経済と狩猟民族

5年前に救助されたトンガの漁師どうなってるのか無事だといいが
救助作業動画は嫌だが参考の為によく見る。
救助作業に一円でも貰うとそれは経済行為になる経済となると採算ラインが出来てここまではやるが・・・・それ以上は・・・・・となってしまう。
とっかかったらゲーム感覚でいき一点あがり~としないと気持ちの落とし処がない場合もあり
さらに連れ帰ったがコイツはもう一度元の場所に置いて来ようかと思う奴もいた。
昔の話です。


真夜中にゴソゴソ音がしたら玄関先に箱が置いてあった。
持って来て呉れる漁師は数人いるが誰かわからんカエシのしようがない
タラはどこかと分けてナメタは軽く干して唐揚げと一週間は食いつないでいけるので
一次産業の田舎は食うだけなら何とでもなってしまうのだが

海辺の田舎はKIZAI的には不利で周辺人口が内陸と違い半分は海で住人はタコやらナメタなど銭の持っていない魚類さんが占める。
その為に内陸の経済地域の半分しか見込めないのだ。
でも浜の生活は原始時代の狩猟民族生活に近く農耕民族とは明かに違いがあり
土地に対する意識が低く漁がなければすぐ移動をするし獲物は種籾の様に保存が効かない
それは沢山獲った者はそうでない者に分け与える事しかない
そこに野獣のような者とそうでない屋内に向く者との共存が出来て狩猟民族に経済などないのだ。
それでなければ魚一匹を釣る為に高いボートをドッタラコッタラ

現在の経済とは保存の効く種籾を如何に沢山所持するかに尽き
種籾はすなわち銭でそれは公平な分配など有り得ないのだ。
戦国時代の切取次第と同じで力が優先するその手法は一万数千年続いた狩猟民族による縄文時代
が農耕民族に駆逐され弥生時代に入ってわずか2681年程度しか立っていないがすでに綻びが見え始めている。

パソコンが調子悪く買い増しをしたこれさえあれば何処に居ようが・・・・・・
と思うのだがまだ慣れていない

これからは黄昏た海辺や山の田舎にこそ未来があるのだ。
北海道には沢山の未開や放棄された土地があり目の前には鹿などの食料が闊歩しているのだ。
食えなくなったら都会をすて北海道を目指そう
田舎には住む所も用意してる職場は沢山あり
何せ空き家だらけなのだ。
ここ4000人が住む田舎に来てもうすぐ30年になるがいたって快適
田舎は人間関係がドッタラとかよく耳にするが そんなの当たり前で待ってれば煩い住民は順番に・・・・・・です。

誰かここ4000人の町に来て個人タクシーをする人はおらんのか
限界集落では年寄りは水戸黄門警護役の由美かおるが風呂に入るのを見届けて寝てしまうので真夜中は走らんでいいし
車庫の裏に野菜を作り魚を貰いと楽しい生活が待っている。

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