魚屋一心助け

や~凄いオヤジがいたもんだ。
平成の一心太助か大分県の何処かわからんが大分市から周防大島までおよそ300キロあるが内地の300キロは北海道の倍時間が掛かる。
自分で燃料代払い自腹でメシ食って助けたい一心で軽バンに乗って魚屋一心助け~か~
函館の山で一週間子供ゆくえ不明を思い出したあの時の子も凄い子だったが
もうかなり前になるが留萌から増毛信砂川まで夏休み中毎朝おはようサイクリングの手伝いをした事がある
その時に学校行く前の小さな子が補助車を取った16インチの自転車で参加するのだが
おいおい何十万回ペダルを漕ぐのょ~ と思ったがその時に子供の体力は凄いと実感した。
魚屋一心助けオヤジは心の中まで子供でわかるのかも知れん

心から助けたいと思う者と給料貰って出掛ける者の違いか
ぼ~と歩いてるんでね~ぞ チコちゃんに怒られるぞ~
( いい年になったのに怒られるのはもう沢山なのと知らんでも大した困らんので最近は見ていないが )
子供行方不明は多くの事を示唆してる。
捜索は縦の指揮下に入る事を強要され それ以外は捜索の邪魔になるからと捜索区域に入る事は許さない
地元の海象や山を知ってる人でもその意見は縦系列のなかで中々取り入れられる事は無い
その中で自分の強固な意志で探し当て その時間は30分足らずと言う。
その事はなぜと多くの意味を持つ さらに発見した子供を引き渡すように言ったらしいが 
画像にも魚屋一心助けの肩に手を掛ける画像があるが それは縦系列の象徴のように見えて仕方ないのだ
魚屋一心助けにしたら手を払い除けたかったと思うのは下衆の勘繰りか~
帰り際に水しか飲まんと言いさっさと帰る。
ボランテァは自分の為にすると言うボランテァの真髄を見る。

自分の居場所が特定出来ない場合は清く正しい表を歩く者にはわからない場所がある事を知るべきと思うのだが
道をそれる事を絶対にさせない清く正しい登山者には道を外れて行った者は探せないのではないか
その点はスノモ乗りは結構無法者が多いが縦横自由でどこにあの岩があり何処は落ちる危険があるかをよく知っている。
海は潮流で流されて一か所に留まる事は無い 時間との勝負で手を出せる者は手を出すべきと思うのだが
沿岸は逆に流れる事は結構あり地元の漁師にはかなわない

救命胴衣の赤は相手に発見される為にある あの赤の手拭いは見つけてくれと頼ってくれと強烈な意志の表れか
もし逢う事があったなら一言聞きたい
「 なに食ったらそんなに元気なのか 」と 

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