光陰矢の如し

こないだよく知っている某内地からジャガイモの後志に移住して来たと言うやたら元気な若い人に逢った。
若い二人を見送り俺にもあんな時代があったのだとなんか不思議な感覚に陥った。
俺がここに移住して来て30年で思えばあっと言う間の人生で
上手く説明は出来ないが過ぎた時間はあっという間なのにこれからの時間はやたら長い
同じ時間なのにその感覚が不思議なのだ。
毎日毎日仕事で疲れ切って寝ていた部屋の横にあった包里の踏切
カンカン鳴る音も列車が通り過ぎた瞬間にまるで何事も無かったように静まり返る。
音ばかりの音は聞こえるが姿は見えずの五月蠅い暴走族のニイチャンもビンビンバンバンとそれでも過ぎ去った後は何事もなかったように静まり返るそんな感覚なのだ。

それは過ぎた時間がいつまでも同じく残っていてはたまらん人生だと思う
あっという間の人生だった思える事は幸せな事で
たまに後ろを振り返る程度がよく
忘れると言う事は前を見て進み生きて行く為に大事な事なのだと思った。
人は眼も耳も鼻も前を向いて付いてるのはそれなりの意味があったのだと


港区入船

北海道は出来てまだ日も浅いがそれだけに誰でも受け入れる懐の大きさがあり
今となってはここが一番長く住んでいるがここでほんとに良かったと思っている
その土地に長く住むコツは年寄りの話はウンウンと聞いてやる事だと思うのだが

自民党と野党

金儲けが上手すぎる自民党が何もかもが悪い訳でありません

国をひとつの家族と考えた時に
頭がよく知識もあり先も見える為に一歩が踏み出せない事はよくある。
阪神淡路大震災の時の総理大臣は社会党の村山富市で初動の遅れを言われている
この頭のいいのを長男として

山からカキをカッパラって路地で売って銭にするなんでもやって銭にする
イケイケで塀の上を歩くのが自民党で次男とし

身体が弱く自立出来ない妹がいて身体が弱いと気も弱くなるのが普通なのだが
たまにはウナギを食わせろと言い兄弟から俺達でさえ食っていないと言われる妹


奥能登

これを一家と考えると弱いから悪いからと取除く事は出来ない
皆が持ち分を生かし一家を支えていかなければならない
足元の3寸角に上がっただけで見える世界が全く違う感じがするが
それが兄弟であっても見てる物も考え方も違って当たり前で
その違う人間が夕餉を一緒に食い
その日見て来た物を感じた事をそれぞれが雑談で言い合う事が大事でそこから一家をひもじい思いをさせない事に繋がっていく
食って行く為に身体の弱い妹を何処かにやってしまったら
それはもう一家とは言わない

目先の金儲けが上手い自民党と頭がいい先の先を見る事が出来そうな立憲民主党も野党も
一国の中でお互いの得意分野を生かし一家を支えて行かなければならないが
問題はこの長男と次男が選挙によって入れ替わる事がある為に欠点の探し合いになってしまっている。
得意分野をお互いに認め合い分担しあう事をしなければならないのだが
自民党も野党もそれほど腹が太くはない そのセコイ議員を選んでいるのは国民
ひとつの大震災が起きた時はそのお互いの得意分野が生かされる時だと思うのだが
資本家に太いパイプを持つ自民党は経済再建を
庶民の味方と言うのであればその見識を持って野党はきめの細かい生活再建と
自民党も野党も共同体で進まなければならないが
野党はどうも普段から庶民の懐に潜り込んで根付いた活動はしていない様に見えるし
野党として震災に出来る事をどう対処するかと言うビジョンも行動も無いように見える。
野党党本部の非常用食品を持って現場を見て長靴履いて自分の身体を張って柱の一本でもよけてみれと思うのだ
見ようとする者に見え、聞こうとする者に聞こえる そこから見えるものは必ずあるのだ。
口で言ってはいるが選挙の時だけで実際に懐に飛び込んではいないのではないかと見えるのだ。
庶民の味方の立憲民主党はグリーン車に乗ってはいけません普通車自由席に乗って
垣根のある家に住んでもいけません


