山陰完

結婚を控えたお姉さんが鉢合わせになった強盗に襲われなくなった事をニュースでやっている

空き巣対策にクレセントを増やせとか言ってるが
二階など人目に付かない場所なら時間が掛かっても窓を外す事はやるだろう。
クレセントを増やす事も大事だがもっと簡単な方法があるのにニュースではなぜ教えないのかと不思議で仕方ない
知らないのか それともセコムなど防犯業界のスポンサーに遠慮してるのか
以前はかなり高価だったが今は1000円~2000円程度で国産品が買える
窓に張付けるだけで窓を破ったら100デシベルの警報音がなる
商品名は『 防犯ドアアラーム 防犯センサー ドア窓用 』
などで検索するとなんぼでも売ってる これは窓を破った時点で音が出るので
たんなる空き巣ならそれを無視して続ける奴はいない


最終日はもう一度見たかった琵琶湖水族館 琵琶湖に生息する二枚貝

マルドブ貝

ちなみに美唄とはアイヌ語で二枚貝のいる所と言う意味だそうだ確かに石狩川周辺に沢山ある三日月湖には数年前には二枚貝は沢山いたが今は全然いない なぜだろと不思議でしかたない
採取は年に10個以内と決めてる俺が絶滅させたと思えないが


バイカル湖のカジカ ベスチャーナシロコロブカ 日本にも淡水カジカは沢山の種類がいるが北海道のカジカは見る限りは
内地のカジカよりバイカル湖のカジカの方がより近いと思わせる 俺が水槽で飼育してるカジカはこのカジカにそっくりで急流を作ると水槽でも簡単に増える。
さすが北国産しぶといのである。


燃料も出来る限り小さなスタンドで入れるようにして来たが 感覚では山奥も大した価格はかわらん 
フェリー代以外の手持ちの銭4万円が尽きたので
3月7日 フェリーに23時乗船 翌21時には小樽に着く
同じ車のチョット特殊な集団とフェリーに乗り合わせる。
なんとなく動きに無駄がないトンネル工事などの特殊な仕事集団か
今回の旅で気付いた事は もう大都会では車に乗れない事を知った 一生掛かっても弁償は出来ないだろうと思う高級車が大都会ではギリギリに近づいて来るのは財布も俺も恐かったので広島から尾道と岡山に行かずに戻ってしまった。

岡山市には今の俺を作る切っ掛けを作ってくれた人がいる。
逢ってもなにも言葉にする事は出来ないだろうし 
託された事は見事に失敗に終わり面と向かって逢えるほど今の自分に自信が持てないのだ。
何が悪かったのか今は少しわかる 無我無欲の境地になれなかった事が大きいと思っている
その事は数年の間一日たりとも忘れる事は無かった。
人間過ちは沢山あるし確信犯的な事をする事もある そこにはおのずと限界点、限度と言うものもある。機械でさえ下降伏限界点と言うものがあるのだ。
気付かずに戻る事の出来ない領域に足を踏み入れる事もあるだろう 
もし悪事を働こうと思うなら 
それは相手にはとんでもない人生がその後に待ってる事を想像する事が大事なのだと思う。
これやったら相手は困るだろうなと、
何百億という星の中で偶然にも地球にたった一度しかない人として生まれた甲斐がない
人と人の狭間で生きて行く事にわ 臆病であれ慎重であれと俺は思う。


放射能で汚染されたガレキの中を誰を探してたたずむのか 
戦争は政治の最大の失敗で最大の悪事なのだ。
臆病であれ慎重であれと 山陰完

平成秒読み

選挙が始まる。
たまに誰それを知っていると言う奴がいる。
「 だからどうしたのよ 」と普通はなる。
その相手がヤクザのオヤジだったら 
そんな名前を出す奴はアンポンタンなので、コイツは少々気を付けようと思うが
それが政治家だったら 
そんな名前を出す事自体がとても恥ずかしい事と思うのだが
ただその政治家が忖度させる奴だったら話はまったく変ってくる。 
「 事と次第ではよきに計らいますょ~ 」
とプンプンと臭いを自分からまき散らしてるから回りも個人利用をしようと
忖度する事になってゆくのだ。
普通であれば王道は決まっているのだ、忖度などは有ろうはずがないのだ。

