北前船

いつもなのだが旅から戻ると あれはどうだったべ~と見落とした事を思い出しもう一度見にゆかんとないと同じ処に何度もゆく 
二度目の琵琶湖だったがまた行ってみたいと思い始めてる。

今回は偏西風に乗って北上した北前船の戻りに二つの航路があった事がわかった。
一つは敦賀で荷を馬に積み替えて琵琶湖を船で渡り大阪に出る航路と そのまま下り関門海峡を通り大阪に出るコースがあった。
当時は西洋の船やヨットの様に風に向かって走る事 切り上がる事が難しかった日本の船は
追い風に乗って走る為にアメリカ側に流される太平洋航路は動力船が出来るまで中々発達しなかった。
その点は難破しても流されるのは日本の陸地だった日本海側航路が早くから発達する事になってゆく
北前船が運んだものは古着や酒など様々な物が運ばれたが同時に近江商人や富山の薬売りなど
人も考え方も商法も荷物と同時に運んだ。
なのになのになのだ 太平洋側と日本海側ではあきらかに格差がある なぜそうなったかは今回は少しわかる気がした。
地球を見た場合は都市は北半球に多くそれも偏西風の吹く北緯40度周辺に集中している。
資源は南半球の方が多いと思われるのになのだ。
これは勝手に想像するのだが個の確立の問題ではないのかと思うのだ。
個の集団が地方であり地方の集団が国なってゆくと思うのだが

 
由良港 慶応時代高札の説明文
北前船寄港地は動力船や列車の普及と明治維新の中央集権によってザップンピュ~と黄昏てしまった。

北海道でも莫大な資源を誇った12号線と452号線に囲まれた産炭地は今は見る影もないのだ
それはすべて中央に持っていかれた結果なのだ。
さらに旧産炭地振興と称してビックリするほどの箱物がアチコチに点在するが それを建てたのは中央の大手ゼネコンでその稼ぎはほぼ中央に持っていかれて現在は財政再建団体になって爺婆から集めた銭で借金を返済してる。
これは返せない事が分かっているの貸し付ける 
最後は娘だせ~と 寝ている病人の布団を剥がす悪徳金融の手法で
それに乗っかってシマッタ首長を頂いたか 選んだか個の馴れの果てなのだ。

弱い者を見捨てるのは人として忍びないが手を出すにも財源がいる 
ではその財源は何処から出るか
それは強い者にせいぜい稼で貰うしかない 儲ける事が趣味で銭には頓着ないと言う者も確かに居る。 

自民党と言う強者を守ろうという党があり対極に共産党と言う弱者に寄りそうと言う党があり
そうした両輪が成立った時に初めて国が成立する事になってゆくような気がしてならない

それが現在では偏狭な指導者によって、相手を殲滅する所までやろうとする。民主主義の限界をみる。
やがて江戸時代の様に絶対君主制が始まるのかもしれない 江戸時代も民衆受けしないバカ殿は結構引き摺り降ろされたりしたらしいし
庶民にとってどの時代が良かったのか今更わからんが 

現在は藩の取潰し切腹はないので気を付けていれば良い時代と言えるし
いまは選挙と言う手段がある
それは間違いなく大事なもので大切にしなければない
一党独裁などロクた事がないのは歴史が証明してる。
願わくば右も左も両輪の均衡と尊敬を持つ選挙であって欲しいと思うし
それが日本海側もソコソコに生きて食っていける道と思うのだが

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA