花火

今日はここの前の港で花火大会 一杯やりながら見る事に 
誰にでも席は空いている。
さ~誰でもどうぞ 条件は他人の事はほっとけ

花火と言えば忘れられない思い出があり 十数年来の事がもうすぐ決着が付く 
何処かで書き残しておきたい気持ちはあるが それは絶対にここでは書く事も語る事も出来ない 
花火は音と光がセットで近くで見る花火もいいが遠くで遅れて聞こえる音もいい 
スーパーの安売りのにようにまとめてバカスカ揚がるのより
ひとつづつシミたれたように忘れた頃に揚がる花火が好きになった。

蜂の一刺し数回

毎日がこの辺りにしては28度から30度と異常に熱い 寒さには多少の耐性があるが熱いのに弱い俺は毎日が大変で意識が朦朧とする事があった。
マイナス20度超えで何度も仕事をしたので熱さ寒さを二者択一すると寒さを選ぶ 
だがそれにも加減や程度など限度があり正確には熱さはどこまで寒さはどこまでとなってゆく 
俺は熱さはせいぜい25度以下で寒さはマイナス10度以下ならそこに住んでもいいと考える。
北海道には一時にマイナス40度超える処で生活してる人もいるが数日の仕事ならいけるが普通にマイナス20度がある そこで暮らす事が出来る身体や生活装備は持っていない。
熱さ寒さも物事すべて作用反作用のバランスの中で成立ち加減があり程度がある。 
現在はたったの数字の字面で、その中で詳しい情報を開示せずに さ~どっちかを選べと二者択一を選択させてるような気がしてならない、

実際にコイツを〆てやろうかと一瞬思った事が数回あるので 
死刑制度はある程度の抑止効果はあると思っているので死刑制度廃止論者ではないし
それが他の事件なら命には命で償えと思うのにどこが違うのか 主犯は当然としても昨日もなぜか虚しさがよぎった。
なぜ頭の良さそうな者達がハマッて行ったのか もし自分だったなら危ない思想から逃げ切る事は出来たのだろうか
どこでどう間違ったのかもう少し時間を掛けて探ってゆく方がいかったのではないかと思ったし
極端な頭の良さはドンドン純化して機械のようになってゆくような気がしてならない
機械でさえバックラッシュ遊びが無ければすぐ壊れてゆく 
人の間の社会では寛容と言うらしいが
政治は人間にも生産性と経営者目線を求めてゆき 金を持った者は小さな地球をさらに小さくしてゆく 
それがあたかも永遠の真理のようにおっしゃる首相や病的なほど女を見る目が無い首相推薦の国民の代表の杉田ナンチャラ先生達がおっしゃる。

今の社会状況を30年以上も前に頭の良さから予測して真剣に悩んだ頭のいい連中が小汚いオヤジにいい風に騙されたのだろうと思うのだが
科学は充分に進んだ これからは今あるものを大事に維持し分け合う科学と商売が求められているような気がしてならない。

10年以上まったく使っていなかった船がウラジオストックで使われる為に行ったが~

10年の間に雑草は直径10センチほどの木になっていて それをチェンソーで伐採して不用意に船に乗り込んでキャビンの中に入った。

キャビンの中には黄色スズメバチの巣が一個と多分足長ハチと思われるハチの巣が二個もあった。
狭いキャビンの中で逃げるとこは何処にもなく中にあった魚のタモ網で応戦したが多勢に無勢でハチ達にムタクタ刺されてシマッタ
考えたらタモ網とパーツクリーナー( パーツクリーナーはなぜか黄色スズメバチは大嫌いらしいスズメバチに聞いた訳ではないが )で応戦してもB29に竹槍だった。
いまこうしてられるのも不思議 
以前から多少銭にも色にも眼はくらんでいるが数日眼がおかしかった。
教訓 黄色は注意 赤止まれ バカはクタバラナイ

カジノ、火事野

金に色は付いていないと日本マクドナルド創業者藤田田がその著書「 ユダヤの商法 」の中で言っている。
これはどんな稼ぎ方をしようが金を持った者勝ちと言う考え方になる。
武士は食わねど高楊枝と言ったのは江戸時代の木っ端侍
これは銭では腹減っても動かん銭を儲けるにも道を尊ぶと言う考え方にもなる。 

