しばらく連日の宴会続きと多忙で自宅に帰っていなかったが
やっぱりどんな狭くても散らかっていても自宅はぐっすり眠れる。
昨夜は呑み疲れであまりにも早く寝てしまい
中途半端な時間に目が覚めてしまい何気に動画を見ていたら発見しました。
イナーシャーでエンジンを始動する動画ありました。
凄いぞ~凄い~まったく凄い
おまけにル、ローンのエンジン始動まで発見、発見、大発見
タカミに見せてやりたい
御幼少の時も入れると修理屋業に半世紀近く携わってきたが 俺はなんぼ偉そうに言っても マザーマシーンも無い時代の大昔に作られたボルト一本さえ作る事が出来ない
江差にある開陽丸のキングストンのレバー一個でさえ作れない
機械を作る人になりたかったのが手先が不器用なので どんな物でも小さな物でも物を作る人達を見ると尊敬と少々卑屈になってしまうのです。
人が作った物に対して それが未完成であろうがどうであろうが
たとえブリキ板一枚でも その時にその背景に、その資金力でその時代に作られたものなので簡単に四の五のと言ってはいけないとつくづく思うのです。
クソ生意気な、なまかじりの口先だけのガキだった頃を思い出すと
冷や汗とともにあ~あ~落ち込むぜ~
先週も忙しく来週もありがたい事に予定がびっしりなので火曜日には休んで何年ぶりに
札幌に行って音楽家の多田泰教さん、お勧めの映画があるので見てみようと
映画は実話を元にした物を主に見るので『最強のふたり』などをチョロッと
飛行機のエンジンはある意味芸術品ですね!!レシプロは凄く綺麗な形をしていると思っているのは私だけでしょうか?さて昔の修理工は頑固なおやじが多いがそれなりに修羅場を経験して来ての事だと最近感じた事をお話し致します。祖母の弟に今年90歳の現役旋盤工がいます。戦時中ゼロ戦のエンジンを作っていたそうです。その話をお盆に会った時に話してくれました、それはそれは凄まじい経験だったそうで、全文を話すと限が無いのでやめときますが壮絶だったそうです。その後に引き揚げの時に陸路九州まで移動したそうです、そして原爆投下数日後の広島を移動した時のその風景と五感に感じる地獄のような景色。言葉が出無かったそうです。一つ一つの言葉や行動に重みが有るのはその時の経験から来る物だと感じた瞬間でした。
今は工場の経営は息子にゆずり、オヤジは50年選手の旋盤だけを専属に今でも名指しで注文が有るので片道8kmを自家用車を運転し現役で居るそんな頑固おやじを尊敬した旧盆だった。
ハイサイさん おはようございます。 レシプロエンジンは二回に一回休むあの爆発音が人間の心臓の鼓動に似てるからという話もあります。 ジェットエンジンは馬力当たりの経費は安いでしょうが、なんか音が煩いだけですからね。
名古屋はゼロ戦や航空機が沢山作られた為に昭和40年ころの名古屋にはそこら中に戦闘機関連の整備兵経験者や工場関係者が沢山いました。
俺が働いた鬼頭修理工場に仕事帰りに寄ってコップ酒を呑んで帰るオヤジ達も居ましたがとにかく恐かった覚えがあります。
今になってやっとその人達のいう事や、やる事が理解できるようになりました。
4年ほど御世話になった熱田区西郊通り7丁目は拡幅で面影は今はまったくありません。
あるのは5軒隣にあった軍医帰りとの話のあった 怪我の度に御世話になった伊藤病院さんくらいです。
そういえばここで初めて自分の手の骨を見た ギョェ~