今日は歩けないほどの猛吹雪

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年から年中全国各地に荷物を発送するが冬は毎日どこかの東北地方の住所を書いては荷物を送っている
初めて聞く場所は地図で確認して、東北ぶらり旅の大好きの俺は今度はここに行って見たいと思ったりして住所を書く度にボールペンで行く旅行をしてるのです。

言葉などは殆ど信じていない俺だが それでも住所を書いて送ってくるメールの短い3~4行の文だがその短い数行に人間性が垣間見られる時があり、そんな時は一生顔を見る事は無い相手でも育ちや思いやりなどが感じられる時がある。
年に千を超える住所を書いて返信して伝票を手書きしてる俺の勝手な思い込みだと思うのだが文だけで言えば田舎と思われる所ほど相手方に対する文の思いやりが無いような気がする。
例えばいきなり『最後までお願いします。』とかは誠意を持ってやろうと思ってる人間にすると
「最後ってどこまでよ 信じれないなら地元で顔見知りから買え」と言う話になる。他にもビックリする文もたまにある。
それは回りが親戚だらけの田舎で見知らぬ人に会う場数が少ないからかなのだと思うし
どこかに都会モンや見知らぬ他人は騙すし怖い所だと言う思いがあるのかもしれない

ここ留萌支庁管内に船でしか行けない雄冬や岩老などや小平の上記念別のようにすぐそばなのに留萌まで出て来るにも交通手段が無く朝の暗いうちから歩いて帰るにも丸一日掛かったりする場所が少し前まであった。
そんな場所の子が高校に入学するには留萌に下宿するしか進学の手段は無かった。
バイク自転車屋をやっていた時にすぐ傍に工業高校があり川を超えた場所に普通高校があった場所で高校生がよく集まったが
信号機も見た事も無いような山奥から出てきた子は一度悪くなり始めると免疫が無いせいか見る見る悪くなる。それも加減というものが無くなる。
いずれはそのまま都会に出て行く事になるのだが苦労だけでは終わらん先が見えるようで可哀想でならない いまやネットや雑誌などで全国均一と思ってるのかもしれんが、よほどのしっかりした目的と計画を持って行かなければ田舎モンは都会には出るなと思っている。

都会など出んでもメシ食えて暮らせれば牛かキツネしかいない田舎で山や海を見て一生終わってもいいべやと思うのだが
東京で若い女の子がなんの因果も無い奴からいきなり後ろから刺されたが田舎出の女の子にとっては都会はあらゆる意味で恐いのは本当なのです。
野郎は都会だろうが砂漠だろうがどんな経験も無駄になるとは思えんが無駄にするも生かすも自分次第と思う。

今日3月2日はある看護学校の卒業式だった。最後の一年は毎日三時間程度しか寝ない苦しい中でやっとこさの卒業をしたらしい。
誰であろうと一所懸命頑張った子の未来を奪う事は許されない。

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