カジノ法案が通ったが儲けさえすればどんな方法でも構わない金には色は付いていないと言う考え方になる。
自民党は教育に道徳時間を設ける事に一生懸命だったと思うのだが

外国人観光客用らしいが そもそも外国人は日本にカジノを求めているとは思えないし
帰りの旅費までスッテンテンにすった外国人が神社やその辺で野宿し始めるのではないのか
留萌がロシアとの貿易港だったので早くからロシア人との付き合いがあるが
ロシア語に限らず外国語は生半可なうろ覚えで商売をするととんでもない無い事が起きる為に通訳を入れて話をするが
その永い付合いのある通訳が最初に言った事はロシア人とは絶対に喧嘩はするなと言う事だった。
国民皆兵のロシアは当時彼らはアフガンなどで実際の戦争を経験してる その瞳は相手の生死を見続けて来てるのだと
脳天気な日本人とは違うとロシア人の通訳に一番最初に釘を刺された。
恐さも知ってるせいか義理堅さは日本人の比ではなく普段は明るく気さくな連中だが実際に北海道の北の港で襲撃事件も起きている。
国民皆兵のロシア人と金とメンツが絡んだら異文化交流などと脳天気な事では生きてはゆけない

さ~自分の町内に外国人のカジノを作って欲しいのか さ~どうする。
自分が嫌なものは他人にもさせないのが道徳と言うものだと道徳本町の共同アパートに一年住んだ俺はそう思う。
沖縄本島より広い留萌支庁管内にたった61000人しか住んで居ないが そこにざっと5~7件ほどのパチンコ店があり
そこには昼間から大勢のギャンブラーがいる 昼間からパチンコを出来るのは一体どんな職種なのか留萌管内に夜勤をする仕事がどれだけあるのか
さらに人が不足していてこの時期はサクランボ農家に爺婆まで駆り出されてるのだ
その中でギャンブルを昼間からやっていられる人達の収入源は一体なになのか
寺銭は誰が払ってるのか不思議で仕方ないのだ。

今の自民党は一体何を目指してるのか そもそも自民党は経営者サイドの政権なのにどうしてこんなに票を集める事が出来るのか
大阪にゆくと誰でもシャッチョ~と呼べば間違いないと言うが日本はそんなに経営者が多いのか
民衆は景気と言うマインドコントロールに掛かってるのだ。
給料は上がらんのに内部留保は過去最高と言うではないか
経営者全部とは言わんが 経営者は俺から始めいつ突然辞めるかわからん奴の人件費など少しでも少なくしたいと考えている。

カジノは日本国民が選んだ道なのだが願わくばブラキストン線からコッチャにはカジノは来て欲しくない

江別 川上丸

なんのコッチャ 昨年ふっと休みの日も律儀に金利を取る銀行の年間休日はいく日あるのかと数えたら127日ほどあると知った。
これは三分の一が休みで 銀行員になるほど頭は良くないが都合の良い所だけ合わせようと4日働いたら3日休もうと決めたのだが
定休日でさえ午前中は仕事があるなど全然そんな状態ではない 
さらに困った事に作業が年食った分確認に確認と手間取る事によって時間が掛かるようになってさらに時間がないなんのコッチャ

だが仕事が量が実際にあって忙しかった昔よりキャッシュフローは仕事を減らした現在の方があり
これは電圧と同じで電気の流れを一時的に遮断する事によって電圧が急上昇する逆起電圧現象のように
一時的なものかと思ったが仕事上のキャッシュフローはここ数年資金ショートもなく安定している。
思うに消費一辺倒の成長戦略には何か経済学者や嘘付き首相や政治家の言う物とは全然違うものがありそうな気がし始めている。  俺にとっては誰が月に行こうがナンチャラ星の泥芥を持ち帰えようが隣村で恐竜の骨が出ようが俺の生活には大した関係が無い!  これからの科学は地球を自然災害や卑怯者やロクデナシが起こす人災などから守り維持をする為の商売と科学が求められてゆくような気がしてならない 
それは何もしない事も一つの選択枝ではないのかと勝手に思い始めてる。 
それもあり勤労意欲は無くなりつつあるのだが半世紀に渡りやって来た仕事兼趣味なので
身に付いてるかどうかはまだ分からないが手を付けると面白味が出てしまいなんってコッタなのだ。
最低限自分で売った人達とその機械と一緒に朽ち果てようと思っているのだが
極貧を経験したので欲の固まりでセコイので徹底的に食い潰すと言う根性もなく
せいぜいその辺をチョコマカチョコマカと軽自動車で動くだけで終わって
なんのコッチャなのである。

