忍者Ninnjyaとは何者Nannjya

今週は春に頼んでいた物がやっと入って来て中継地点まで取りに行って来たり下準備の為にアチコチ走って550キロほど走った。
時間に縛られ仕事で走るのは辛いので楽しい事を色々と考えて走る。


熱田神宮宝物館 真剣を持つ事が出来る。

真剣は重いと実際に持った事がある数人に聞いていたので、どれほど重いかと思ったら意外にも軽かった。
この宝物館の宝物をカッパワレない様に見張ってるハシビロコウの様なオヤジが居て
そのハシビロコウオヤジに真剣でも軽いですねと言ったら
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われてしまった。

忍者に付いて色々思考するには、
乱世には様々な職業や世襲制の稼業があったと思うが各地の情報を集めに走った隠密や忍者などは
その場その場で自分自身が判断し危険をかいくぐらなければならない
その為には忍者は出先で切られたりと傷ついたからと言って忍ことを職業としてるので赤ひげ先生に治療を頼むわけにもいかないので自分でその辺りの葉っぱや薬草などで治療したり
集めた情報を何が重要かを整理して伝える知性と危険を回避する動物的感の野生も持ち合わせる必要があるのである。
さらに戦う為の武力も持ち合わせると言うスーパースターなのだ。

忍者が野生と知性と言う両極端なものを持ちわせた先にある中間は感性ではないかと思うのだ。
そこから思案するにも松尾芭蕉は忍者であったと言う結論に至り
俳句などを嗜む者はよいよ妖しいのである。

忍者の里、甲賀は製薬会社や化学会社が多く
薬草に通じたり火薬に通じたりした忍者が居た事が現在に到り
母方にくノ一を持ち 父方に忍者ハットリくんを持ち現在は製薬会社会長などがきっと居るだろうと思うのである。 知らんけど!

服装に関しては実際には黒装束などは無かったのではないかと思う。
あの姿で諜報活動をしていては見られたら言い訳のしようがないし、ましてや刀など持っているなど論外ではないかと思う。
一番は越中富山の置き薬売りや物売りの姿と俳諧師の姿が良かったのではないかと思うのだが
Ninnjya とはNannjyaと言われ正体がわからん様になって初めて一人前になったのではないかと思うのだ。

これ見よがしにバッチなど付けてる奴にはろくな奴はいないのである
恐いオジサン連中は襟の裏に止めていたが最近ではそれすらも見なくなった。


月に一回 この乳酸菌をここから140キロも離れた所から売りに来るオジサンがいる金額にして千数百円だが何かしらの手土産を置いて行く
当然仕入れしてるだろうから利ザヤはほんのわずかだと思う。

伯耆国の出の俺の偉大なる母親はどんなに貧乏しても自分の処に来る物売りさんからは僅かでも買ってやりなさいと言った。

ガキの頃は原野2線でその辺のバス停ほどの小屋で電気も水道もない食うや食わずの貧乏なのに定期的に来るのは紙風船を持った置き薬売りさんだった。
今になって思うのはそんな銭など何処を探してあろうはずもないボロ小屋に物を売りに来る人が居る事自体が不思議だったが
売りに来る方もほとんど人助けだったのだろうと思う。

騙されてもいいと、早くに手放した子供達が内地の何処で世話になってるかわからないからと、
年齢だけは母親を超えたがまだまだ母親を超える事が出来ないでいる。

忍者


大和國宇陀
段取りが悪く この秋には津軽海峡を渡る旅行は出来なくなったし船の上架も一週間近く凪待ち状態になっている。
そんな時に俳句の同人誌を編集長自ら頂いた。
俳句と言えば少々元気だった時に教えられた
実るほど頭を垂れる稲穂かな」と柿食えば・・・・・位しか知らん
学校などメシを食うのが先で教養だの教育だのまったく無い俺が
へ~俳句って作った人がその時の説明を付けるのだと貰った同人誌を見て初めて知った。
読み進めるうちに575はこれって写真と同じかも知れんと思った。
人の撮った写真を見る時にその人が撮りたかったものや伝えたかったものを
一枚の
一筆箋や印画紙に残し後はその時の背景や解釈は見る人に読む人に任せる様な部分は同じではないかと感じた。

