お盆が終わって亡き人がナスの牛に乗って振り返り 振り返り去って行くという灯篭が18日に増毛の海に流された。
思わずの再会の嬉しさや長年探していた人の訃報を聞いたり きたる人が去って行った一抹の寂しさと共にお盆は終わった。
ここから北に4キロほど行ったセイコーマートがある海岸はそこだけが小石の海岸で潮が引く時の音が砂浜にはない音がする。
誰か来たと言っては呑み 誰もこんと言っては小さな身体で健気にラーメン屋で働く
横須賀海自フジケンが見える所から来たと言う、かをるチャンを相手に昼間から呑みで
今年は例年になく沢山お酒を呑んで来月の分も呑んでしまったのだ。
車を駅の駐車場に放置して誰も居ない夕方の港を二キロほど歩いて帰るのだが つくづく思うのは漁師は綺麗好きだと感心する。
狭い船上での作業や修理屋は整理整頓が出来ないと駄目だと思うのだが俺のような整理整頓も出来ない乱暴な奴は修理屋の仕事はやってはいけないと思うし駄目で悪い見本としても珍しい奴だと思う。
適正も無いしやってはいけないタイプで無理に無理を重ねてやった来れたのは本当にありがたい事でみんなの御蔭しかない。
もし油虫の修理屋をやってこなかったら今頃どうしていたのだろう。
自分が恨まれてもいいと厳しい優しさを教えて貰った人や見守ってくれた人達や
いまはどんな事をしても逢う事が叶わない人達や今も生きているなら一目逢ってみたいと思う人達に逢ってみたいと思う お盆なのだ。
マストの上の雲の晴れ間に後光が差す。
兄弟達やオヤジ達に俺が遠く離れたここに元気でいるよと言ってみた。