あと数日で元号も変わる。
まさか党則を2度も変えて4選を見据えてる相手に 忖度して新元号が
『 永安 』  にならんべな

200パーセントの食料自給率の北海道にIRはいらん
ギャンブル依存症が現在でも
子供も大人もまったく賭け事をしない者も含めて全人口の4パーセントもいるのに
さらにIRはいらん
帰りの旅費もスッテンテンになった外国人の不法滞在は目に見えてる。

国と太いパイプがあろうがいい風にされるのは沖縄を見てるとわかる。
誰が消していいと言ったのか早々と日高線も地図上から消えた事だし
都合が悪ければ自治体の民意など首都圏で働く奴も国も無視なのだ。
原発も必要と言うなら一番必要とする首都圏に穴掘ってでも作れ
基地も東京湾に作るのが筋ではないのか

誰に投票しようがカラスの勝手だが
選挙を棄権する者に世の中が悪いなどと四の五の言う権利はない

サブロー

歳ばっかり食った俺は会見を見て勝手に思った。
イチローは努力さえすれば誰でも自分のようになれると言ってるように思わせる処がある。
それは会見の態度や言葉の端々に感じた。
だがだがなのだ、
グランドには
何処にも今にも崩れそうな崖もない 落ちたら上がれない穴もない 
波頭が何千回と襲い掛かる6メーターにもなる波もない
落ちたら確実にジエンドになる鉄塔もない
イチローはいないが
普通にその辺りにも道端にも海にも山にもスーパーの惣菜売場にも一郎も次郎も三郎も居る。


3月3日 なんてこった。


3月4日 保守が大変そうな崖下を走り続けてここに出た。
本の地図を見てないので一体どこだべ~わからんのだ。


どっかわからんドンドン進むが暗くなり始める。
家の感じからして安芸の国か島根か道端には人っ子一人いない標識も無い
だんだん面白くなってゆく
カーナビは通れるとなってるが実際は通行止めが多いので なにがなんだかわからんくなってしまったのだ。
最初の取付道路が分からんのと操作が未熟なので勘でノースを目指す。
カーナビはそれでも右だの左だの言い続けてるがやがて諦めたのか何も言わんくなった。
AIに勝ったと思った。


真っ暗闇に突然 


焼きそばを食う この辺りは焼きそばは味噌味だそうでなんでも味噌を使うらしい 
途中のスーパーで猪肉を売っていたが髙くて食えなかったと言ったら
持って行きなさいと冷凍の猪を貰ってしまった。場所は蒜山と言うらしい
何処か寝る処を探してすっかり暗くなってしまったが 気を取り直して再度鳥取に入って沼を見たい
海岸線に出るとこっちのもんと海に向かう。

隼イチロー

野球もオリンピックにも全く興味がないが
野球選手として身体に恵まれてると思えんイチローの引退ニュースを見て気になった事があり引退会見ノーカット版を一時間半見た。
『 測りは自分の中にある 』と言ったが一時期俺もそう思った時期があった。
それは比べるものが無い事で際限無い道に入る事になってゆく
稼いでも稼いでも際限なく稼ごうとする。 
『 測りは自分の中にある 』これでいいと言う事がないのだ。
今でさえも年から年中仕事をして気持ちも身体も完全に休む事はほぼない 
さらに稼ごうとする。
終盤に入って何か見落としたものはなかったのか それで良かったのかと時々思う。
イチローは自分でも言ってるが監督にはなれないだろう。
鳥の王者は大鷲だと思うがイチローは隼と思った。