そう思うと見る者にすぐなんとも味気がない白か黒かの結果を押し付ける動画がやたら流行ってるが
秋の夜長に俳句同人誌を読んでるうちにどうも動画を見続けるとバカになるのではないかと思い始め
せっかちの俺が言うのもなんだが何もかも性急過ぎる事が現代の混沌とした時代を生んでるのではないかと思う。

伊賀上野 松尾芭蕉記念館
昨年春に行った 本当は伊賀忍者の方を見たかったのだがコロナとやらで時間短縮で見る事が出来なかったので
入って見たが
チマチマった商人の俺が思ったのは俳句ひとつで全国にまたぐ旅費を稼ぐ事が出来た事が不思議なのだ。
俳句ってそんなに儲かるのかと思ったが展示品を見てるうちに、もしかしたら芭蕉は隠密ではなかったのかと言う思いに到った。
江戸時代のまだ走りで全国にあやしい大名がゴロゴロいる時代だったろうからまったく無い話ではないと思う。
だいたい戦国時代が終わり徳川の時代が来た時にそれまで暴力と策略、策謀、謀はかりごとこそすべてと言う連中に俳句などを理解出来たのだろうか
「古池や蛙飛びこむ水の音」など忍者そのものではないか、
謀反の情報を575に込めて鳩で送ったのではないか、あやしいのである。
そう思ってモップ持った掃除中のオジサンに聞くと違うと言うが
そこからのモップオジサンの説明が凄く机に座ってる学芸員とは違って楽しく
博物館などは好きでよく入るが誰にでも声を掛け聞きまくる俺にはここに入館して良かったと思った。

オジサンの持ってるモップが仕込みモップに見える前に俳句の一句でも言ってみようと思ったが閉館時間が来たので泣く泣く会話を打ち切り松尾芭蕉記念館を出て俳句は生涯終了した事を思い出した。

俳句をする人を俳諧師と言うらしいが
俺はその俳諧師とそんなに売れるとは思えんのに全国を車でゆっくり回っている竿竹屋は忍者ではないかと今でも思っている。

そう思って見ると同人誌の編集長は上背もあり鍛えられたイギリス忍者007ボンドガールの様な背格好と拷問の様な苦痛にも耐えるらしい、あやしいのである。

食糧安全保障


美味い酒を呑む為にムール貝を食す。

この丁度いい食い頃の海外産ムール貝はキロ1500円程度なのだが
三陸ではキロ1000円程度で普通に木箱で売っているが送料が2000円は掛かる
採ってすぐ食う地元産は美味く絶品でまったく別物と言っていいのだが
沢山あるのに売ってはいないので増毛地元産を食う事は出来ない
知る限りでは函館方面でわずかに流通しているくらいで北海道では何故かしら誰も流通させようとしない
ここの堤防を越えた岩場に行けば簡単に大量に採る事が出来るし駆除しなければロープなどは重みで沈んでしまうのに何故採って売らないのか不思議で仕方ないのだ。
マリーナーには大量にあるのだが何でも食ってしまう俺でもマリーナー産ムール貝はさすがに食わない

他にも未利用魚は結構あるのだが立場が違えば灯台下暗しな事は沢山ある。

裏の廃線になったJR線路の傍に何十年も使われていない道路があり国有地か何か知らんが
勝手に決めた崖下村食糧安全保障計画で今年初めてそこにジャガイモの苗をたった一本植えたが何も手入れしていないのに秋になって周辺の草が枯れた処にこんなにジャガイモが収穫出来た。
カボチャに至っては何処まで伸びるのかと思うほど伸びて9個が収穫出来
他の野菜も食いきれないほどなっていた。
そこそこの修理工兼商人(あきんど)だった!俺が思うには これが一次産業の強みで田舎の1000円と都会の1000円とは全く銭のパワーが違う。
仕入れて売り利ザヤを稼ぐ都会の銭は今持ってる1000円は9割は仕入れ先に払い残りは経費と消えるが
田舎の1000円は経費を引いても元手の何倍にもなって戻って来る。
米などは1粒が秋には600粒になるらしい
田舎は総額は少なくても利ザヤが大きく空き地に何かしら植えて置き魚は岸壁に行けば釣れるし食うに困る事はない
家などは頼むから貰ってくれと言う家も沢山ある。
ほったらかし野菜を作ってこれが田舎の自力なのかとつくづく思う。
国か町か知らんが年貢を払えとか何か言って来るまで空き地に野菜を植えてみようと思う。

