っている者が除雪してる場合は見本で実演をするを繰り返した。
出始めの時は使ってる家には必ず関心ある商店や家の者が除雪機を見に来るので徹底したアフターサービスをする事で広告なしでも次から次へと売れていった。
除雪機以外のある商品の支払いに困り目先の銭に負けて一人を特別扱いをしてしまった為に数か月ですべて失う事も経験して
以後その商品から撤退してしまった。
その時学んだ事は「人の口に戸は立てられぬ」ですべてのお客さんをだきだきに公平に扱う事を徹底する事だった。