広島県か岡山どちらかの道 
戻って振り返ると昨年の長野県はもう一度走った道を走る事が出来るが 
今回はカーナービに頼り過ぎて何処をどう走ったかわからないのだ。
文明は少しづつバカになるかも

跡の祭り

巷では跡継ぎの不足で仕事の廃止などが取り沙汰されているが
人間歳を必ず食う事 体力が落ちる事 今現在の状況を想像も想定も準備もまったくしていなかった。
今更手遅れだが遅くとも30年前に早ければ40年前には想像くらいはしておくべきだったと身に染みて知った。

チャンスは何度もあったのに もし30年前にいまの様に歳を喰う事を考えていたなら一生楽に暮らせるモノは残せたと思うが後の祭りどころか跡形も無い 跡の祭りなのだ。


3月2日 神仏の通る道 昔から3と言う数字にこだわる俺はもう一つなにか通りそうだと思うのだが


桜か何かわからんが花が道々に咲いている。 梅とも桃とも違うような


中海に浮かぶ島 なにか有難いご利益がありそう


宍道湖自然館 ゴビウス 宍道湖は汽水域だがほぼ海と変らん魚が居る
カスベが泳いでるにのはビックリ 海から遡上するにしても途中に中海湖がある 
上層部塩分濃度が0,5パーセント 下層部1パーセント 海が3.5なのでカスベが居てもおかしくないかも知れんが川口から10キロ以上離れているのに
知らないだけかも知れんが北海道の汽水湖でカスベは見た事が無い 

海はある程度海底の状態は想像出来るが川や湖は何があるか分からんので不気味なのだが若ければ潜って見たいと思った。。

 

ライギョに鯉 他にウナギなども居る。道内の汽水湖をかなり見て回ったがこれだけ雑多な魚が居るとは北海道ではあまり考えられない
北海道は思うに積雪がある為に一気に真水に替わる事で塩分濃度が下がり海の魚が嫌うのかも知れない 一度誰かに聞いてみたいと思った。


水族館も見たし 出雲の縁結びなど全く縁も用事も無いし 夜は走りたくないので早めに広島に向かって走るが広島県境に近づくにしたがってまた家の様子が変って来た。
今度は白い壁に赤い瓦が多くなる ほとんどと言っていいのはなんだべと何か訳がありそう


霧切谷パーキングで車中泊


途中のスーパーで半額で買った惣菜とうどんで夜食
不思議で仕方ないのだが 
日本昔話では山姥が居て
『 だんな~さん~~今夜は何処にお泊りで~ 』
と婆様は後ろ手に包丁を持っていそうな なぜこんな山奥にと思う所に突然店があったりする。
なぜ北海道では店が存続出来ずに無くなってしまうのか不思議なのだ。ここだって雪は降るだろうに 
理由がわかれば逆に巻き戻せばいいだけと思うのだが・・・・・・跡の祭りか~

鳥取県


3月2日の海に潜りサザエを獲って来るとゆく80歳の浅海漁師 
留萌周辺の浅い海はほとんど潜ったと言っていいが一定の年齢になると潜ると頭が痛くなり潜れなくなると思うのだが
準備してる時に年齢を聞いてしまった。
「 まだまだ~東北では90でも潜ってる人がいる 」との事だった。
サザエの店頭価格は一個150円ほどだった。


こっちは5~60代くらいと思うがクッチャべってばかりで中々海に潜りにゆかない
素潜り漁師は男ばかりで海女さんは見えなかった。
ウエットスーツは浮力があるので浮いて来ないように鉛の重りを付けるので何かあっても浮いて来ることはない それが危険なので自分の浮力にあわせた一息分の微妙な調整が必要になる。
男に生まれたら泳ぎは必須科目で元々羊水の中を泳いでいたので泳げると思うのだが 


80歳ドンドンゆく
鳥取は母親の生まれた土地でいったいどの辺りだったのかと聞いておけばよかったと思った。
どんな苦労をして100年も前に一家して酷寒の北海道に来たのかきっと海辺でないだろう思う。
叔父さんは大変な真面目な人でその息子さんも超の付く位真面目な人なのだ。
母も堅物で曲がった事が大嫌いだったがあまり怒られた記憶は無い
どうしてこんないい加減の見本のような父親と一緒になったかと何度も思った。
親父に散々苦労をさせられ次は息子達に言葉に出せないほどの苦労をさせられて結局はいい人生と言えなかった。
 生きてる間に親孝行らしい事を出来たのにしなかった、本当にすまなかった、申し訳なかったと心底思うのである。

在所は海辺ではないだろうからと山に入ってみる。

県道を左にどんどん入るとまるで日本昔話のようなこんな一体どうして生計を立ているのかと思う集落が沢山ある。
山に入れば切り立った空の狭い土地 海に出れば砂が舞う海岸 鳥取県のGDPはそんなに高い位置にはなかったと思うが
方々の県に行ったが ここは暮らすには大変と思う場所は長野県の比ではない
鳥取に比べると北海道や東北はパラダイスと感じてしまったが人間の幸せは小さく切り取った50メーター四方の中にも充分あるような気がしてならない 


島根県に近づくと屋根に鯱が付いているし何か高価そうな瓦なのだ 屋根にいったい幾ら掛かるのかと思うほど立派な屋根と瓦が多くなる。
暇そうな店を見つけては入り幾らもしない物を買いクッチャべるのだが どうも鳥取県人は島根県が嫌いそうなのだ。
それは言葉の端々に感じる事が多かった。

明治以降より江戸時代の方が遥かに永いのだ さらにあらゆる情報がゆっくりと伝わる昔は情報は土地や時節によって脚色され篩に掛けられて流れてゆく 現在より遥かに中身の濃い裁量のあった時代と言っていいと思う。
現在は県割りになったがその時代の藩割り意識が今も残っていたとしても何も不思議はないのだ。
島根は至る処に『 神仏の通る道 』と書いてあるが全国最下位グループの鳥取県にしたら
神も仏もあるもんか『 おもしゃくない 』と言うのもなんとなくわかる。 

観光地の行政主導の箱物はロクタものがないのはどこも同じだがあせってるのか箱物がやたら多いような気がした。

なめたらあかん~♪ VC3000

余部から横にそれて片側は断崖絶壁を軽でないとチョット恐いなと思う道をドンドン登る。
梅か桜かなんかわからんが もはや木に花が咲いている内地の林相は北海道とは全然違い生えてる木では標高を中々判断出来ない 
それだけ北海道は気候が厳しいと言う事だと思う。
九十九折をもう500は登ったかと思うあたりに人家らしきものバス停もあると思ったら
御崎地区分校があってビックリしすぎて写真を撮るのを忘れてしまった。

登り詰めた所に集落があった。なんで生計を立てるのか網などがあるのでどうも漁師だと思うが今いいとして昔は毎日浜にどうやって降りるのか ほんと凄い処にある御崎地区


平家の落武者が住んでるらしい 
今から1100年も前でも源氏も相当しつこくかクドクドと落武者狩りをしたか 滅びゆくものにたいしての哀愁か美学なのか半官贔屓なのか平家伝説は方々にありいまだに語り次がれる。
義経が増毛に来るわけね~べと思うが増毛にも義経が住んだ洞窟がある。


その平家集落にある余部灯台 標高284メーター 日本一高い所にあると書いてある。
あれ~島牧村にある茂津多岬灯台にも日本一と書いてあったぞと思ったが
ま~どっちにせ大したかわらんし困る事もない
ここの凄い処はすぐ傍に集落が有る事が凄いのと登って来るのはこちらの方が危険度は遥かに大きい


