標茶の街
訓子府 津別 弟子屈 標茶と来て大楽毛に行って仕事は終わり
後はフッと疑問に思ったので帰りも同じコースを戻って見る事にした。
それはどうして増毛に人が来るのかと言う事だった、訓子府 津別 弟子屈 標茶も町は新しい建物で通りも綺麗だが
これらの街に仕事以外で泊まりには俺は来ないだろう。 それは周辺地元の人が快適暮らす為に作られた街で何もかも綺麗過ぎて俺には合わないからなのだと思った。
これらの街は女優で言えば剛力 彩芽ちゃんのような街で確かに可愛く美しい
それもTPPで大きく変わるだろう これ以上の繁栄は何を誰の為のTPP
よく行く砂川や赤平の街は歴史から置いて行かれた冷凍保存のような街で日の当たらない路地や裏があり 泊まって 裏ぶれた呑み屋で呑んで見たいと思わせる所がある。
赤平は女優で言えば、加賀まりこ ちょっと近づくと危ないと思いながら、ついうっかり近づいてシマッタような
砂川は山口淑子 朝こっ早くから踵の高いサンダルでコンビニに買物に来て ちょっと兄さん~人生狂わしたりまっせ~ って感じ
この旧産炭地周辺はどちらもよくゆくし友人も多いしなぜか俺には安らぐ
増毛の街は 岩下志麻 おんどれ覚悟しぃや~ここは浜やで~ といった古さの中にもどことなく漁師街の危なさを感じるのが またいいのかもと帰り道で思った。
北斗遺跡
ジャリ道の奥まった所にあるが 滞在時間やや一時間超えで見学者があとから1人来たくらい
これは珍しいあまり見かけない土器があった。上に写る4個
擦文土器と言うらしい 年代は比較的新しい北海道は弥生時代に入っても縄文時代が続きアイヌ文化として残ってるらしい オホーツクに行くと一つの文明が突如として消えた謎のオホーツク人がいる。
課題としては凄く面白く謎を追ってみたくなるが我慢しようと
いつも思うのだが日本列島は元々縄文人のシマで九州などに渡来人が入って来て稲作を広めたが
狩猟や木の実を主とした縄文人の獲物は保存がきかずに、その日暮らしを余儀なくされ現状に甘んじるしか無かったと言うか現状を受け入れるしかなかった、その形態が縄文時代を1万年以上にわたり続いた大きな要因と思っている。
穀物は保存がきき貨幣の代わりになりと資本文化の元になり、ここから働かない者ほど稼ぐと言う現代に繋がる。
確かに何かを得るには何かを差し出せねばならない それはご幼少の時から遊びもせずに勉強するなどの結果かもしれないが
現代は繁栄を得るには海外まで行かねばならない その為に若者を戦争になるかも知れない場所に差し出さなければならないと言う。
逆になぜ海外まで人様のシマまで稼ぎに行かなければならないのか 日本は生産される食い物の70パーセントしか食われていないで後は廃棄されてる。
たった一人しか乗らないのにデカすぎる車にボートそれが本当に繁栄なのか
なんの縁もゆかりも無い親も子も居るだろう相手を撃つ、なぜホワイ!すべては逢う事の無い大金持ちのお金の為なのだ。
極限を究めた者だけが知る、ほんの少しレベルを下げる力を抜く事による数倍の余裕
足るを知る現状に甘んじ感謝する事の大切さを長い事続いた縄文人が教えてくれてる。
数万年も続いた土器文化が終わり ライト兄弟からたった百数十年で買い物か何しに行ったのか冥王星まで行ったらしい
落ち目は加速される事を証明してる。
人類はもう戻る事は出来ないだろうが
このままでは神は許さないとガラスの向こうで警告してるような気が毎度この手の博物館を見るとする。
年は70歳前後か守衛さんか管理人か帰りに
「 これっ 」て呉れた。
自分で時間の空いた時に作ってるとの事で今日の日付が書いてあった。
後から来て先に帰った利口そうな金持ち風の人は貰えなかった、シメシメと弥生人みたい事を思ってシマッタ懺悔
マイクロバスは通れない 車がすれ違えない山道を延々と数キロ登った先に
なんじや~これ
誰も来ない多分 今日は来てもせいぜい数人だろう。
こんな山奥に突然なんぼ銭は掛かったんだと
維持費は町税かなサキリ組んだらいいべやと思ってしまった。
都会のナンチャラ企画だとかイベントコンサルテング企画ナンチャラに騙されたんべきっと
この眼下に湖と草地と見える景色は安土城に似てるが高さは遥かに上
とうとう信長を越えて雲上人に 遥か下にチマチマと働く下々メが~などと