人生グルグル

昨年札幌で納骨堂騒動を見ていてやばいと思った。
寺も廃寺もよく見かけるし民間など儲からなくなったら廃業するのは当たり前だし そうなった時に俺は子孫は居ないのではそこらに放置されるのは嫌なのだ。
ほんの僅かだが死後を信じていて、それが何かと歯止めになって来たのだ。
生きてる時はま~そこそこ変わった事を経験したので せめてあの世とやらではノンビリ過ごしたいと思ってる。
そう思う時に何処がいいかと言ったら公営墓地は一度権利を取るとその後は管理費も掛からんので誰にも迷惑や負担を掛けないので一番いいと思った。
そんなんで場所選びをするがいざとなったら希望があり派手こそ命の様な人生だったので
奥まったジメった処は嫌と
夕陽を見て今夜は何処に寝るかと言う生活を経験したので西向きも嫌と
隣に銭の有りそうなデカイ墓も日陰になったり上下(カミシモ)に付くのも嫌と
北風に向かってこんもり雪が積っても目立つ道路ふっちがいいのだ。
それがピッタリの場所があり今月申し込みをしたらすんなりOKが出た。
90度に曲がる国道からすぐ見えて寄らん奴は引き寄せて俺の墓に突っ込む様な場所なのだ。
いいぞ~いいぞ~車が突っ込むたびに新しくなるかも
公営墓地は管理が出来ない場合は撤去らしいが
公営はなんであれ私有財産を簡単に撤去をする訳がない
公務員にそれほどの行動力があるなら盛土も崩れ犠牲者が出る事もないし
イジメ問題も瀬戸内の豊島問題なども起きるはずもないのだ。
北海道は広く人口は減るのだドンドン墓地を増やしそこに桜の木でも植えて何かある度に宴会をして花屋や饅頭屋が流行ればいいべやと思う。
親族が都会に居る場合は代わりにネットでお参りして近所の年寄りが日銭を稼ぐ事も出来る。
ちなみに俺の船の船名は桜

美山から山越を断念して道を変更するがエライ処をグルグル走ってるらしい


人知れずの山奥にまた出る


久多 癒しの里らしい
道もガードレールも崩れてるがアマゴ釣りは入漁料年6500円を払えと書いてある。
癒しも大事だがなにせカーナビがおかしい
以前のデッカからGPSに切替わる時に世界情勢でGPSは変調を来たすと言われた時があったが
たんに使う奴がおかしいのだと思うが現在のウクライナ戦争が関係してるのかなにせ今回はカーナビがおかしい


でました全国何処にでもある平家の落人が住んでいたらしい久多 宮の町

山の中を数時間彷徨って暗くなる前にやっと人間の住む場所らしき処に出る。
空が狭い山間部では太陽が見えなく方角が分からんくなり今更ながら方位付き双眼鏡を積んでいない事を悔んでいた。
広い場所であれば車自体に方位計が付いてるのでグルグル回れば大雑把な方位は分かるのだが狭い場所ではやはり手持ちコンパスが頼りになる。

歩きで山の中で迷ったら頂上を目指すのがよく下がってはいけない
裾は幾通りもの道はあるが頂上はひとつ
車道であれば電線がある間はその先に人家がある場合が多いが
ガードレールが無い道も多く夜にグルグル山道を走ってはいけない
平家落人の恨みつらみが残っていそうな山の中での車中泊は勘弁してくれと願って敦賀を目指す。


旅の終 フェリー乗船
そろそろ仕事が詰まって来たので仕方ないがいま戻ってもまだ雪があるのになんか戻りたくね~

整理整頓出来ないハト

折角気持ちよく二度寝してる処をすぐ横にある町のスピーカーの臨時放送とJアラートやで起こされ
テレビを付けると隣の市が画面に出てる。
もうこうなると打つ手はない、なる様にしかならないのだ。

時代の必然なのか偶然なのかプーチンや金正恩や習近平など、この時代になぜにこう言う人間が出て来てしまうのか
考えると恐ろしいがこの時代が必然的に生んだ人間なのか民意の結果なのか
ミサイルをどうして貧乏な国が作る事が出来るのか
たった1人の考えだけでは出来ない それは支える国民が居て陰で支える国があるからなので
ミサイルを作るほどの技術があれば農機具などの民生製品を作ったなら食料不足など即解決するだろうに
それを妨げているのは国民で権力者におもねたり、すがったり利用しようと言う気持ちが
とんでもない奴を生み出してしまうのだ。
そうならない為には個の確立が大事で自分の事は自分で完結させる覚悟と相手の個性を認める事も大事だと思うのだが
偉大なる母親は言った「 日本は戦争に負けて良かったのだ 」と

