大和國宇陀
段取りが悪く この秋には津軽海峡を渡る旅行は出来なくなったし船の上架も一週間近く凪待ち状態になっている。
そんな時に俳句の同人誌を編集長自ら頂いた。
俳句と言えば少々元気だった時に教えられた
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と柿食えば・・・・・位しか知らん
学校などメシを食うのが先で教養だの教育だのまったく無い俺が
へ~俳句って作った人がその時の説明を付けるのだと貰った同人誌を見て初めて知った。
読み進めるうちに575はこれって写真と同じかも知れんと思った。
人の撮った写真を見る時にその人が撮りたかったものや伝えたかったものを
一枚の一筆箋や印画紙に残し後はその時の背景や解釈は見る人に読む人に任せる様な部分は同じではないかと感じた。
そう思うと見る者にすぐなんとも味気がない白か黒かの結果を押し付ける動画がやたら流行ってるが
秋の夜長に俳句同人誌を読んでるうちにどうも動画を見続けるとバカになるのではないかと思い始め
せっかちの俺が言うのもなんだが何もかも性急過ぎる事が現代の混沌とした時代を生んでるのではないかと思う。
伊賀上野 松尾芭蕉記念館
昨年春に行った 本当は伊賀忍者の方を見たかったのだがコロナとやらで時間短縮で見る事が出来なかったので
入って見たが
チマチマった商人の俺が思ったのは俳句ひとつで全国にまたぐ旅費を稼ぐ事が出来た事が不思議なのだ。
俳句ってそんなに儲かるのかと思ったが展示品を見てるうちに、もしかしたら芭蕉は隠密ではなかったのかと言う思いに到った。
江戸時代のまだ走りで全国にあやしい大名がゴロゴロいる時代だったろうからまったく無い話ではないと思う。
だいたい戦国時代が終わり徳川の時代が来た時にそれまで暴力と策略、策謀、謀はかりごとこそすべてと言う連中に俳句などを理解出来たのだろうか
「古池や蛙飛びこむ水の音」など忍者そのものではないか、
謀反の情報を575に込めて鳩で送ったのではないか、あやしいのである。
そう思ってモップ持った掃除中のオジサンに聞くと違うと言うが
そこからのモップオジサンの説明が凄く机に座ってる学芸員とは違って楽しく
博物館などは好きでよく入るが誰にでも声を掛け聞きまくる俺にはここに入館して良かったと思った。
オジサンの持ってるモップが仕込みモップに見える前に俳句の一句でも言ってみようと思ったが閉館時間が来たので泣く泣く会話を打ち切り松尾芭蕉記念館を出て俳句は生涯終了した事を思い出した。
俳句をする人を俳諧師と言うらしいが
俺はその俳諧師とそんなに売れるとは思えんのに全国を車でゆっくり回っている竿竹屋は忍者ではないかと今でも思っている。
そう思って見ると同人誌の編集長は上背もあり鍛えられたイギリス忍者007ボンドガールの様な背格好と拷問の様な苦痛にも耐えるらしい、あやしいのである。
コメントは非公開です!大丈夫です!俺はメンタルが非常に弱いので公序良俗や謀反に関する事以外は何でも言って下さい