南下

南半球でも南下と言うのだろうか

来る途中 留萌マサリベツから道道742号線を通る。
この道道742号線は冬は雪崩の危険があった為に通行止めだったがトンネルを作った事によって年中通行が可能になった。
そのトンネル予算獲得の為の雪崩調査に小平町上川にベースキャンプを作り物資運搬の為にスノーモービルで入って調査が終わりラジオ電波が届く処まで戻ってラジオからのニュースで1995年1月阪神淡路大震災があった事を知った。

雪崩調査方法は雪崩が起きそうな状態を画像に撮る事とそこに白赤ポールを差し込んで積雪量を測るのだが
一番崩れそうな雪庇にスノーモービルで上がれる処まで上がってポールを差し込むのは下請けのさらに臨時雇いのなんの保証もない俺の仕事だったが
う~ん今考えると凄い仕事だったなと思う。
調査開始から4年後の1999年3月にトンネル工事が着工になる
そこで俺が雪崩に巻き込まれたら安全な場所から望遠カメラで撮ってる現場代人は凄い画像が撮れて742号線は早くに完成していたかもなどと感慨にふけり通る。
何かが出来る時にはその様々な見えない面でどうでもいい様な枝葉の末端の人間が大きく関わっている。
それを評価し認める事が無敵の人を無くす方法のひとつなのだと思うのだが

歌登まで走って

ここで晩飯を食う 地元の人でないと何処に入口があるのかと探すが観光客の店は面白くないのでこう言う店は好きだ
車中泊を出来る場所があるとの事で晩酌もする。
車にはFFヒーターが付いているので市街地では無理だが北海道はそこら中が原野なので道路わきに止めて寝る。

翌朝 枝幸西城デパートのすぐ傍にある魚屋瀧源に魚を買いに行く
瀧源は魚大好き男にとっては調理方法も聞けて嬉しいのだ早朝腹減ってる状態で店に入った為にあれもこれもと欲張って買ってしまった。

もしかして開いてるかもと思って行ったが やはり閉まっていた。
ここは何度も来てるが入館料は無料なのだが内容は凄い
俺は思うのだが地元民は無料にして他は幾らかでも貰ったらいいと思うのだが
現在は施設も立派になったが以前の施設は自分なりの解釈や宝探しの様な感じがあり それはそれでよかったと思うのだが
オホーツクには古代に忽然と姿を消したオホーツク人が居た。
俺が想像するにはオホーツクはロシア沿海州や樺太と当然交流はあっただろうから大陸から渡って来たオホーツク人はセコイ弥生文化がチラホラ見え始めた時にムッタシ嫌気がさし大陸に戻ったのではないかと想像するのだが
弥生文化は穀物を貯蔵する事で貸し借りが出来る資本主義の原点になる文化でもあるのだ。

日本民族は単一民族などと言う国会議員連中が居るが、お前どんな親に育てられ字が読めるのかと聞きたい
北海道は米作が出来なかった事で遅くまで縄文人やアイヌ、ニブフなど様々な人種が暮らした土地で現在でもその様子が見れる土地でもあるのでその土地の博物館を見る事は旅の幅を広げる。
今でも半縄文時代の様な生活は出来ると思わせるのも北海道で、もしやったとしたら結構楽しいいい生活が出来るのではないかと思う。


帰りは夏タイヤなので山に雪が降り始めたこの山越えは断念して幌加内を通り沼田に抜ける。

北上


稼働部分の部品は外して隙間なくグリスの入替
隙間に入った水が朝には凍結して動かなくなりモーターなどに負担が掛かったりと部品が壊れていくのだ。
二個直列接続のバッテリーは外して左右入替と毎日毎日毎年同じ事の繰り返し
うっかり忘れたりまだ新しいからと横着して省いた物に限って天罰の様に後で何倍にもなって戻って来る。
まったこのバッテリー直列接続方法は船外機などの単純な構造と違って このハイブリット除雪機は充電精度がよくどちらか悪い方に合わせて充電をする為にいい方のバッテリーが過充電になったりする。
交換する時は一気に2個交換が必要で まだ1個使えるべや~などとセコイ事をすると他の部分もダメになる事がある。