平和の為にはそうそう綺麗な事だけでは済まない
佐高信の言う「 クリーンなタカよりダーティなハト 」
ダーティなハトに代表される田中角栄と野中広務の共通項はどちらも一兵卒を経験していて
その経験はその後の政治信条にも表われてゆく事になる。
俺はタカから転向した整理整頓が出来ないハト


美山かやぶきの里


これからの時代は一極集中は危うい時代になり地域で必要とされ食って行ければいいと言う
小さな事が大事な時代になってゆくだろうと思う。

茅葺きに戻してる最中でしばらく眺めてると手や動きがノンビリで声掛けると返事をしてくれる。
食っていければいいと思う様になった。


美山かやぶきの里からカーナビの指す通り敦賀に抜けようと思ったが倒木などでかなりひどい道で
取付けたオイルクーラーの破損を考えて引き返す事にした。
早くアンダーガードを付けなくては

ミサイルを見てわかる様に皆が皆同じ方向を見る事を求める事は危険な事なのだ。

丹波黒豆大福


駅前 町の規模はさほど大きくなく4町合併して現在は17000人が居る。

俺は北海道で生まれ13歳まで育った。
生まれた場所は現在の西花園公園のある処で雨が降るとすぐ水に浸かる場所で周辺は朝鮮半島出身者が一塊になり住んでいた。
すぐ水が付く場所はどこも低所得が住む所でそこからさらに没落して留萌川の川べりの原野2線に移る。
そこからさらに訳ありで落ち目になり一人大江川沿いの海抜0メートル地帯で伊勢湾台風4年後で被害が一番酷かった元塩町に移る。
住んでいた2畳半のアパートは外壁の遥か上に茶色い線があり水害でそこまで水が浸かった事を示していた。

靴塚 ここの一角に伊勢湾台風の4年後に1年ほど住んでさらに落ち目に

流れ着き住む場所は殆どが水害に遭う家賃の安い場所で底辺の人達が住む場所を転々として暮らして来たが
自分ではその生活の悪くても良くても何ひとつ欠けても現在は無かったと40代頃から思っていた。

そのせいか現在は水を制覇して室内に500リッター以上で全長8メーターの水槽を持って淡水魚飼育を趣味にしている。


今回行った駅の横にすぐ氾濫する川の記念碑
この記念碑より下に暮らす人達がいる これは北海道ではあまり考えられないが内地はよくある。
京都市に通う人の為に駐車場がやたら立派

北海道と賢く厳格な母親とどうにもならん父親の間に生まれて何が一番良かったかは差別と言う言葉を知らない
北海道には差別は無いと思っていた北海道から元塩町に住んで差別を日常に見て聞く様になる
稼ぎが無く暇な時だけたまに行く中学ではここで書く事は、はばかれるほどの差別言葉が普通に飛び交っていた。
平助や〇遠登などそいつらが呼ぶ俺の呼び名は「 ゴンジュ 」で意味は蔑視語
そこで学んだ事は殴って殴られて蹴り倒してと
そいつらは自分達とたいした変わらん者を叩く事で自分の立ち位置を確認してるだけだと知った。
その中でも俺は並び順は後ろから4番目でそこそこのガタイだったので2日から3日に一回は交戦をする日々でなんの為に学校に行ってるかわからん日々を暮らすが
タバコは勧められるが一生吸わないと決めていたので人生で一度もタバコを吸った事はない
もっともタバコを買う銭など何処を探してもあろうハズがないのだ。


城南下

もう歳と片目が調子悪く駄目と言うほどなので車旅は最後に
佐高信の書いた人物評を読んで興味を持ちこの地を訪れ見たいと思った。
書いてある通りほんと綺麗さっぱり当人の痕跡は何もない麓で聞くが
皆は姓名は姓では呼ばず下名で親しげに呼ぶが
それ以上の事は明らかに余所者とわかる俺には言わないが
生誕の地を一見するだけだがその信条を貫き通した人だとわかる。
俺はどちらかと言うと革新系でバリバリの左翼でもないしゆるい右翼でもない
出自と育ちからどっち付かずの水の流れる様に流されるタイプなのだ。
さ~帰ろう~