江別 川上丸 原寸 大き過ぎて全体を写す事が出来なかった。
川上丸は石狩から札的内までを石狩川を航行して大活躍をしたらしい この船がある事を知ったのは月形集治管に何度も行って囚人の移送に川上丸が使われた事を知った。
身に詰まされる話で
これは一度は自分の目で見てみたいと思い始めて何の下調べもなく
いつも通り唐突に思い付きで出掛ける事昨年から3回 休館日やなんやで3度目でやっと見る事が出来た 中に入って舵輪を回して見てエンジンを見て甲板に寝てどんな夢を見るのかみて見たかったが
吊ってあるので中に入る事は出来ない勿体ない 
ついでにも一つホイ館内に美味そうに展示してる八つ目ウナギの店コジマに食いに行ったが秋しか食えないとの事だった。
なんのコッチャなのである。

砂川ラーメン

砂川ラーメンを食い続けて感じたのは これが砂川ラーメンと言う物が無い事だった。
多分思うには旭川ラーメン圏と札幌ラーメン圏とに挟まれて どちらも吸収しながら独自のラーメンが進化してる最中なのだと思う。麺も札幌ラーメンによくあるスパゲッテーの様な麺から旭川ラーメンにある麺自体を食う麺と色々 大盛り無料などもある。 
固定観念を持たずに自由に他所は他所と縛られない事が砂川ラーメンの魅力なのだと思う。
幾ら科学が発達しようが個人の自由や好みの分野は犯してはいけないと思うのだが
現代は普通に この個人の好みまでを操作する事が出来る まった最近はまんまハマッテしまう人が多い
手法はおもうに事前の分析とネット情報を使い選択肢を狭める事によって自由に選ばせない
その手法は共和党と民衆党 田舎の町を二分する処までやる町長選 現在に至っては与党対野党と徹底的に分ける。
お互いを叩く方法や一か所だけを宣伝する方法は早くからネット会社が操作をし続けてあっと言う間に
何がなんだかわからんようにしてしまった。
それを見た者は自分の目と耳で確かめた事でもないのに確信的か盲追なのか確かめもせずに
さらに何処かに流す現代は怖いなと思う。

俺が言うのもなんだが思うに 
如何に便利な物でも他者に危険を及ぼす可能性のある物は船でも車でも段階に応じた免許が必要になってゆくのだが
このネット社会は使える者は誰でも僅かな銭を払いさえすれば三歳児でも子供でも常識の全く無い大人でも、どんな奴でも使う事が出来る。
だがそれは三歳児がステック操作の大型ダンプや19トン船を操作出来るから乗っていいと言うのに近い
さらに厄介な事に自分の吐いた毒を回収する方法が無いし自分の好みにあった毒を探しそこに安心感と満足を求めてゆく

なぜそう思ったのかは
最初は砂川のOさんに言われた事が切っ掛けだったが
今回の店店を探すのに初めて食べログなるものを見て参考にした。
俺は俺とハイわかりましたと言う素直な俺ではないのが 
それを流されるままに参考にした事が少し怖いと感じたのだ。
大体が有名人嫌いな俺が有名という事で店に入ってシマッタ


砂川に全然関係ないが馬籠宿で数組の日本人グループもいたが 
このドイツ人一行だけが左に曲がり土と石で出来た山道をどんどんゆく
俺もチャッカリ何を喋ってるかわからんガイドの説明を聞きながら山奥に進む 
雨の中自分の目で見ようとする姿に感動した事があった。

この俺は俺と言う砂川ラーメンの店店には
芦別岳を中心にした砂川、美唄、三笠、夕張、芦別、赤平、砂川と旧産炭地の特徴なのか
型にハマらん混沌とした石狩川左岸、砂川の魅力があり、これからも機会がある度に立ち止まって見たいと思い始めてる。

砂川Ⅱ

今週火曜日で砂川有名処のラーメンはほぼ食った。
砂川でラーメンを食うには午前11時から午後2時頃まで再開は夕方と営業時間が少ないので中々大変だったが
この営業時間に関しては美味いラーメンを作ろうと思ったらスープを加熱し続ける事は段々劣化するので一旦休む事は合理性がある。