船でもエンジン二基掛けの船は調子のいい方のエンジンが調子の悪いエンジン分働く為かなぜか最初に調子の良いエンジンが壊れる。
兄弟でも出来のいい弟が出来の悪い兄貴に足を引っ張られて苦労するのはよくある話なのだ。
増毛にも居た、なかにし礼は著書、兄弟で兄貴死んで呉れてありがとうと言ったが兄貴の為に苦労した増毛に居た事で
「 赤い筒袖(つっぽ)の やん衆がさわぐ あれからニシンは何処にいったやら オンボロロ オンボロボロロー 」
と石狩挽歌を書けたのでただ浜に居ただけでは書けないのではないかと


左右の音が違う場合は面倒でも分解
まったく俺の人生も機械に気を使い さらに人にも気を使いのヨイショ人生で自分でもムッタシ来る事があるのだ。
発注した部品が来なく 開店休業状態になり日曜日から275を雪降る前に久し振りに枝幸まで走って見る事に

北海道でもここから北に行く道は239、275、40号線とあるが俺は275が好きでよく走った。
275は多度志を超えると5時以降は美深まで100キロ間給油もメシも食う事も食糧を買う事も出来ないが
バイクで走るには景色の変化と適度なカーブで北海道でも面白いルートなのだ。今は軽トラに箱を乗っけてるのだが
もうすぐキャンピングカーブームは終わるのではないかと思い始めてる。
理由はさすがの広い北海道でも5メータ越は道の駅以外では駐車場に入れない事と燃費が悪い
旅の目的にも沢山あるが中でも景色やグルメや会話などが三大要素だと思うのだが
景色はま~いいがグルメとなると田舎に行くと昼時しかやっていない店も多く 小さな店はデカイ車は駐車出来ない場合が多い
燃費は道北では給油スタンドもまばらで燃費は大きな要素になってしまう。
そうなってしまうと唯々道の駅めぐりしか出来ない事に気付く人が多くなってくるだろうと思うのだが


母子里 コンカフェ 土日しか営業していないのが興味あって行って来た 10月から春までは日曜日のみの営業

コンカフェは根性カフェかコンクリートカフェかと思ったがコンテナカフェだったがどちらか言うとマイナス39度まで下がる北緯44度21分の場所で営業するのだから根性カフェだと思う。

朱鞠内湖で獲れたエビが大量に乗っかったエビスパゲッティを食す
俺が思うにはその時々でエビの量が違うのではないかと思う。
店主は翌日営業が無いので食材を余すならとドバっと入れたと思うのだが川エビがこれでもかと言うほど入って600円
スパゲッティは乾麺を使い食材も無駄になる物が少ないのでこの場所でやるのはいい選択肢だと思う
もう少し早ければきっとその辺りの山で採ったキノコスパゲッティなども有りそうな気がするのだ。
基本メニューもあるらしいが俺でも思うほど下手な字で板書に書いたメニュー表をワイルドなオヤジが手渡しして呉れるきっと季節やその時々に変わるのだと思う。
この50キロ四方何も食う物がない場所での営業はこれはこれであるだけで嬉しく 星ひとつを付ける奴の気持ちが知れん
さらに北上して枝幸に魚を買いに向かう。

暴走爺

若い時は争い事はどっちかと言うとキッチリとトコトン詰めるタイプだったが
いまは細かい事は面倒くさいのだハッキリ言って外見や体裁や包装など中身が壊れなければいいのだ
本質以外はいい加減でいいのだ そうなってから身体を張った争い事は減った。
実子を持った事はないが若い子を預かる機会があった時期から変わり始め
この歳になると物事は深追いせずに適当に腹八分がいいのだと思う様になった。

国単位の揉め事は結局は貧乏くじを引く者はどの時代も変わらず若い子達が一番に貧乏くじを引く
火だるまになり撃墜される航空機にも破壊される戦車にも親も子もある人間が乗っている事を忘れてはいけない
毎日早く手打ちがすむ様に願わずにいられない
プーチンに言ってやりたい漢になれと
プーチンの土下座ひとつで若者の命が救われるのだと
どの業界もどっちにせ後は無いんだ、覚悟はあるのだと言う勘違い暴走爺の出番はさっさと終わらせるのが世のため人の為になるのだ。