これが内地の不思議なところで誰もいない車もろくに通らん処に突如現れる商店
それも結構お客さんが居る。
これから各種媒体が発達して来たので違うかも知れないが北海道ではあまり考えられない


この店で買った 丹波黒豆大福
ここが俺は心が無いと言われるゆえんで、もう誰の事も考えられないで買って道中自分で食ってシマッタ
やたら美味かった!
戻ってからお世話になってる人にお土産を買うべきだったと思ったが跡の祭り
薄情者なのである。

回転寿司アトム食った


次を目指して出発
途中日本最古の鉄道小刀根トンネルを見る。

福井県のナンチャラクーポン券3000円分があるので敦賀によって回転寿司アトムに
シラスとホタルイカを食いに行く午後3時頃なので空いてるべと思ったら
連休もあるが様々な予想に反してびっちりで30分以上待たせられた。
これで株価が下がった賠償せだのと言うのは株と言うマネーゲームの仕組みを知らない奴の言う事で
何でも提灯を付け弱った者を叩けばいいと言う物ではない
提灯持ちの先頭など江戸時代なら一番最初に刀で切られるのだょ~ん

待ってる間に滋賀県から来たと言う 車椅子の孫を連れたおばちゃん一家と話しになり
ご主人が生きてる時は毎年北海道をひと月掛けて回っていたと言う
何処が一番良かったか聞くと意外や意外
豊富温泉がよかったと言う
オラ~びっくり「 道東でないのか 」と言うが
予約も無しで突然行った豊富温泉のぼろ過ぎる宿の応対が良かったと言う。
旅行は景色、食、人だと言うが
やはり人が一番かもと思って短気ですぐ顔に出るオラ~も北海道に戻ったら気を引き締めてと思った。
待ってる間に人を観察するが一番働いてるのは皿などを片付けている、そこそこの歳のおばちゃんだった。
「 おばちゃん 見てると一番働いてる 」と言ってやった。
俺は知らない人でも普通に調子良くまったく適当に話しが出来るので暇を持て余す事はない

若狭おばま 海の駅で車中泊
夜明けに出発
うっすらと曙を感じる時に出発する事が出来るのも車旅のいい処で
なんか昨日や過去を洗い流すような気がするのだ。
さすがにわら草鞋は履かんが雪駄で出発


ドンドン山奥に


名田庄周辺


待ってましたと言うほどの田舎に迷い込む
迷い込む楽しさがあるのも車旅で
その為の低速レンジ、デフロック付きを買ったので お~お~いいぞいいぞとなって抜け道を探す。
いまや軍用トラックか農業用軽トラでもなければデフロック付きは無いのだ。
スーパーキャリーそれゆけ~


山道を抜けてドンドン目的地に近づく


うんうんこの空気感が目的地が近いと感じる


今回の旅の大本命に到着
初めて来た 思った以上に都会だったが
この周辺より人の背丈ほど下がった路地に昔の名残の様なものを感じる。

本を読んでこの人はどうしてこう言う考え方になるのかと思った時に
その人の育った地に立ち同じ空気を吸う事は百聞は一見に如かずなのだ。
さ~ここから人を探しにゆくまずはこの食堂で蕎麦を食いながら聞き込みを

近江国友


種子島に上陸したポルトガルのフランシスコ、ナンチャラから鉄砲を二丁買ったその内の一丁を国友に持込み同じ物を作ったのが始まりらしい
砂鉄は砂浜なら何処にでもあり1ミリにもならん様な粒が磁石に付くがそれをコツコツと集めて溶かして叩き伸ばして丸めてと
それだけでも想像を絶する。


中筒

火縄銃と弓は有効射程距離はさほどの差はないらしく50メートル程度なら正確に飛ぶのは弓が勝っていたらしいが
火薬によって飛ばす殺傷能力は鉄砲の方が勝っていてさらに音が凄いので、ビビらす効果は鉄砲の方が遥かに勝っていたらしい
弓なら見えるので狙って撃ったと分かり刀で おりゃ!おりゃ~と払う事も出来るが
鉄砲は誰を狙ったかわからんで とにかく、誰かがとりあえずバッタと倒れる恐さがある。
それでもヨーロッパの中世では火縄銃は雨が降ったり銃身を休ます為に休憩時間があり敵と近い為に敵と世間話をしたらしい