いまは商売とは待ち続ける事と駅前の姿はむやみやたらに変えるべきではないと考えるに至った俺にとっては一か所とても興味深かったラーメン屋があり 
その姿勢は田舎の小商いの見本になるかも知れないと思った。
砂川駅前にあり小さなその店で食うには暗黙のルールが幾つかあるらしく 常に不機嫌そうな昔は綺麗だったと思う、お姉さまがラーメンを一人で作っていて立待客が数人いるほどだった。  
ラーメンの写真を撮るなど厳禁らしく怒られる 価格表もどこにあるのか 
その昔は綺麗だったと思う、お姉さまは常に不機嫌か言うと そうではなく知合いと思しき人が入って来ると世間話をし始めるのだ。
それも久し振り~などとお互いに言って子供が学校に入ったとか言っている。
このひとは誰か旧知の人が来る事を待ち続けてるのかも知れない 
映画などのワンシーンである居酒屋の女将が待ち続けた客が来ると暖簾を下ろし昔話にこうじるそんな感じなのだ。
その無愛想は流行らなくてもいい日々食ってゆくだけあって誰かを待ち続けていけるなら、いいと考えてるのだろうか
その為に人を雇う事もなく客を待たせる事もいとわないのだろう。
だが誰かに美味いものを食わせたいと頑張ってる結果が望まぬ客が一見さんとして大量に来てしまってるのだと思う。
価格もいつ頃からの価格なのか破格の450円なのだ。

駅から発って行った誰を待ってるのか そしてその人は戻って来たのだろうか


雄信内駅前 竹内商店 酪農と農村地帯の雄信内駅は通勤客は無かっただろうと思うが 
ここから出稼ぎにいったり地元を去ったり 子供達がここの前を通り通学にも通っただろうに通りに明かりを灯し続ける事も たいした儲からんでも続ける事も大事な商いの道なのだ。

みんな蔭から誰かに見守られて育って来たのだ 自分一人で大きくなったと勘違いした結果が各種事件に繋がっているような気がしてならない。  
現在のJR線路も一人で育ったように勘違いしJR北海道も自治体も儲からないなら廃線してしまえと乱暴な考えかただと思う。
何かの方策はないのか唇の薄い薄情者でセコそうなJR社長を思い出した。
本当に方策は無いのか
利益と効率だけで本当にそれでいいのか
 
そんな事を思わせた誰かを待ち続ける砂川駅前ラーメン屋

待ち続けたのは俺ではなかった様だ~

マヌケな俺

海をゆく時に世界三大発明の一つと言われる。
羅針盤をルネサンス期から少し前まで永いこと使って来た。
だがそれは磁針方位と言う真北とは若干のズレがあり修正をくわえながら進んで行かないといけないし操舵室の環境にも左右され潮流れや風の影響もあり絶えず自分の位置を確認して修正が必要なのだ。
ところが現在の衛星位置を掴んで進むGPSは正確に進路を指し 何処にでもゆく事が出来修正は全く要らない
その為に一度間違って情報を入力してしまった場合はなんの物標も無い大海原は ゆくとこまで行かないと間違いに気付かないそれは現代の科学で便利なった代わりに間違えに気付かずに ゆくとこまでゆく危険性を多くはらんでいる。
人間社会と言う大海原をゆく時にどこで自分の間違いに気付き修正を加えるか それは原理原則で生きる馬や鹿や自然に学ぶ前に やはり人間社会に学ぶべきで たえず修正を加えて行かなければない 多くの友人知人に学び失敗に学ぶ誰かと疎遠になる手痛い失敗をする、その原因は何だったのかそこに真剣に学ぶ 三日かも知れない三ヶ月かも知れない三年かも知れない その原因を外に求めた場合はほぼ修正は出来ずに また条件さえ揃えばまた同じ事が起きてゆく
原因は我にあると思った方が 我を変えさえすれば過ぎ去った時間は戻らんが これから先の人間社会のかなりの部分で我のゆく道が見えると思うのだが
失敗は銭を失うかも知れない、腕の一本くらい折るかもしれん多少痛い思いもするかも知れないが 失敗は天が神が呉れた暗示なのかも知れない
何がなんでも失敗を恐れずドンドン進めとは思っていない 我の失敗は気付かなくとも誰かに迷惑を掛けている事は間違いないのだ。
土曜日に青い車に乗って来た人に火加減を間違えてマズイラーメンを食わしてしまった。
失敗してしまったスマン
万が一再度逢う事があったならひと月分の無料ラーメン券を発行しようと思うのだがどこの誰だかわからん