新橋のカプセルホテルから
自分の生き様を変えないこいう生き方は俺は好きだが根性が無いので出来ない

続火炎土器考察

日本海は元々は宍道湖のように閉塞された海水湖でその為に海水型珪藻土は日本海側に多く見られ稚内でも産出される。
氷河期に陸地を渡って来たモンゴロイドが縄文人の元で氷河期が終った事で陸地が消え独自の縄文時代を築いて来たと考察する
氷河期が終った時に宗谷海峡や間宮海峡が出来て対馬海流が起きすでに海岸隆起で出来ていた能登半島は対岸から対馬海流に乗って来た人達によって石川や富山などに辿り着いた人達が住み着いた場所になって行ったと思われ
そこから温かい南の現在の滋賀や濃尾平野に移動した結果が信長や秀吉や家康などを生んで
近代ではトヨタやホンダ、ヤマハ、スズキ、キャノンと日本の中心を作って来た。
もし能登半島が無かったとしたら対馬海流に乗って来た人達は東北や北海道に漂着しただろうから現在の日本はまた違った状態だったかもしれない

漂着した中でも新潟に着いた人達は信濃川と言う途中で千曲川と名前を変えながら流れる日本最長の川を遡り甲府まで行きそこら僅か100キロ程度で太平洋に到達出来る場所まで行っただろうと思う。
信濃川で多く見つかる火炎土器は縄文時代に日本列島統一を目指した証拠なのかも知れないと思っている。


だいたい人様を統一するなどプーチンもネタニヤフも揉め事の種で大きなお世話で不安や困り事は銭になるのは古代から変わらないのである。

縄文時代の天の恵みにもっぱら頼り狩り主体のナントカナルベ~と言う生活から米1粒が600粒に増える稲作文化になってその不安は増大していく
1粒が600粒に増える種は資本主義の原点でそれは皆が皆よく年の種籾を持っていては資本主義の貸借表が成り立たないのである。
言ってみれば困る奴がいないと資本主義が成り立たない
その困る奴を作る為には散財させるのが一番で贅沢こそ美徳と囃子立てる事が行われて来たのだ。
その最初の象徴が火炎土器ではないかと思うのだが
穀物をネズミにかじられない様にと入れて置く土器本来の使用方法から中に火種か何かを入れて
厄~災難~飛んでいけ~ヒェ~ナンチャラカンチャラと言って振り回したのが火炎土器でその為に下が細くなってるのではないかと考察するのである。
現在の資本主義の代弁者でもある自民党はまさしく妖しい妖術使いでさらに杉田水脈などは
怪しさ満開なのである。
話はまったく変わるがそうとでも思わないと自民党と裏金は納得は行かないのである。
物余りの資本主義の次に来るのは自己完結型の質素倹約の縄文時代型ではないかと

毎日が猛吹雪で掘立の竪穴住居穴籠りの状態になり俺の中に縄文のチ~が甦るのである。

軽自動車と火炎土器


フロントのコイルスプリングを変える事にした。
今までのスペーサーを噛まして車高を上げる方法では雪国では耐えれない事がわかった。
時代は変わり昔は車高を下げる事に躍起になったが今は車高を上げる事に躍起になってかなりの銭を使って様々部品を交換して失敗してとその額は10万を超えてしまった。
まさか車高を上げる時代が来るとは!


スプリングコンプレッサーが無いので縮めて結束バンドで固定して取付ける。
軽のスプリングだと3本もあれば充分


毎日猛吹雪の中と狭い中で取付完了
スーパーキャリーは頭が重たいので
これで車高は3センチ上がるらしいが実際にはそんなに上がっていないがタイヤを13インチ付けてるので少しは良くなったと思う。

今までの経験から冬山や雪原でも常に戻る事を考えて行動するのが原則
仕事での冬も海もひとりの失敗は皆を危険に遭わせる臆病であれ臆病者に油断は無い
『 自分の足で進んだところしか戻っては来れない 』
これは鉄則で他人に頼った処で例えばヘリコプターで運んで貰ったりとそこで何かあったら自力で戻る事はかなり難しい
この車は副変速機とデフロックが付いてるので自分で進んだ処からバックだけは出来るので選んだ。