あと少しで今期の仕事は終わり雪降るまで一休みだが中途半端な待機時期で北海道を出る事が出来なくなったので適当に北に行ってみようと思う。

雄冬連峰

点検作業は毎日同じ事の繰り返しで飽きて来るのだ。
修理工にも二通りいて故障を直すタイプと故障を未然に防ぐタイプがいる。
壊れた物を直すタイプは真面目にコツコツではない一見豪快タイプが多いが
故障を未然に防ぐタイプはいつ壊れるかわからん、壊れ無いかも知れん物を事前にコツコツ点検作業をする真面目にコツコツタイプが多く
残念ながら両方を100パーセント完璧にこなす者は見た記憶がない
娘を嫁にやるなら故障を未然に防ぐタイプがいいに決まっているのだが、
当の娘がつまんない~とかなんとか言って人生を棒に振ってしまうのだ。
まった壊れた物を直すタイプは場数を踏んでいるので先が見え過ぎるくらい見えてしまい
あ~これダメ、ジエンド、買え替え、お別れと決断が速いのが欠点でもあり長所でもあるのだ。

耐久消費財の場合には故障を防ぐ作業の方が重要で除雪機の場合は2倍から3倍は長持ちもする。
壊れた物を直す作業は謎解きゲーム感覚で作業は面白いが、同じ作業の繰り返しの点検作業はかなりの苦痛を生じる。
製造ライン作業をする者なども相当の根性と気構えがなければ出来ない

そんな訳で息抜きに以前から気になっていた ここから東に峠を越えた北竜字和に行って来た。
滝川、砂川に行く場合は牧岡に抜けるので通る事は無いが 人口1700人程度の農業の町で飲食店が10軒もあり
単純計算で170人に一軒ある勘定になるのだ。
その計算でいけば増毛では22軒はあっていい勘定になるが そんなには無いしここは観光客目当ての店が多く
地元民がそうそう気軽に海鮮丼ばかり食いにはいけない

北竜町字和は地道にコツコツの農村なのだ。
カラオケを歌っても海の男の歌や海の男に捨てられたお姉さんの歌は山ほどあるが
その中でも太平洋の歌は、岡晴夫の憧れのハワイ航路くらいで歌はほとんどが日本海側になるのだ。
農村の歌は「与作は木を切る」しか知らんし

北竜町字和は農村なのだ。
滅多に開いてる時を見ない食堂、向日葵 (himawari-hokuryu.com)は営業時間が昼と夕方5時以降なので時間を合わせて行って来た。
店に入って驚いたこじんまりとした店なのかと思ったが やたら人が居るのだ従業員なのか子供なのか3人で店を切り盛りして
さらにメニューがやたら多く メニューに無い物でも時間があれば作って呉れると言う
俺は今日から新蕎麦と言う大海老三本入りの天蕎麦950円を食す。

隣には夜でも開いてる時を滅多に見た事がない、スナックきらら、に灯りが付いていて入って見る事に
米の名前の、きらら、と言うからには話題は今年の作況やコンバインの話題かなと入店するが
中には春に2トンダンプの下敷きになり肺が半分と脾臓がつぶれドクターヘリで運ばれたが三途の川を渡らずに戻って来たと言う農業サイボーグお姉さん達が退院祝いで呑みに来ていて
根性ナシなので圧倒されて言葉も出ずに唯々呑み続ける事に

そこそこの御歳のカンター嬢さんが話を振って呉れて色々な話を聞けてよかった。
なぜに和には飲食店が多いのか納得のいく話を聞く事も出来た。

車は道の駅までは2キロほどあるので町営駐車場に止めて車中泊で夜明けと共に戻る事に


北竜字恵岱別 雲海を右に行けば幌糠チバべリなのだがほんの数百メートルが道が険しく歩きかスノーモービルでなければ行く事は出来ない
左に行くとシュウリ沢で真っすぐ行くと増毛町になる。

暑寒別岳に雪が積っている
この雄冬連峰の暑寒別岳は標高1492メートルなのだが内地の1400メーターは普通に人が住んでいるが北海道の標高はほぼ倍の標高を見た方がいいと思うのだが 知らんけど!