火縄銃の実銃を持つ事が出来る。

熱田神宮草薙館で真剣を持った時は軽いと思って
そこに居た見張り係りのオヤジに思ったより軽いと言った。
返った言葉は
「 真剣は人を切ると言う心の重さです 」と言われたが
この鉄砲は持った瞬間重いと思った。
同じ鉄でも鍛造品は重いので火縄銃と刀は鍛造度合いが違うのかと思った。

人間には眼で測る見た目と言う目方重量がある。
俺は鉄類は毎度持ってるので材質の見分けである程度は眼で重量を測る事ができ持上げる時に腰の入れ方が違う
今は重い物は機械で持つが昔は手で持つ事が多く重量を眼で測る事が多かったが
その人の経験則から来て同じ物を見ても経験が甘い者は測りが違う事はよくある事で
二人で同時に同じ物を持つ時は格が違う者と持つと怪我をする事があり
その時に怪我をするのは大概は足を引っ張られ熟練が怪我をするのだ。
それは物だけでなく対人間でもあり喧嘩になったら測りそこねて怪我の元になったりする。
現代においてはロシアとウクライナで相手を測りそこねた結果がロクでもない事になっている。
物でも、者でも、見た瞬間に感じる重さ感は結構当たりそれは経験則から来た第六感で
その第六感を狂わすのは大概は自分の傍にいる者、近いば近いほど身近に居る者によって狂わせられる。
あ~んた~などと酔わせて言い寄って来る者には特に要注意なのだ
ナンマンダブ~色即是空~


国友一貫斎作
その後江戸時代になり世の中が平和になったら空気銃を作ったり


反射望遠鏡を作ったり万年筆を作ったりとなってゆく
近くにキャノンがあったりヤンマーがあったりと滋賀や岐阜は意外と先端工業と古い物が混在してる。

滋賀県長浜市国友町国友
鉄砲を売った方


滋賀県長浜市三田町三田村氏館
鉄砲を買った方 直線距離にして3キロ程度

各務原から近江


名残り惜しいが閉館時間になったので今夜のお宿 浅井三姉妹の郷 道の駅を目指す。
出口で子供連れ夫婦らしき者が今にもつかみ合いになりそうな喧嘩で殴り合いになったら止めに入ろうかと言う位の大喧嘩をしていた。
そう言えば逃げられた嫁さんとは俺が一方的に怒るだけで夫婦喧嘩をした記憶がない 喧嘩をしないから仲が良いとは限らんなどと思いながら
熟年離婚が流行っているらしいが俺などは何処かに嫁に行ける可能性のあるうちにもっと早く離婚をしてやれば良かったと思っている。
男のひとり暮らしは短命に終わるらしいので男も趣味を幾つか持つ事が肝心で
趣味もひとつだと思考に偏りが出来る様な気がするのだ。

ま~経験者として大富豪でもなければ熟年離婚はやめておけと
語れば長くなるが苦労をするのは確実に嫁の方だと思う。


半世紀ぶりに大垣を通ったが当時は大垣と言えば柿と野猿の印象があったが
ビックリ大都会になっていてさらに車の洪水で店を見つけても流れから外れる事が出来なくて晩飯も食えない
浅井三姉妹の郷 道の駅まで1時間チョットの予定が3時間掛かった。
近くのコンビニで夜食と酒を買って道の駅で車中泊をする。


姉川三田村氏館跡

三田村氏館跡 傳正寺一角だと思う。

正確にはここには数軒のお寺や神社が混在しており正確な地割が通りすがりには出来ない


三田村氏館土塁跡 姉川の戦い当時の物が現存する。

内地は500年以上も前の史跡がそこら中にあり、そこが北海道と大きく違う
北海道のご先祖様と言えば縄文人かアイヌの人達だが移住和人にとってはかけ離れた人達で実感がわかないが
内地は家のすぐ前に当時の墓や名残が普通にある
山の常を超えた向こうに住む奴らに ご先祖は滅ぼされたと言う意識を墓参りや線香を上げる度に持ったとしても何も不思議ではない
それが山ひとつ超えると全然違う空気感を感じる元なのかも知れない