トヨタ博物館 スバル360 1958年モデル 重量 385キロ

スバルは数台乗った事があるがこれはね~屋根は紙を圧縮した厚さ3ミリ程度の紙の板に塗装をして付いていたので
古くなるとフニャフニャになり窓開けて早く走ると屋根が取れた。

今あるメーカーが認証がドッタラコッタラと騒がれているが俺が思うには
軽自動車の本来の二輪車と普通車との間にある車と言う役目から離れていると思う
軽はスピードも制限して高速は走れないなどと規制してそれに応じた車体強度にして価格も下げてやった方がいいと思うのだが
あちこち車で車中泊をしながら走ってると内地は軽でなければ走れない道路はまだまだ沢山あるので軽自動車を本来の状態に戻す事もあってもと思うのだが
昔は車検も無く免許証も360cc免許があって16歳から乗る事が出来て排気量無制限の自動二輪免許を取ると軽自動車にも乗る事が出来た。
年齢が高い人でどうしても車が必要な地域に住む人には速度制限をした車が必要かも知れないと思うのだ
ちなみに軽はバタバタと呼ばれていて人にぶつかったら車もベコベコになりタダでは済まなかったが
ぶつけられた人は運転手を引きづり下ろしボコボコに恐い時代でした。

車本来の荷物運搬や遠くにいく手段から
自分自身の足りない部分を補填する物になった時点から車は別の道を歩み始めていったのだ。


中越十日町市博物館 火炎土器

火炎土器は新潟信濃川流域で沢山見つかったそうだが
これを初めて見た時はなぜここにとビックリこいて腰を抜かしそうになった。
土器本来の役目から火炎土器に移る事と
1万6千年も続いた戦争が無かったと言われる縄文時代衰退から現在に続く弥生時代への移行とは重大な関係があると思うのだ。
軽も独自の物であるべきだと思うのだが

色メガネ

年前から何でもかんでも壊れ続けてメガネもツルが取れて使用不可になったが左目は角膜が駄目でその日によって見えたり見えなかったりとするのでチョット変わった眼鏡で滝川の眼科に行かないと作る事が出来ない
急遽2000円の老眼鏡の左レンズを外して使ってるがイマイチだが楽なのだ。

日によって片目がわずかに見えるのは何かにつけてマズイ レンズが無い事すら忘れてしまい
片方のレンズを外したメガネで仕事をしてるので人が見たらただでさえ変なオヤジがとうとうと来たかと思われるのだ。

診察日と天気が中々合わず水曜日が浜は風速9メーターで滝川が2メーターなのでなんとか峠を越える事が出来そうなので行って来たが


恵岱別峠の頂上 何処を走ってるかは標識の矢印が目安

ここは両側の森林を伐採してしまったので吹き曝しになって冬は要注意でさらに電波圏外
真冬の稲田線は両側に高い雪壁が出来るので夏の様に道路から落ちる事は無いので
突っ込んでもエンジンを止めて一日待てばいつかは除雪車が来るので安心

トレッドが狭く車輪の径が小さい軽はこんな時は不利でいつか軽のキャブバンで15インチホイルの軽が出来たら買おうかと思ってるが無理か~
275に出たらやはり浜とは全然違い楽に滝川に到着して診察を終えてメガネを発注して
せっかく滝川に出たので回転寿司を食いたかったが
とりあえずメシも食わずに北竜まで戻って食糧を調達して様子を見て峠超えをする事に

思い出したらイカンがスシローのあの子は元気にやってるのだろうか
人間生きてりゃ~失敗など幾らでもあるが問題はまわりは気にしていない事も自分の中でいつまでも引き摺り増幅させてしまい無敵の人になってしまう事が問題なのだが
メシくらいは食わしてやるから遊びに来て欲しいと思う北海道はデッカイ道~

これは切替えが出来ない俺自身の事でもあり俺は結構ネチネチタイプなのである。
身体をサッパリと洗い流そうと北竜の温泉に入り待機する
ここの温泉はショッパイ何か太古から人には言えない訳があるのか海に繋がっているのか


夜になると吹雪いているがフォッグランプもあり道が見え始めたので峠を越える事に
車のヒーターとFFストーブを焚いて車内をガンガンに熱くしてるので雪が窓に付いたらすぐ溶ける。