最近この「 ゆ 」という字が大層気に入ってるのだ。
マヌケな俺をゆるしてくれ

砂川

あらためて衝撃を受けた。
なんであんな こ汚いオヤジに高学歴の者達が考えなくてもわかる犯罪を犯してそれも何度も繰り返すのか 
その構造仕組みは解明されたのか何省などと もっと研究すべきではなかったのか 
それでなければ浮かばれない人達が大勢いいると思うのだが
そう思ってみるとつい最近も高学歴の者達が普通に考えてもわかる忖度や検証の必要な文書改ざん廃棄をしてしまう。
その構造仕組みは 自分の何を担保に取られてしまったら加担してしまうのか 

砂川でラーメンを食ってみないで やれラーメンが固いとかやれコクがとか言ってると 
チコちゃんにぼーっと生きてんじゃねぞ と叱られそうなので
大雨で外仕事が出来ないと言い訳して濁流の石狩川を超えて泊で砂川でラーメンを食い続けた。
最初は軽い気持ちで行ったのだが 
滝川には頻繁にゆくのだがよく考えるとどこから滝川でどこから砂川なのかわからんほど近くさらに同じ石狩川の左岸にあるのだが 
北海道の大きな街は石狩川の左岸に集中し多くの町は川の字が付く
砂川は余程用事でもない限りは通り過ぎていた街なのだが まじまじと見るとこれほど滝川と砂川と似ても似つかない街は他にあるのだろうか思ってしまった。
数年前にラーメンを食った時に一杯450円はこの店だけなのだろうと軽く考えていたが
砂川は一杯450円や550円は当たり前だった事が今回わかったしさらに味も美味いのだ。
ラーメンに関してはアイツが大好きでも俺は大嫌いと意見が極端に分かれる珍しい食べ物なのだ。
それが滝川駅と砂川駅はおよそ5~6キロしか離れていないのに価格帯も味も全然違うのだ。
一体これはどう言うの事なのだと思い始めて注意深く見ると あちこちの建物はやたら大きくて屋上にヘリポートまである。
さらに菓子屋の多い事それも異常に多いのだ
さらに焼肉屋に飲食店も異常に多い事に気付いた。どこから境界なのかもわからん隣町滝川は寂れた感が満載だが
砂川は元気が一杯で不思議が一杯の街が砂川

砂川の今までのイメージでは野郎は財布にクサリを付けて腰から下げてオリャ~オリャ~とジャラジャラ言わせて歩き
お姉さまは朝からヒールの高いサンダルを履き古代エジプト人のクレオパトラ風の白系のサラサラったワンピースを着て歩くイメージがあったのだが
三日もいればなんだかわからんが元気で奥の深い街だと気付いた。
でもその差はなぜなのか不思議が一杯なのだ。続く

バカこけ

月曜日から降り続いた大雨で水槽の水取り入れ口が石や流木で夜中に流されて水槽の水が止まってしまって
気付いた時には一番大きいニジマスが一匹だけオッチンデしまった。
その後は水道の水を源泉掛け流し状態にしたが増毛の水道水はそのままでもなぜか渓流魚でも飼育出来るのだ。
いまやニジマスは川でも池でも何処にでも居てニジマスは持ち帰らないようにしてるのだが 小さい時には狙ってる魚と区別が付かないので三年で一センチほどのものがこんなに大きくなってしまう。
思うに一匹だけが大きくなると他のエサを横取りする為に異常に大きくなってゆき他は大きくは育たない
その為に大きい魚を別水槽にするのだが活動域が大きくなってさらにエサを食う さらに大きくなるの悪循環に落ちいる。
まるで今の社会や政治のようなのだ。

岩盤になってる崖の石が崩れて来て大きい物で直径20センチほどある石がベットと壁一枚隔てた川を転がって来る音が凄いので目が覚めてしまうのだが
慣れと言うのは怖いもので雨がチョット強く降ると毎度の事なので最近ではまたかと気にならない
これもまるで現在の政治の様なのだ。