内地はたとえド田舎でも田舎暮らしがしたいと移住をしてもそうは簡単にはいかないだろうと思う。
その点は北海道はさほどのご先祖様もいないので海沿いは特に土着意識が少ない分移住はし易いだろうと思う。
北海道でも海と農村の大きな違いは海は獲物を海から腕一本で獲って来るので土地の様に固定したものではない
さらに保存が効かない海産物は腐らす前に分ける気質を持っている。
農村は区切られた土地の中で収益を上げなければならず、其処に1人増える事は共倒れの危険性があり
農村の次男坊や三男坊は出ていく運命にありそれ故に逞しくなるのだと思うのだが
「 たわけ 」の語源は田を分ける事から来てると思うのだが
田舎者が都会に住む事は出来ても都会者が田舎に住む事はかなり難しい

物事必ずいい面があれば悪い面もありどちらか都合のいい方ばかりを選ぶ事は出来ない
もし移住して自分に都合にいい面ばかり欲しいと言う場合は銭に糸目を付けずに100パーセント自給自足出来る施設か國を作る以外にない


早朝6時頃

早朝6時
如何によそ者が入って来る事が無い地域なのか
高価な道具類が多分昨日からだと思うがそのまま置いてあり
この事からしてここによそ者が入って暮らす事はかなり難しい事がわかる。


本日のお目当て日本の歴史を替えた村と言っていい国友
俺は村とか大字小字など言う字に憧れがあり町と言うと村から一段下がった中途半端な印象があるのであえて町とは言わない
ここ国友は日の本の歴史を変えて来た処で現在も普通に人々が暮らしていて現代の各地の宿場町の様に観光化された観光地ではない
見る物に、見る物に切ったら血が流れる様な無垢の重厚さをひしひしと感じ
ここでもまた深く深く長考をしてしまった。

各務原航空宇宙博物館 きぼう


ISS日本実験棟 きぼう 実物大模型


ISS日本実験棟 きぼう 実物大模型内部に入った。
宇宙飛行士は宇宙ステーションのすべてを知り尽くしていなくては何かあった時には戻る事は出来ないだろうと思う。
「 え~えとこれは何だっけ! 」などと言った時点で宇宙のゴミになるだろう。

ここまで見て来て疑問がひとつ
ふぎゃ~と生まれた、その時点から努力をし「きぼう」を持てば宇宙飛行士になれるものだろうか?
物心が付いた時から整理整頓が出来ない
俺は整理整頓が出来ないのは頭が悪い証拠だと思ってるしさらに乱暴者と来てるので
どんなに努力をしたからと言って宇宙飛行士には絶対になれない
ふぎゃ~と生まれた時点でその者が持ってる能力はほぼほぼ決まっているのだと気づいた。
ただエンジンも同じで農機具に使うエンジンはF1などには使えないF1のエンジンもパワーバンドやトルクの出る回転域が違うので農機具には使えない
その回転域にどれだけ幅を持たせる事が出来るかが設計者や使う者の腕の見せ所でもあるのだ。
努力すれば何でも叶うと言うのは間違いなのだ。
ここまで見て来て自分の持った適正を伸ばして行く事が大事と気付く
この歳になってもっと早く気付いていたならと
それと人間は必ず歳を食う事をもっと実感として思っていたならと


日本人宇宙飛行士の面々
海外でさえ行きたいと思わないので宇宙になど行かんでも一向に構わない
そんな俺が負け惜しみでツラツラ考えるには宇宙飛行士の頭は相当いいだろうから
一を聞いて十を悟どころか一を聞いて百くらいを知るのだろうと思う
しかしそんな人がここ崖下村に居たら下々との共通の会話や同じ速度の会話が成り立たずきっと双方共に面白くも何ともないだろうと思う。
それはもしかして宇宙飛行士の不幸の始まりかも知れない
適材適所居るべき場所に居て適正を早く知る事は大切な事と強く思った。

フェリーの中で見た映画『 ゼロ、クラビティ 』ではこの宇宙服を着て宇宙を彷徨っている時に何時の方向に見えると無線で言ったが
それはその飛行士の正面が12時で皆が共通の12時を持っている訳ではないので正確な翻訳と思えない
その他のセリフもどうもいい加減だと思った。
北海道には十勝型事故と言う事故がありそれは同じ速度で走ってる車は止まっていると錯覚する事で
この宇宙船は物凄いスピードで移動していても回りも
同じ速度で移動してるから船外活動が出来るのであってゼロ、クラビティではその辺りがイマイチでドラマをつまらなくしている。

