うどんをラーメンと出しては怒られる
ラーメンをうどんと出しても怒られる。
北海道人にはハッキリとしたラーメンの形があり崩す事は出来ない
それでも続ける事によって異質な形そのものに魂が宿っていき認めれるのは三世代おそよ90年ほど掛かるのではないだろうか
ただお湯の中にある物質の塊に魂とはどうやって出来て行くのか
一体どこに雪があるのか
今日も汽車が来る事は無かった冬になって雪崩れの恐れがあると運休している。
留萌沿線の郡部に住む人は今でも留萌にゆく時は小奇麗な服装をして出かける。
御料地などから馬や自転車で駅まで来て汽車に乗り稲穂や海岸線を見ながら
留萌駅で降りて
買わなくてもいい見てゆけと店主の心意気のウインドを見て歩き
歩く道々の珍しい物や道行く人の雑踏
いつまでも回り続けるコマ
日劇前の五十番のラーメンを食って帰るのがフルコースだったのだ。
子供が親と共に食ったラーメンの味がラーメンなのだ。
昨日は秩父別のひとに用事があり峠を越えて15年振りくらいに逢った。
どこから来たと言うので増毛から来たと言うが
中歌か舎熊だったか増毛にボート屋をやってる知り合いが居ると言う。
俺がその本人だと言うがなんぼ言っても話が合わない
そのうちに随分年食ったなと言われた。
記憶にあった俺の顔はもう固定されているのだ。
お互い幾つになったと話になったが相手は75歳になっていた。
それでも油で汚れ片足を引きづり、この仕事に付いた者の勲章のように手を怪我していた。
たった一人の従業員と思われる若い子も言葉少なく油と埃でコタコタになって働いている。
自動車解体業は朝から晩まで油を爪の奥まで染みこませ粉塵を吸って働き寿命を縮め
まさに身体を刻んで売って稼いでいる。
ラーメンとはそんな食い物で銭金を超えた物なのだ。
それでも汽車は来る事はない