津軽海峡冬景色かな


三日目の猛吹雪で昼3時頃でも暗い 何度雪掻きしてもすぐ吹き溜る。
宅急便の集荷も配達も来ない 30メーターほど傍にある防災無線も何言ってるか聞こえない
裏が崖 海側は堤防でここは風は当らない場所なので 最初はわからずに出掛けたりして戻れなくなった事も数回ある 吹雪で道の端がわからない事と止まると追突される為にどこまでも走るしかなくなってしまうのだ 
ここに来て25年の間に前が事故を起こしていて止まった処に後ろから追突される事一回
うちの若い者が追突と正面衝突がそれぞれ一回 
こんな日は動かんに越した事はないし誰もこんし 今日こそコイツを食う日だと


薪ストーブに乗っけて焼いて食った。
ほんと臭いのだが年末になると貰うので食ってる。
くさやは元嫁の弟で元義理の弟カツノリと数年前に食ったのが初めてなのだ カツノリは丁度一年前に3年の闘病の末にオッチンでしまった。
どんなに苦しかったかわからんでオッチヌ寸前までメールのやり取りをしていた。
なんで元嫁は状況を知っているのに知らせないのだと何度も頭をよぎって言葉に出しメールをしぶつけそうになる。
 一旦口に出してしまえば相手を苦しめる事になるだけで 言っても詮無い事なのだと思い止まる。
カツノリも口に出したかったろうに 口に出せば楽になったろうと思うが心配を掛けたくないと呑み込み続けたのだ。
最近 相手の言葉の言い尽くせない部分や状況も肌で感じる事が多く時間の流れを切り取る写真も撮る事が少なくなった。

自然ってそんなに静かなものではない暑寒岳で守られてるここでさえも山鳴りと海鳴りが連日凄い 
津軽海峡冬景色状態になっているのだ。
上野発の夜行列車 おりた時から 
青森駅は 雪の中 北へ帰る人の群れは 誰も無口で 
海鳴りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り  こごえそうな鴎見つめ 泣いていました 
 ああ 津軽海峡冬景色

ところでこの歌が作られた時は青函連絡船は廃止になっていなかったのかと思ってしまった。

この本によるとこの歌が作られた11年後の1988年に青函連絡は廃止されている。
しかし阿久 悠にしても星野哲郎にしても演歌の作詞家と言う人達はいったいどんな生活を送ってるのかと思う。
意外とネアカだったりして 
早く吹雪がやんで太陽が見たい

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