十勝型事故は船も同じで防ぐには方位角が重要で方位角が変わらなければ両雄いずれぶつかる。


ℍ2ロケット先端フェアリング
宇宙でこれを開くには400本以上で止めてあるボルトを火薬で爆破して開く
大きすぎてカメラに収まらん

ふん!宇宙飛行士には絶対なれんが除雪機ならなんとか・・・・
小生は負け惜しみを思うのでありますが
せめて『 きぼう 』と言う言葉は枝葉の庶民の為に残して置いて
船名は『 あけの明星 』とかにして欲しかったと思うのであります。
思い越せば能力以上の負け惜しみが散財をさせて生活苦に落ちる原因だった。

岐阜各務原航空宇宙博物館


ここには初めて来た。


Z式一型偵察機 レプリカ 時代の最先端機能美
同じ宙を舞う姿は鳶のニッカポッカや足袋の様な美しさがある。
新品の仕事着を着る時は着たまま寝て自分の身体に合わせろと教えられた。
災害現場に駆け付けた政治家でもあるましダボダボやシワなどプロではないと


Z式一型偵察機のエンジン ル、ローン 80馬力 実機
クランクシャフトが回るのではなくシリンダーが回転しそれによってシリンダーの冷却がなされる。


四式重爆撃機 三菱ハ42エンジン 実機


救難飛行艇 US‐1A


同じ乗り物でも1886年に乗り物として自動車が初めて走ったが航空機はその僅か17年後に空を飛んでいる。
それからまったく別の道を歩んで来ている。
片方は見た目の美を重視され片方は機能を重視されていく
その機能重視はひとつの型に向かっていき鉄の塊のエンジンさえも美しさを見せつける。

武士のたいした役にたたんハッタリの裾が長く後ろに引きずる長直垂と農夫の着る野良着ほどの違いがあり
いざとなったら野良着の方が遥かに役に立つのだがそのパッチワークに美を見出す人は少ない


三式戦闘機計器盤 飛燕


零式艦上戦闘機計器盤
なんだなんだ撮ったのは2023年3月17日なのに
画像に亡霊の様な日付が入ってるぞ~
ナミアムダブツ~

初めてまじまじと各種計器や操作盤を見るが、これは修理屋でも中々持っていないテスターを積んでいるのに等しく
その計器を確認しながら現在の車なら車自体がコンピューターで制御される物をパイロットが各種の機械を操作し温度が上がればフラップを開き温度を下げたり
気化器の空気の量や燃料を調整したりエンジンを冷やしたりとしながら三次元空間を飛んでいる。
それは修理工がエンジンを修理しながら飛んでいる以上のものがある。
現在のエンジンのアナログキャブレターには基本構造が2から6通り内蔵されているが顧客がキャブを選ぶ事は出来ない
それは顧客に使いこなす技量がない為でこの機械にはこれと、
お前は黙ってこれで我慢せと宛てがい扶持になる。
たまには交換して眠っているパワーを引き出す者もいるが、それは例外
この時代のエンジンを除雪機か何かに載っけて販売したら使いこなす事が出来なく即クレームの嵐になるだろう。

ここまで見て来てひとつの疑問が沸く
科学は人類をアホ~にするのではないかと
科学は楽をする為に発展し楽を出来る物がいい物として売れていく
コンバットのサンダース軍曹が背中に背負ったBC無線機で
「 チェックメイトキング2! チェックメイトキング2! 」と呼びかけた無線機はバッテリーも重く重量は20キロ以上はあっただろうに
ここに来た当時、漁師は一方通話無線機を使っていた。
「 カッキョク、カッキョク テンコウワハレ ドウゾ~ 」
「 オメ~ソコニ網サスナと言ったべ~バカヤロ~ ドウゾ~ 」
「 バカヤロウとはナンダバカヤロ~ ドウゾ~ 」と日わ暮れて行ったのだが
無線機の急激な進化によって
漁組無線局のお姉さんは今は町の水道の集金をしている。
「 オメ~に12回逢ったらひとつ歳を食うのだから一回くらい来るな 」と言いながらこちらも日わ暮れていく

