川崎の事件は加害者も被害者も数代前からの不幸な出会いだったと思う。
あの時こうすれば良かった、ああすれば良かったと
たったコンマ何秒で生死を分けるこの時代に
一日24時間、1440分、86400秒 
幼い子達がその瞬間瞬間をどうやって生きて何を思って生きて来たのか
それを伝言ゲームのような不確かな記事を読んで論評する事自体が間違いなのだ。
メデアは世間受けするような事案を取り上げ記者は上司受けするような記事を書く
同じ内容を何度も何度も流し、その内容もたった数分で済んでしまう。
たった数分のその内容を読んでか見て他人が
ああすればいいとかこうすればいいとかと論評をする事にうん?
と思ってしまう。

どの道転がって転がって行くとこに行くしかない
暴力が好きな奴はヤクザにでもなって義理と人情に生きる活路を見出し
頭のいい奴はそれなりの道に生きる活路を見出す。
そんな中でも他人にも受け入れら自分を生かせるより良い道を探して探して歩く
修理の相談以外は
殆どの相談事は自分で結論を持って来る。
それはタダタダ自分の考えを確かめたいだけなのだから
聞いてやるしかない
自分の道は自分で切り拓くしかない
崖から滑落してる最中に雑草を掴んで、
また雑草を掴んで落ちても
そのうちに止まるかもしれない。

一日24時間、1440分、86400秒 
その計り知れない苦労を
その瞬間瞬間をどうやって生きて何を思って生きて来たのかを
本人以外に分かる事などありえない
近いだろうと思うものを思ってやり不幸な出会いを少しでも一回でも減らせる事が
あるなら
たとえ道は遠くてもそれに越した事はないと思う。

みんなどこかしら自分が行く道を探し探し歩く
その先にちょっと先に生まれた者として
生きる道に余裕を見つけた者として
同じ空気を吸い同じ時間をどこかで接点があったかも知れない者として
恥かしくてもこんな生き方もあるんだと背中を見せる事が出来るなら
それに近い者が寄って来る。
ボロ着て油にまみれながらでも そんな中で生きられる本望な生き方はないし
お世話してくれた多くの人達はそれを望んでいるように思う。

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