なめたらあかん~♪ VC3000

余部から横にそれて片側は断崖絶壁を軽でないとチョット恐いなと思う道をドンドン登る。
梅か桜かなんかわからんが もはや木に花が咲いている内地の林相は北海道とは全然違い生えてる木では標高を中々判断出来ない 
それだけ北海道は気候が厳しいと言う事だと思う。
九十九折をもう500は登ったかと思うあたりに人家らしきものバス停もあると思ったら
御崎地区分校があってビックリしすぎて写真を撮るのを忘れてしまった。

登り詰めた所に集落があった。なんで生計を立てるのか網などがあるのでどうも漁師だと思うが今いいとして昔は毎日浜にどうやって降りるのか ほんと凄い処にある御崎地区


平家の落武者が住んでるらしい 
今から1100年も前でも源氏も相当しつこくかクドクドと落武者狩りをしたか 滅びゆくものにたいしての哀愁か美学なのか半官贔屓なのか平家伝説は方々にありいまだに語り次がれる。
義経が増毛に来るわけね~べと思うが増毛にも義経が住んだ洞窟がある。


その平家集落にある余部灯台 標高284メーター 日本一高い所にあると書いてある。
あれ~島牧村にある茂津多岬灯台にも日本一と書いてあったぞと思ったが
ま~どっちにせ大したかわらんし困る事もない
ここの凄い処はすぐ傍に集落が有る事が凄いのと登って来るのはこちらの方が危険度は遥かに大きい


ここは矢引和尚の居た処と書いてある 由緒正しい処なのだろう。

まず北海道では考えられない処に人が住んで居る なぜなんだろうといつも考えさせられる。
それと山の常を一つ越えると漠然とだが全然違う感覚になる事が多い
内地の人は500年位前の事でもついこないだの事と思ってる節がある。
あの山の常を超えた所にはロクな者はいないと 競争心と言うか警戒心があるような気がしてならない
よくよく聞くと500年前の戦国時代に山の向こうの奴らに騙された調略にハマったと
あいつらの歩いた後にはぺんぺん草も生えないと言うのは今でも普通に聞く事が出来る。
裏切られたとかご先祖様が討たれたとか言ったりする。
その話は上杉謙信廟や真田村に行った時も当時の事を昨日の事に様に聞いた。
余所者に聴かせる話なのか本心なのかはわからないが 
そう思うとたった70数年前の事で現在も真偽のほどはわからんとしても存命してる人がいる朝鮮半島との問題も聞く耳を持ち 何も出来ないでも聞くしかないのかも知れないが
聞いて呉れないならさらにダダをこねる子供の真理なのかも知れない 
誰であろうが話をしてるなら聞く姿勢と対話の道は閉ざすべきではないと感じた。

これほどこじれた原因は出来不出来はあっても国民に選ばれた相手にたいして
「 取り消しません~ 」
その舐めた態度にあると思うのだが


これ全~部~墓 内地日本海側の田舎には家の傍に墓が兎に角多い それも嘉永とかなんかわからん年代も多く見る事が出来る。
毎日墓参りをしてたら恨み辛みも新鮮かも


家から持って来た酒とスーパーで買った豚肉に一玉50円のうどんを食す 何も身体を動かさないので道中の食事はほとんどこれ 冷蔵庫を駆動させるバッテリーがダメになり買ったのは痛かった。

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