ここは矢引和尚の居た処と書いてある 由緒正しい処なのだろう。

まず北海道では考えられない処に人が住んで居る なぜなんだろうといつも考えさせられる。
それと山の常を一つ越えると漠然とだが全然違う感覚になる事が多い
内地の人は500年位前の事でもついこないだの事と思ってる節がある。
あの山の常を超えた所にはロクな者はいないと 競争心と言うか警戒心があるような気がしてならない
よくよく聞くと500年前の戦国時代に山の向こうの奴らに騙された調略にハマったと
あいつらの歩いた後にはぺんぺん草も生えないと言うのは今でも普通に聞く事が出来る。
裏切られたとかご先祖様が討たれたとか言ったりする。
その話は上杉謙信廟や真田村に行った時も当時の事を昨日の事に様に聞いた。
余所者に聴かせる話なのか本心なのかはわからないが 
そう思うとたった70数年前の事で現在も真偽のほどはわからんとしても存命してる人がいる朝鮮半島との問題も聞く耳を持ち 何も出来ないでも聞くしかないのかも知れないが
聞いて呉れないならさらにダダをこねる子供の真理なのかも知れない 
誰であろうが話をしてるなら聞く姿勢と対話の道は閉ざすべきではないと感じた。

これほどこじれた原因は出来不出来はあっても国民に選ばれた相手にたいして
「 取り消しません~ 」
その舐めた態度にあると思うのだが


これ全~部~墓 内地日本海側の田舎には家の傍に墓が兎に角多い それも嘉永とかなんかわからん年代も多く見る事が出来る。
毎日墓参りをしてたら恨み辛みも新鮮かも


家から持って来た酒とスーパーで買った豚肉に一玉50円のうどんを食す 何も身体を動かさないので道中の食事はほとんどこれ 冷蔵庫を駆動させるバッテリーがダメになり買ったのは痛かった。

煙り草

俺にもし取り柄があるなら もうひとつはタバコをまったく吸わない持った事すらない事だ。

今日手紙が来た Tkamiと一緒に昇った裏山の夢を見た 誰かが手を延そうとしている。
もう体力的にも資金的にも無理なのだ。
でもお前が生きていたなら一緒に手を差し出せたかもと夢の中で恨んでいた。
誰かに引き継いでほしいと思ってるが一円にもならんで出る一方で勧める事は出来ないが
頑張れ 一緒に頑張るべと言える子供達が出来る。

なんでお前たちはみんな早じになのだ。
青虫がたかった腐り掛かった枯草に火つけた煙を吸い込むタバコだと俺は思っている。
それにしても毎回住所も宛名も違ってるが届く 
俺の事など間違えてもどうでもいいが・・・・・・・・・
郵便屋のニイチャンもこのクソ寒い冬もバイクで配達を頑張ってるので
届くからま~いいっかと思っている。
もう一回寝よう。

余部橋梁

俺にもし取り柄があるなら ひとつは年金を満期掛けていなかったので 年金や不労所得は月々18、000円しか貰っていない事なのだ。
それでも日々の食う事に困る事はない 冬期間の収入源は時給換算にすると230円ほどをコツコツと稼いでいる他にはなにせここは食糧生産基地みたいなもので貰い物が多い
財布も口座も二つに分けて一つは生活費一つは仕事用の銭を入れて毎月20日には生活費6万円を生活口座に振り込むが毎月余るのだ。
現金主義など仕組みは色々あるが長くなるので端折ってっと

平成は確信犯の社会保険事務所や食品偽装から耐震偽装と振込詐欺と次から次とあったがバイトテロなどと言うレベルではなかった 
それでもまだ日本品質などと言ってるのは他と比べたら少しマシと言う程度のものなのだ。
誰かが陰腹でも切って止めるか意にそぐわない事に手を染めるなら野に下る覚悟が無いのが一番の原因だと思う。
仕事だと言うが一旦チャラにして仕事を失っても場所によっては食うには困らない場所はここを始めに結構あるのだ。