この山の麓、左側に雨竜町字国領小学校があった国領は明治42年に群馬県佐波郡豊受村大字国領村から集中豪雨により田畑を失った人達が入植して来た地区なのだが
地区的にも過酷な地で雨竜町に出るには崖のキツイ尾白利加川を越える事は出来ずに
冬季間は食うや食わずの子供や家族の為にニシンなどのタンパク質を求めてこの山を越えて増毛まで片道およそ30キロを歩いて山を超えて来たそうだ、
当然現金などは無く物々交換だったと思われるが背中に背負った物はそれは山菜だったのか蕎麦だったのか
いま増毛に住む者として等価交換以上の情のある交換であった事を願う。

病気は治るが癖は治らん

ボートは上架し預かってる除雪機は配達しと あと二週間で今年の仕事はほぼ終わり春まで一人で待機にはいる。
浜も一人減りまた一人減りと誰もいなくなる、このあと数日と言うのが一年でもっとも嫌な時期で
真冬は吹雪が続けば何日も人間を見る事も人と話す事もなくなる そう想像させる今時期が嫌なのだ。

今年は春先に肩が動かなくなり病院に行くが年取ったら無理せずに残った筋を労りましょうと言う言葉に甘えて仕事をした結果は
筋肉はこんなに落ちるのかと言うほど腕が細くなった。
現在通っている旭川の病院は薬も出ずにリハビリのみで回復作業をしてるが なんと筋肉が戻りつつある。
一定の負荷を掛け運転する事は機械も人間もたいした変わらないのか知れない
エンジンは負荷を何処の回転で掛けるかは最初の設計時にだいたい決まっていて
その最大公約数を無視した状態で使い続ける事は故障の原因にもなるのだ。
除雪機などは無負荷状態を抑える為の制御ガバナが付いてる為にエンジンは中々壊れない


まだ部品は使えると取ってあった除雪機を整理する事にし
倉庫の中にあった物を引っ張り出したがまだ他にもあるのだ。
コツコツと部品を外し売りに出せば生活費にはなるのだが残った除雪機を見てつくづく思うのは性格上の問題が出てる。
俺は美味い物は最後に取って置いて食うタイプなので結局は腹が膨れて食べずに終わったり誰かに横取りされたりする事があるのだ。
除雪機部品や船の部品もこれは高く売れると思って取って置いて もう誰も使ってなく売れ残ってしまったりと売り時期、食い時期を見誤る事が多々あるのだ。

融雪機などは灯油が高くなり新品同様でも誰も買っては呉れない、かと言って使える物を捨てるほど根性も無い

昨年から一年越しで倉庫の中の部品でトレーラーを組んでみたが中にはまだ1台は組めそうな部品が残っているのだ。

残りの人生 美味い物は先に食おうと思うのだが
ほんと三つ子の魂百まで 病気は治るが癖は治らん
「 貴方は、貴方であればいい。 」とマザーテレサは言ったが
マザーテレサには悪いがゴミ屋敷寸前でそうも言ってられなくなったのだ。

歳は食う

夏物のボートなどと冬物の除雪機などの季節の入替が終ったら毎年春休みと秋休みを取っているのだが冬の準備やマキ割で何がなんだか時間が無いし根気が続かない日々が続いている。
10月にはもう一度岐阜に行って岩村や中津川、阿智周辺を散策しようと思ったがどうも難しくなって来た。

商いの道に進む時に 大恩人に始めるのは簡単に出来ても店仕舞は難しく中々出来ないと言われたが
いま身をもって知った
人間誰でも歳は食う
これが本当に歳は食う事を知って予定に入っていたなら土地建物を手に入れるなどは慎重になって今こんなに苦労する事は無かっただろうに

ウラジミール、プーチンは俺よりは若いが言ってやりたいょ
「 始めるのは簡単だが止めるのは大変 」だと
北海道はロシア人は多いが大概は陽気で背はさほど高くないがガタイがいい人が多く
数十年の間いにこれは危ないと思う人は数人しか見た事はない
ウクライナ戦争の節目は2月だと思うのだが
このままでは終戦が来たとしても
ロシア自体の戦後処理は日を追うごとにそうは簡単にいかないだろう一時も早く終戦をする努力をロシア人自体がして欲しいと思う。
ヘンリー・フォードは言った「自分で薪を割れ、二重に温まる」と


ラーメン屋の今季営業は終了
来期は諸般の事情で日曜日営業だけにするかも

頂いた酒を呑むのはどんな場面がいいのかと思案するのだが
俺は酒呑む時は金が絡む仕事の話は一切しない 悩んでいる時や失敗コイタ時も一切呑まない
大勢で楽しく呑むものと思ってるがさすがに久保田萬壽はベロンベロンになって呑む酒ではないと思うので
いつかと思いながら封を切れずいる。
ではいつなのか終活中なので先の話は倉庫や家3軒などの整理整頓でお先真っ暗でダメだし
一緒に呑む連中はどいつもこいつも酒癖の悪い自慢話を聞かされるだけでダメだし