それいけ~峠超え

この先にあるトンネルを超えると酷い事になってなければと登っていく
稲田線は頂上で行政区が空知支庁側と留支庁側に変わり増毛から滝川に行く人は多いが
空知から増毛に来る人は少ないので空知側稲田線の除雪は後回しにされるので要注意なのだ。

冬の車には毛布か寝袋と非常用保温アルミシートを積んで置く事が絶対に必要でそれも安い物はダメで秀岳荘などで買う事をお勧めします。
安い物はタダのビニールにアルミの塗装をしただけで暖かくも何も無い上に身体に銀粉が付いて酷い目に遭うのだ。
作った奴は自分で使っていない

職人

素人にはどうもわからん事が多い「 一番 」と言う事を止めるらしいが
何に対して一番だったのか
17時でC滑走路を使うその日一番の離陸だったのだろうか
それとも複数の離陸機が待っていて一番に一歩出ると言う事だったのか
英語で「 NO1 」はどんな意味で誰にたいしてだったのか
管制官は民間機も海保機も同じ管制官だったのだろうか
同じ管制官だったら民間機にはどこで「 こんばんは 」と言ったのだろう。
なぜ管制官は海保機に「 こんばんは 」と言ったのだろう。
なぜ「 NO1ありがとう 」と言ったのか

修理工を職人と言う人がたまにいるが
職人とは同じ手を持っていても常人では出来ない事をする人達を職人と言うので
人の作った物を分解して組立てる修理工は職人とは言わない
修理の基本は下調べにあって一つの物を様々な方向から見てマニュアルや諸元表を見て分解し組むので時間さえ掛ければ三つの子でも出来ると言われるのが修理工なのだ。
職人はそこにいくと出来そうで出来ない事をやるのが職人でそこら中にいる。
部屋の板を隙間なく張る事だって素人には出来ないケガキすら出来ないのだ
ケガキ線の中心を切るのか右に残して切るのか左に残すのか手は振れずに最後まで真っすぐ進める事は出来るのか
15日は歯の点検に行くがチ~ンチ~ンと高速で削るのだがまさしく職人技なのだ
ただいいと思うのは作業中は相手が何も口出しできない状態において作業出来るのはいいと思う。
管制官も機長も花形職業らしいが秒単位で3次元を飛んで来る飛行機をさばくすべての裏方も職人と言っていい

職人は常にいま以上を極めようとする為に寡黙に無駄口を叩く事を1秒足りともゆるされないと言う雰囲気が多いが
極め天端が見え始めた職人は修行時代の苦労の堰を切ったように結構面白くもないギャグをカマしたり
真っ当に段取り八分などと言ってくれる職人もいる。


太閤通

オリンピックがあった頃に世話になったおばちゃんは多少グレていた俺に
「 物は盗まれるが手に付けた技術は盗まれないから手に職を付けなさい 」と言い続け
自分では木で作った台にパロマのガスホースを差込む口金に棒を差込みクルクルと回して
毎日毎日気の遠くなる様な数の口金を
職人技で染料が垂れない様に、均一の太さの紅葉色の線を引いていた。

物を作る人もこの世を生き切る人も殆どすべての人は職人と言っていい

大田区六郷土手

もしいまより賢く生まれ変わる事が出来るなら今度は物を作る側になってみたいと
小関 智弘著「大森界隈職人往来」を読んでその実在した羽田や六郷土手の周辺を数年掛けて歩いた事がある。


その頃は三日も休めればいいほど忙しく深夜便の全日空で羽田に着き
定宿の新橋のカプセルホテルに泊まって三日後の朝にはここに戻って仕事をした。
なぜに全日空に乗るかと言うと修理工の丁稚になった時に鉄道日本社発行の「自動車工学」を読めと言われて
それ以後廃刊になるまで購読して来たので字は殆どを自動車工学とリーダーズダイジェストで覚えたと言って過言ではない
その自動車工学の中でも印象に残ってるのは人間はミスをすると言う事で、
そのヒューマンエラー対策で当時一番優れているのは全日空の整備マニュアルで自動車工学が全日空整備マニュアル特集を組んでヒューマンエラーを防ぐ方法をどうすればいいかと書いてあった。