一番は入る金より使わない事と現金主義を徹底する事だと思う。
物を買う時は安い時に買うのは当たり前で 大損の穴埋めに手放し今は株は持っていないがこれは株でもなんでも何かに投資する時の大原則なのだ。
速攻的に通常以上高くなるから儲かるから買うなどと言うのは詐欺に逢うか大損をする事になる。
一定数しかない札を誰かが一人占めしたら他には回らんのは常識で株などで儲けたなどはほんの一部で宣伝でしかない 
その方法手段はなぜかよく熟知している。

分別付く歳になってまでやってはいけない事をやって
他人のたった一度の人生をふいにする事はないと思うが


宮津線 水戸谷川橋梁 ここらで京都府ともお別れ京女と出会いでもと思ったが ここらは京女とは言わんらしい 
能登半島周辺から和歌山周辺に掛けて女性の顔立ちに特徴がある人が多いような気がしてならない


北前船で使用した進路を指し示すコンパス 由良港資料館


余部橋梁 使用後は切って文鎮にされて一本1800円だった。おいおい全部切ったら幾らになるのよと思ったが買ってしまった。
途中で車の予備バッテリーを交換してシマッタ マイナス6800円+マイナス1800円 残るは3万弱


余部橋梁 やたら高いが


行き止りまで登り続けるが 出た処がびっくりポン 
いままでカーナビに散々文句たれてスミマセン

3月


一生のうちに一度はここに来ようと決めていたのだ 舞鶴に上陸してここに来るまで連続運転が出来ずに中2日間も掛かってしまった。

2月27日から28日と2日間 雪の中にもぐってヒッチメンバー取付をした。
かなりの台数のヒッチ取付したが リバイバルした新車に旧型と比べておやっと思ったが説明書通り取付けて確認をし完了したのが28日夕方4時 すでに荷物を積んでいたミニキャブで
1年間コツコツと貯めた100、000円を持って無くなるか呼び戻されたら帰って来ようと崖下村を出発
車に乗ってすぐ腰に痛みを感じ始めて歩くのもやっとだった。
2日間も雪の中に寝たのがまずかったのかも知れんが どうせフェリーは寝てればいいのでそのまま決行 

2月28日午後11時頃 小樽を出港し3月1日午後9時頃 舞鶴着  小樽でラーメンとフェリーでメシ二食とフェリー代金30530円を払ったので帰りのフェリー代を除き使える銭は4万弱になった。遊びはすべて現金で支払う。
毎回なるべく国道は走らんようにしてるので店が無い事が多く舞鶴のスーパーで半額食糧を買い冷蔵庫に詰め込んで舞鶴港で車中泊

内地は暖かく雪は全く見る事もなく作業服の下にTシャツと腹巻と雪駄で充分で
たった1日で不思議な事に身体も頭の中身も雪の事を過去の事として綺麗さっぱりすっかり忘れているのだ。
俺だけの特性かあれっと思うほど楽な生活に順応してるのだ。
これが内地から北海道と逆だったらどうなんだろうと思ったが
忘れてしまう事はいとも簡単に出来る事がわかった。

核融合には懲りてるはずの日本がいったいどうしてしまったのか
再度核融合に頼ろうとしてる。
マンハッタン計画に関わった多くの科学者は原爆はハッタリに使うべきで実際に日本に使う事を
反対して
『 フランクレポート 』として提出されたが時の為政者達によって広島に原爆は投下され計画は遂行されていった。
カーチス、ルメイと同じく確信犯なのだ。


安寿と厨子王丸 これはこれで可哀想な話だが忘れても大した困らん
う~ん 被害者の像はよくあるが被害者が居れば加害者も必ずいる加害者の像を見た事が無い像~ 
う~ん 自分の代で完結できるものはそれでいいのかも う~ん


宮津で北前船航海安全 奉納絵馬これとほぼ同じ物を増毛で見た記憶があるが思い出せん これも思い出せんでも大した困らん
説明のただし書きにはちょっとビックリだったが!