11月に入るとここは誰も表には居なくり吹雪になると何日も人の顔を見る事もなくなる。
冬に家の中で温(ぬく)まって一年を振り返り一人しみじみと呑むのがいいかと思う様になった。


美味い日本酒を呑む為には常日ごろの行いが~と反省~しきりの日々です。

よく酒を吞まない奴は信用出来ないと言う奴がいるが経験者として酒呑みの方がよっぽど信用出来ないのである。

貰い~


ホンダBF130を下ろしスズキDF150に交換
春先に注文したエンジンが今頃来たので交換する事に これが最後のエンジン交換になるだろうと思う。
散々待たすわ待ってる間に値上がりはするわで恨みます~

通常同じメーカー同士交換なら2日もあれば余裕なのだが・・・・
世界には船外機メーカーはマーキュリーやヤマハ、スズキ、トーハツと合ってもサイズが世界共通でだいたい決まっていてほぼ加工なして取付出来るのだがホンダだけは規格が違う物が多く 穴の開け直しや加工が必要になる。
DFは慣れたエンジンなのだがなんせホンダから他社に交換は色々と大変
今日は面倒な処に付いているドラックリンクが固着で外れない一時は諦めて部品注文しようと思ったが油圧ステアリングメーカーに個別部品が無くアセンブリになる!
元のエンジンを壊してもドラックリンクを外そうと雨の中で一日掛かって外した。

独自性は大事だと思うが各種メーター類は国産はほぼヤザキ製なので外径が3ミリ程度の違いはただ意地を張ってる様にしか見えん
一度空いた穴を広げるにはホルソーは使えないし
ギコギコとヤスリで広げた恨むぞ~

これ以外にも船体の配線と油圧ホースなどがまだ入っている。
ハーネス類は右舷側を通ってエンジンまで行ってるので右舷側に何かを取付ける為に穴を開ける時は注意が必要
一軸船の場合は走行中は左に傾く為に重量物は右側に置く為に運転席スターボードサイドは右にあり反対側はポートサイドと言う。
面舵は右に取舵は左に切る。
雨で作業中断が多く急いては事をし損ずるので休み休みやる事に


夏には誰だかわからんビールひと箱が炎天下に出口に置いてあり
未だに誰かわからん名乗っておくれ

月曜日には店に沼田の酒がドンと置いてあって
水曜日には何ってコッタお世話になった人から萬壽が内地から送られて来た。
一人では酒を呑む事はほぼないのだが感謝感謝でコッソリ一人で呑もうと思う。

土日ラーメン屋も先週で今期の営業が終了したので本来の仕事に戻る事になったが
段々きつくなったので来期は日曜日だけの営業にしようと思う。
ラーメン屋は真面目にやると儲かる商売で俺は反社だの社会に馴染めないとかナンダカンダと言われて勤める処が無い人はラーメン屋をやったらいいと思っているが
ただし反社稼業よりキツイ事は間違えないと思う。
うどん屋や蕎麦屋は内地は知らんが北海道では難しいと思うし
うどん屋や蕎麦屋は丁稚から修行して
苦労に苦労を重ねてやっと店を持ちましたと言う感じで白い上っ張りに涙の跡がと思わせる人が多いが
ラーメン屋は昔ヤンチャしてましたと言う感じの店主が多く 仕事が終ったら艶消し黒のハーレーか何かを乗ってブイブイ言わせてる感じが多い
食うに困って人生を本気でやり直したい者にとってはラーメン屋は選択肢の一つと思っている。

敦賀に行くと軽のラーメン屋台があるぞ~ 食ってたら兄ちゃんと色々話になった。

俺は今まで食うに困ったら悪事に走ると思ったが
プーチンなどは散々キャビアを食ってるだろうに いい物食ってる奴がやる事は巨悪だなと思う。
ウクライナ戦争でドーロンが戦車やヘリコプターを撃墜する画像あるが
それには親も居る子も居る人間が乗っている事を忘れたらいけないし そんな画像に慣れたらいかん