海保は羽田空港から浜松町行のモノレールに乗り羽田整備場駅を超えたすぐ右下に見えるのが第三管区海上保安庁で管制官と所轄省庁は同じ国交省になり羽田空港は第三管区のホームグラウンドで全国海保の司令塔でもある。
羽田の事故で違和感を覚えるのは
管制官の「一番目」と機長の「一番目ありがとう」と「こんばんは」の交信だった。
離着時の1秒間で約70メーターも移動する秒単位で大勢の命を預かる人達のあいだにこの言葉必要だったのかと
当時の全日空整備マニュアルではミスをしたら何日も前の日常から遡れと書いてあった。
「ハインリッヒの法則」


六郷土手 物づくり工場(こうば)とオバちゃん
一度大田区から歩いて飛行機に乗ろうとしがた羽田空港には歩いて行く事は出来ない


羽田界隈

能登切り出し七輪

歳食ったせいかNHKしか見なくなったが行った事がある場所が毎日毎日ニュースに出て来るわでなんてこったと思う事ばかりで気が滅入る。

10年以上前に行った能登島
ここは珪藻土の一大産出地で能登切り出し七輪が有名で価格はホームセンターで売ってる物の5倍はする
夏はここのラーメン屋で使っているが焼肉は美味さが倍増するし長持ちする。
落ち着いたら焼肉する時はぜひ能登切り出し七輪を思い出して欲しい

日曜日は毎度だが寝てられないでテレビを見るがNHKの受信料を払って見てる側としては
NHK日曜時代劇の朝こっ早くから暗い時代劇はやめて貰いたい
雲霧仁左衛門の「儲けたい気持ちが先走ったら、商いは終いや」などわかったますと思ったり
貧農の娘お登勢の悲恋などと思いつつもテレビを見てしまうのだが
思うに震災や事故のニュースはほんと可哀想すぎてやり切れない それに比べて政治のニュースはまだマシで選挙などで報復も出来るので先に救いもあるが
昨年末からタブレットはダメになるは腕時計は動きがおかしいし何やら身の回りもおかしいぞ
今年はどんな年になるやら不安ばかり募る。


台場 育児園前

そんな事を思いながら5日は4トンユニックで旭川に行って来た。
冬に4トン車を乗るのは鮮魚トラック乗って以来数十年振りで凄く恐いが儲けたい気持ちが先走って行ってきた。
今時の4トン車はABSやASRなどは当たり前に付いてるが
プラス温度になった路面をカラの4トンユニックは前荷重で怖くて神楽丘まで片道2時間半も掛かってしまった。

普段は4輪駆動しか乗っていないのでゆっくり走ってる車を見るとタラタラ走るなら冬は乗るなと思っているが
今回は流石に前の車にゆっくり走っていいのだよと付いて行くのがやっとだったが俺は凄い勝手な奴だなと思った。
立場で物言いが変わる奴は嫌いだがその嫌いな奴は自分だった。
色即是空

年明けに思う

年が明けてNISAが取り扱いしやすくなったらしい
頭ももう少ししゃっきりしてた若い時に株に興味があってほんの少しだけ持っていたが今はまったく興味が無く持ってるものすべて手放した。
今も持っていたなら月1万8千円年金の少しは足しになったろうと思うが不労所得に頼るのは一切やめて久しい
株価が下がる前に優秀な人材は何処に行っても働く事が出来るからその会社の優秀な人材から居なくなってしまい
内部に精通した人が居なくなってしまうのは売り時なのだが現在は内部の業績とは別に
秒単位で株価が上がったり下がったりをするのは内部の業績が秒単位で変わるハズも無く
それは実態とは大きく外れた処の思惑で勝手に操作してるに過ぎないが株価が下がった時は
簿価は下がりそのツケを内部で実際に働いてる人がリストラ等で払っている。

