帆待ち

あと少しで連休が来る無事に終わって欲しい
出来る事ならなくてもいいかとさえ思ってしまうのだ。
シーズン初めは海は歩いては戻れないと実感する船が必ず一隻か二隻は出て来る。
命への執着はどんどん薄れているのに海への恐さは歳を食うほど深まっている。
ボート屋にとっては高い銭を出して海に出ないお客さんほどありがたいお客さんはいないのである。
海に出ない事が最高の海上安全安心なのだ。


この冬の猛吹雪に一党一強の北朝鮮からの船と思われる木造船が漂着して来た。
まじかで見る船は想像より遥かに大きいがボロボロの木造船で、よくこんな船で波長の短い日本海で漁をするなと思った。
左右の舷は広がらない様に16ミリほどのボルトで留めてあるだけでボルトが切れた時には船はバラバラになるだろう。
同じ海でシノギをする者としてもし乗員が船内に残っているなら荼毘に付して国に帰してやって欲しいと切に願う。

海が開けて漁が始まった これは全部ザッパ魚で流通に乗る事は無い 分け魚にもならない箱代にもならないので捨てるしかない
北海道は広いその為に輸送費が掛かる市場まで50キロなど普通にあるが 
修理工兼そこそこの小商人(こあきんど)の俺にはなぜ道端で売らないのか不思議で仕方ないのだ。
よくはわからんが海で身体を張って生きる漁師は金の事を口にする事は何か卑しいと思ってる節がある 
それは職人と言われる人達にも共通する部分がある 
自分が作った製品をタダでやるから持って行けと言うが買うなら
『 俺からは言わんお前が値を付けろ 』と言う なら一円と言ったら怒らずに渡すのかと
小商人(こあきんど)の俺から言わせると だからいつまでも貧乏こいてるのだと
無意識のうちに原価計算を下手にする処に間違いがあるのではないかと思うのだが 
元々は捨てるものなのだホマチ銭なのだ。

『 このホマチとは帆待ちから来てると初めて知った それは宮津市由良港資料館で北前船の帆から来てると説明書きにあって知った 理由は大阪商人ならではでなるほど思った。ホマチ 』

50円でも120円でも買って貰えるならそれでいいと思うのだが子供に鉛筆を買ってやれるべと
段ボール紙に書いておけばいいだけと思うのだが
海ではクソの役にもたたんプライドがあるのか組合のシバリがあるのか
魚が口に入る それは安い魚しか買えない人を助ける事にもなり魚にとっても嬉しい事だと思うのだが

越冬ヌマチチブ

もっとも魚がどう喜びを表現するのか毎日水槽の魚を見てるがいまだにわからん

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