初代

誰が田舎には働くところが無い仕事が無いなどと言った。
ろくに調べもせずに
「 うんだ~うんだ~ 」と提灯を点けて相槌を打てばいいかと思って

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初代創業者は大洞吹き、大馬鹿物とクソ味噌に言われても やり遂げ自分の手で仕事を作った。
佐吉は静岡湖西の山口村の大工の出 孫吉は東阿閉村の二反五畝の赤貧農家の出
その後に大きく成功した人は田舎の貧乏人の出が多いような気がするのだが

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初代が商売上で悔し涙が出たと言うが 
それは嘘だと思う。
悔しい位の事でいちいち涙を流していては創業という事業を成功に導く事など出来ないだろう。
コケにされたら蹴り倒して前に進む気概がなければ創業初代で成功などおぼつかない
それより辛い時に出会った情けや励ましの言葉で
「よっしゃ~この人の為に頑張ろう 」
と思った事のほうが多く 嬉し涙を流したほうがはるかに多いと思う。
孫吉や佐吉ほどでなくとも何か食ってゆく為に仕事をと思った時は田舎ほどその可能性は大きいと思うのだ。
山菜取ってでも最低限の日々食うという事が出来て他の事も出来るような気がするのだが
食っていくだけで良しとするか 商売として伸ばそうと考えるほど
銀行にも相手にされずにありとあらゆる困難とコケにされる。
もっとも今の銀行のほうが昔より投機筋に走るので金利もロクに付けずに金を集めるだけの銀行になって
地域など二番手

自分でも創業初期の頃に大変にお世話になった人が沢山いたが
この野郎~蹴り倒してやろうと思った人もいた。
雪深い越後の大字小字(おおあざこあざ)の寒村の出のイジケタ性格のオヤジだったが、
やたら頭が良く
細かい事を荒探しをしてチクチクと言う言葉にトゲどころか刃が見える気がした
そのうちにふっと、
このクソオヤジに気に入られたら誰とでも上手くやって行けるかもと思った。
最初は機嫌を取って取り入ろうと、まず姿見鏡を見てモミ手の練習をした。
「 へ~へ~旦~那~へ~へ~モミモミ 」と だが、これはブ殴られそうなので却下したが
よーく観察をすると意外な事に気付いた。

それから10年後に大の仲良しオヤジになって飲み会には声が掛かった。
お蔭さんで
我が儘オヤジの代表のようなボートオーナー達と苦もなく付き合うことが出来た。
いまでも創業初代にとっては優しい言葉より厳しい体験が自分を育てているだろうと思ってる。
ただしそれも耐えられる若い早いうちにの話だと思うが

そんな訳で
久美子いとはん親は大事にしましょう。

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