それが現在ではどうだそこらの子供から大人まで何が楽しいのかテレビ無線機を背負わずに片手で持ち一心不乱に使いながら黙々と歩いている。
進歩なのか人類の退化なのか
この疑問は展示物を見ていくに付けて大きくなり・・・・・

タカミやカツノリが生きていたなら一緒に旅したらどれほど楽しかったかと

トヨタ博物館から再び岐阜へ


1886年 世界最初の実用ガソリン式内燃機関自動車ベンツのレプリカ

驚くべきはデファレンシャルギアも付いていて2000年代の車とハンドルが棒で操作するくらいで基本はさほど変わってはいない
旋盤が発明されたのが1780年代で大きな物を加工できる工作機械が世に出て来るのはそれから100年後の1880年代になる
さほどの工作機械が無かった時代に一品づつ手でヤスリ掛けし作った根性に頭が下がる。
機械工になると適正と根性を見る為にヤスリ掛けとドリル研ぎをさせられるが
何が辛いと言って朝から晩まで何日も立ちっぱなし作業が一番辛かった。


丁稚に入った当時故障が多く嫌と言うほど修理をさせられたマツダキャロル
構造が複雑で皆が嫌がるので丁稚でも触る事ができ結果として早く技術習得が出来たと思う。
当時としては画期的な水冷アルミエンジンブロックと現在では普通になってるINとEXマニホールドが左右に分かれていた。
泣き処はマニホールドが左右に離れていた為にエンジンが温まるまで時間が掛かる事と吸気温度が上がらなかった為に加速が滅茶苦茶悪く市内走行では中々三速に入れる事は出来なかった。


これもよく修理した2サイクルエンジン
構造が単純でお客さんを待たせておいてピストン交換をやった。

西郊通り居た時は近くに日比野中央市場があり近隣の蟹江や弥冨からミゼットに野菜を積んで来た。
国道一号線六番町から西に曲がると西郊通りになり日比野の卸市場に野菜などを持って来る野菜農家のミゼットや三菱S4やマツダB4などがガタガタの石畳電車通りに入ると満載の野菜を荷台から落としていった。
住込みや部屋住は早朝通りを竹箒で掃くのが日課でガタイも良かった俺は野菜などが落ちるのを監視していて落ちると
「 待て~待て俺が見つけた~ 」と言って他の丁稚達を押しのけて俺が一番拾った。
野菜はカツれた育ち盛りの丁稚住込み連中の胃袋に入っていった。
当時は隣が材木屋で南隣がタイヤ屋や小さな工場や床屋があって周辺の丁稚達は髪が伸びると仕事が終った床屋に行き住込み見習美容師の練習台になった。
その隣が病院で何かに付けて生傷が絶えず潰して骨の見えた右手を治して貰ったりと
痛いと言ってるうちはクタバランと元軍医殿の凶暴な院長先生にはお世話になった。

元塩町から道徳本町、内田橋、西郊通りと流れて行ったが西郊通り時代も詫びても詫びても足りない時代で
修理工を辞めて西郊通りを去ってからさらにドロップアウトしていき
どうか関わった人達が今は幸せにいて呉れますようにと願っている。
絶対に出逢う事は無いだろうが岐阜に入って何処かで醤油舐め舐めニイチャンに出逢ったなら俺でさえ生きている頑張れと言ってやりたい


トヨタ KC型 トラック
戦中から戦後に作られた全浮動車軸
これも基本は今も何も変わっていない
昔の車を見ると天才的な人が居て現在も中々超える事を出来ないでいる事がわかる。
トヨタ博物館をまだまだ見たかったが展示車を触る事は許されず これ以上見続けていたら車の下に潜って見そうになるのでお別れして


愛知県で片言の日本語を話す台湾人か中国人かわからんが作った念願の台湾ラーメンを食う。
ウェートレスのおばちゃんに岐阜はどっちと聞くが言葉が通じない、片言で
「 ゴメンナサイコトバヨクワカラナイ 」と言う俺の地元でも外国人が労働者として働いてるが
もうこれだけ地球が小さくなったら外国人だの何人だのは無い
そんな了見の狭い事ではこの狭い地球で暮らせない

