次の次の次

IMG_2863

国を守る事を個人や村のレベルまで下げた場合
自分や村を守る為にどこまで許されるのか 
武道を身に付ける事は平時にでも確かに役にたつ。
武道をやるとバイクで転んでも頭を打たないし物の動きがよく見える。
結果小さな怪我で済む場合が多い
だが素手で身を守る自信も修練もしてない場合はそれなりの物を持つ事になると思うが
それが金属バットなのかドスなのか飛び道具なのか
実際に身を守る為に携帯所持が許されたとした場合でも 金属バットを腰から下げていたり懐に入れていてゾウモウ村を闊歩して歩いていたら危ない奴どころの話ではないし
疎まれて相手にはされず実際には生活すら出来ないだろう。
現在の日本では家に武器を隠し持つ者がいたらそいつは異常者で真っ当な社会からはみ出す事になり目付きも悪くなり幸せな普通の生活からはおのずと遠ざかる事になる。

日本では500年も前に刀狩を行い現在でも成功し自分の身を守る為でも武器の携帯を許されないから日々の平和が保たれてる。
どこにキッチンにナイフやホークと一緒に引き出しに普通に拳銃がある事すら異常と思わない前近代的国あるのか 
拳銃と刃物は大きく違いがあり、どこが違うかと言うと飛び道具は自分には一切危害が及ばない状態で返り討ちにあう心配もなく相手にダメージを与える事が出来る。
ここが同じ凶器でも飛び道具と刃物の大きな違いでおのずと使用する時の心構えも違ってくる。
中東でもテレビ画面を見ながら殺戮を繰り返す無人攻撃機などを平気で作る前近代的なその国の庶民の考え方を元にやられる前にやれと自分の身は自分で守れと言う
そんな自制心の無い国とは日本は考えも一緒にはなってはならないのはあたりまで
長い事それで日々の平和が保たれたゾウモウ村は素晴らしい田舎なのである。

刀狩以降 唯一刃物を二本も日々持ち歩く事を許された侍は実際には刀を抜かない事を自分の矜持として耐える事に精神面も身体も鍛えた、それが武道と武士道の本来の姿ではなかったのか
それでなければ江戸時代の庶民は危なくて表も歩かれんはずだったと思うのだが

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA