帰れ帰れ

伊勢湾台風の4年後に海の潮の満ち引きで流れる事のないゴミがいつも漂っていた大江川のすぐ横海抜0メートル地帯
元塩町4丁目の3畳一間のアパートに秋から住んだ。
中一で食って行くのがやっとだったがたまには学校にも顔を出さんとない
その中でこれは変だぞ おかしいと思い始めたのが雪が降らん事だった。
川の土手にも空襲で出来たと言う大同製鋼の穴にも枯れた草がそのままあるのだ。
雪深い北海道から行った俺は何かがおかしい変だぞと思い始めたが それが何だったのかは当時はわからなかった。

田舎者なので歩く事は苦にならなかったが着た切り雀の俺がだだでさえ排他的に感じる名古屋で買い物が出来る場所は栄や熱田ではなく
一番落ち着く場所は今の新幹線ホームがある駅西駅裏だった。
昭和38年代の駅裏は人の背丈程度のバラックの集まりだったが服が普通に50円程度で売られているなどなにせ物価が安い
そこに生活必需品や食料を買い行くのだが明かに言葉は違っていたが
元々留萌の旧市立東病院のすぐ横の出なので言葉の違いなど身近で見て聞いた俺には大した気にもならなかったが
季節の移ろいが無いのだけは体内時計がある様に体内四季を感じて育った俺にはどうしても違和感は残っていった。
もしその時に体内四季を感じる事が出来ない身体だったら現在の俺は生存していないとハッキリ思う。
何か大きく道を踏み外そうとする時に生まれた地で身体に根付いた体内四季が揺り戻すのだ。
帰れ帰れと


雪国の一本道ですれ違えない場合は
歩きで相手が女だったら雪国の男は雪の中に入り道を譲る
逆をやるとそれはもう男ではない、それまでの奴と値付けされる。
それが普通の事なのだ。
車でも大きい車か四輪駆動車が道を譲る強い者、力のある者が道を譲る。
それがどうだこのコロナになっても額に汗する実体経済を押しのけ金融経済が一人勝ちし強い者が力のある者が弱い者を押しのけていいと
男の侠気五常はどこにいったのだ。
避ける事が出来ない厳しい季節が人を作ってゆく
帰れ帰れと戻ってこいと雪が舞っている。

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