俺が思うに

アラブがいつから砂漠だったか知らんが、おそらく数千年前からの砂漠なのだろうと
食う物もロクに無い気候も環境も厳しい、砂漠で道に迷ったら友とも言えるラクダをブチ殺し背中のコブの水を飲むと言う、そんな所で住んで生きてゆく人は生きるすべを積み重ねて、やがて諦めと強引な納得を得る為の考え方や宗教が定着しそこで暮らす人に受け継がれて生きてゆく
その何千年も続いた貧乏暮らしにある日突然、石油が出た。
俺が勝手に考えるにこの石油が富と共に下々の中に続いた、強引に納得しながらささやかに暮らす価値観や人生を狂わして来たのではないか。

丁度、貧乏人が突然宝くじに当たったようなものだと
壁に向かって充分過ぎるほど考える時間のあった頃に、いまの自分の置かれた状況はすでに数千年前から決められた道だと悟って苦しい時や腹減った時こそ、これが自分の人生なのだと悟った。
いまも自分の目に見えない物や手に掴んでいない物は俺には何んの関係もないと思っている。
いま目の前にある幸せ、春になれば一面に緑が広がり一斉に咲く花、山には食う物がタダで手に入りマキは黙っても誰かが家を壊し持って来てくれる。
ありがたい事に9軒隣は造り酒屋があるし
なぜか俺如きにありがたい事に缶詰は大量に貰い、お菓子は送られて来て、遠く南国の地から果物も貰える。これが何百年も前から決められていた自分の幸せなのだとそして、それが自分の決められた運命なのだと
中学を13歳で辞めて津軽海峡を渡る時に留萌駅のホームで母親に言われた。
「上を見たらきりがない、下を見て暮らし人様に可愛がって貰いなさい 」と
それが母が親から受け継ぎ俺が母から受け継いだ俺の運命で人生なのだと
いまは真っ暗な所に帰ろうがメシを自分の為だけに作ろうがクソ寒い所で仕事しようが、これが俺に与えられた運命でこれで満足してる。
可哀想なのは突然手にしてしまった慣れない石油や現金(ゲンマナ)かもしれない
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新潟出雲崎

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