依然は会社の利益は実際に携わった人達で分配して来たが
いまはそこに株主と言う形で金利以上の高配当に群がる人達が出て来た事により実際に働いている人達の賃金が上がらなくなっている。
いわゆる資本主義の限界を迎えつつあり出口を何処に探すかと言うと海外でそれもグローバルサウスで発展途上国を食い潰す事でどうにか成り立っている。
早い話が自分は働かないで誰かを働かして普通に本業で10パーセントも儲かれば御の字と言う時代に平均5パーセント程度のあがりを頂くのが現在の株配当金でその原資は人件費を削る事でひねり出す事になっている。

5パーセントは買った価格ではなく発行株価に対してなので面白くないと売ったり買ったりとして儲けようとする投機が馬券と大した変わらんのだが
会社の潮目は人の潮目でもあるのだ。
その人の潮目を見る事が出来ない田舎では投機株は買ってはいけませんコツコツ地道にが一番


現時点で唯一安全なのは全国民を担保にしてる日本国発行の国債


2011年 東北大震災
この時一番最初に店を出したのは関西創業で阪神淡路大震災を経験したプレハブ営業のローソン

年明け早々大変な幕開けになったが羽田は民と官の衝突でなければよいが
合掌

年の瀬の天国と地獄

年末は毎年の事だがかなり遠い過去の事や様々な事を思い出したりと立って歩くのもやっと言うほど疲れる。
すぐカッとなる性格はかなり納まって来たが
それでもまだまだなのでカッとなったら数分待つようにしている。
年末にストーブを売に出したが決済が中々前に進まないのだ。
ムッと来たがガキの頃を思い出した。
原野二線で朝になったら顔に雪が積る様な隙間風が入るバス停より少し大きい小屋に没落した一家6人が住んで居た。
マキストーブ一丁のロクな暖房も無い時代があった事を忘れていた。
その頃を忘れたら俺などはタダの短腹なのだ。
気付きをさせて貰った貴方の苦労はありがとうなのだ。

国連ナンチャラから振込用紙が来たので26日に郵便局に振込に行った西から行った角を曲がりあと数メーターほどで着くのだが排雪の為に旗振りニイチャンが行けないと言う 見えないが何処でやってるのだと
「 すぐそこだからいいべ 」と言うが難くなにダメだと言う
信金の銭を出す小屋前に路駐をさせて郵便局に行って済ませて出ると白い車が郵便局に入って来た。
ムッと来た俺は旗振りニイチャンを地獄に落としてやろうかと
「 アイツが良くて俺がなぜダメなのだ言ってみれ 」と言った。
ニイチャンは一言「 殺されそうになったから 」と言った。
どう考えても白い車のニイチャンより俺の方が殺しそうな顔をしてると思ったがコイツ会社で応酬話法を習ってるなと思ったが
俺は大笑いをしてシマッて 「 ニイチャン殺されるなよ 」と言って車に乗った。

留萌の川北は昔気質の人達が今でも住む地区で歳前に修理代を払うと言って電話が来た。
路地に入ると車はすれ違えないし内心行きたくないなと思ったが出掛け高そうな数の子を貰ってしまった。
帰りに買い物の為に警察と消防署と小さな病院がある通りに出たが
両側四車線が豪雪で一車線になり交互通行になってしまって その真ん中に車が止まっているので双方とも詰まっていた。
クッソこんな処に止めやがってと思って車を見てると婆さんらしき人が降りてるが
一瞬見えなくなった。
あれっと思って見ていたが数台詰まっていたが誰も車から出て動かない
もしやと思って車を飛び出し運転席で前しか見ていない爺に動くなと言って走った。
後ろ座席から降りて転んで車の下に半分潜っていた婆さんを俺は引き釣り出した。
もう少しで天国に行くかも知れんかった。
それにしても後続車線の車は見えていたはずと思うのだが誰も降りては来なかった。
こう言う時は気の短い短腹は動きがまだまだいいのである。


しめ縄は五穀豊穣の神農皇帝を神と崇めるオヤジから買っていたがホームセンターが売る様になってから商いを辞めてしまった。
ホームセンターで売ってるしめ縄に有難みを感じないので取って置いて毎年使い回している
松の内が終ったら又しばらく作業服の下にお隠れになって貰います。

俺は思うのだが小商いの懐に手を突っ込む様な商いを大手がやったら地域の崩壊を生むと思うのだが
天国と地獄