昨年から軽自動車に替えたが 最近気になって仕方ない事があるのだ。
俺の車と大して変わらん車が白いナンバーなのだ。以前あった排気量ボアアップ版とも違うようだし
物売り商売でよく使うカラーバス効果なのか気になり始めたら次から次と来るのだが一体なんなのだ。
と聞くと寄付すると白ナンバー貰えるらしい~
そう思って見ると軽は一体いつの間に黄色ナンバーに変ったのだ さらに最高速度も60キロに上がってるぞ~
板厚など作りは高い割にケッチクサいが税金は安い車検は二年といい事づくめではないかと言う事と引き換えで黄色ナンバーなら甘んじて受けようではないかと思うのだが
黄色ナンバーに皆は劣等感があるのかここに来て白ナンバーがやたら出て来る構造が気に入らない
銭さえ出せば~中身は何にも変わらんが 銭さえ出せば~国民の劣等感を払しょくさせまっせ~と言う お上のその根性が気に入らないのだ。
借金一千兆円で金が無いならオリンピックはやるな
まるで三河の百姓の出の藤吉郎に官位を売り付けた公家や都会にある中身は板張りなのにレンガ模様の壁と同じではないか
切ったらチ~の出るような無垢材こそが真実の道に繋がるのだと
バカこけ~貧乏人で 軽しか買えない維持できない俺は意地でも黄色ナンバーでゆくのだ。
俺は高速は走らんが料金はナンバーの大きさと色で見分けてるのだ像~

内開き 外開き

以前にドアの開く方向を書いたが危ない業界は安全の為にはドアは外開きにすべきで内開きにすべきではないと

俺は性善説を信じてるが危ない現代に置いてはドアは内開き外開きには大きな違いがある。
北海道は風除室がないと朝に外に出れなくなるし体当たりでも押し入られる可能性が無い人達は過剰な防備の為に失うものも沢山ある。最たるものは疑心暗鬼に負ける事 今まで生きて来てコイツは本当に悪い奴と思った奴に逢った覚えがあまりないのだ。
どっちを選択するかは本人の自由と言う事で 

欧米は防犯上内開きが主流と言う CMにレスリング選手が出て来るナンチャラ言う有名防犯会社は欧米ボケ平和ボケで間違えてる。  
欧米の内開きはもっと違う理由があると思うのだが
船の扉は浸水と水圧で押される為に外開きになっている。こんどフエリーに乗ったら内側はどんな構造になってるかを見て欲しい
さらに安全を考える時はドアには取っ手やノブを付けるべきではなく鍵を回して鍵の頭を引いてドアを開くようにしなければない これは鍵を奪われない限りはドアを開ける事が出来ないし 
もし襲われた場合に中に子供などが居る場合は鍵を何処かに投げてしまえば取っ手の無いドアは中に侵入する事が出来なくなる。
内開きのドアだとガタイのいい奴なら思いっ切り体当たりでラッチは壊れて内側に簡単に開いてしまうのだ。
外開きは内側に船のように頑丈なドア止めが有れば簡単に開く事はない
安全の為にはドアは外開きでドアノブや取っ手は内側にだけで外側に有ってはいけない

その為に危ない業界のドアはドアノブも無く外開きになっているので 別に内開きにすると中の靴がズルズルと引っ掛かるから外開きになっているのではない


ゴリラ対ゴリラ ヤクザゴリラは開けれないと自信があるのか「 破ってみんかい~ 」と強調してる。
どっちもどっちなので判別付ける為に白いラインが入ってる方が警察 チェンソーなどは鉄製ドアにはハッタリだけだが まさかとは思うが使い方によっては エンジンカッターでラッチを切ってもドアノブが無ければ引っ張る事は少々難しし 外開きはカンヌキが別にあったら開かない 内開きはラッチを切ったら簡単に開いてしまうのだ。

恨みを買ってる者や危ない業界で生きようと思ったら裏口のドアにはドアノブは付けてはいけないし外開きにしなければ危ない
内側にサムターンを別に付けて相手を確認してからサムターンを開けなければならないのだが
身勝手で卑怯者の犯人が最初に侵入した交番の裏口のドアが内開き外開きどっちだったのか

御口直しに

うら~うら~とあっと言う間の人生だった。