愛知県は1キロ走るのに平均4分掛かる。
ここから八が30年住んでいた処まで3時間で行けるが様々な思いもありやめて予定通り岐阜を目指す。
ガキの頃から住んだ名古屋市を迂回する様に走るのだが様々な事が脳裏をよぎる。
皆は過去をどう清算してツラこいて生きてるのかと思うが、
「 ツラこいてる 」それは無く皆必死に鴨の水掻きなのだろうと思う。
俺の様にグズグズ言いながら手を油で汚しメシの種の職を持って生きてゆくのもひとつの長生きの選択肢なのかもと思ったり
一日生きたら平均300円を貯めて何処かに寄付する様にしてる。

岩村城下町からトヨタ博物館


岩村城下町 浅見家


浅見家 なまこ壁蔵
岐阜は南を愛知に東は長野と四方を囲まれているが長野と岐阜とは山の常ひとつ違いなのだがハッキリと違い
飛騨や美濃は何処に行っても他県とは大きく違い独自の文化圏だと感じる。

3月31日で沼田から留萌間のJR線が廃止になった。
留萌は留萌川が流れていて駅やほとんどの施設も人口も留萌川の南側にある。
その川を越えた不便な北側に市立病院と高校があったが高校は現在は移転された。
地方から病院や高校に行くにはバスは雄冬からだと日に3本しかなく
市立病院は川を越えた処にあるから水害等の災害があった場合はヘリコプターでなければ病院には行けない
さらにまだ悪条件はあるのだがそれは書かない
留萌駅裏にはそこそこに広い土地があるが一角を道の駅と犬の散歩公園として使われている。
今更だが駅裏にあった空き地に病院と高校を作っていたなら汽車の利用者はもっと居たはずで
少しは違ったのかも知れない

高齢者は公共交通機関のサービス券をやるから免許を返せと言う、ハイ返しました。
結果は線路は廃止、バスなどたまにしか来ません、タクシーは無くなりました、ハイ
ドライバー不足で50キロ以上の物は留萌管内から内地行きは引受出来ませんと言う
送るには旭川か札幌まで荷物を持って行かなければならない


長久手 トヨタミュージアム デューセンバーグ

なぜにそうなったかそれは何世代にも渡る計画や戦略を立てる事が出来ないからで
専制君主の時代には何世代にも渡る計画を立てる事が出来たので
代々続く浅見家やいつ物になるかわからん車と言う物に挑戦した人達がいたが、
それは経営者が専制君主だから出来た事が多い
現在は株式会社になり短期で不労所得を得ようとする株主の顔色ばかりを見る事によって長期的視野を持つ事が出来ない結果が今の状況になってしまったのだ。


数年前まで乗っていた ロードスター
カブリオレは4台乗ったがこれはフロントウインドがよく出来ている。

トラックは1人のドライバーで運べる荷物はせいぜい20トンが限度だが鉄道が一人で運ぶ荷物は遥かに多い
何世代にも渡って全体を見る君主が居なくなって場当たり的な結果を望む民主主義の限界なのか、それとも日本人が主権在民や民主主義にまだ慣れていないからなのか
主権在民とは在民に権利もあるが責任も当然ある。
どっちにせ今は港湾を持ってる留萌線が廃止になった。
折角あった線路は廃止され 留萌もここの様に過疎化は加速されてゆくだろう。


欧米では貴族相手にエレガント(ひぇ~一番似合わない言葉)なサスペンション付きの馬車を作っていたコーチビルダー達が
内燃機関の発明と共に馬車に内燃機関を取付け車を作ってゆく
同じ内燃機関でも飛行機とはまったく違った発展を遂げて行く事になる。


内地に行って初めて雨に降られたが荷台の箱が振動やら冬季間の凍上で隙間が出来て
雨漏りする事がわかったので道の駅から橋の下に移動して寝る。
俺はこう言う貧乏くさいのが大好きで銭が無いから知恵を絞る。

北海道で凍る為に気付かなかった雨漏りと電圧計が異常に下がり始めたと思ったが
それはライトもヒーターも使わない事によるオルターネーターの発電制御だった
同じ車なのに何かに付けて雪国は違う事を実感してしまった。

JR北海道の貧乏くさい社長は絶対に黒字になる事は無い新幹線を作るなら、
北海道に骨を埋める覚悟で銭がないならもう少し知恵を絞れと言いたい