ザップンピュ~

2日続きのシケで留萌港の白灯台が波でどこかに行ったらしい直径は3~5メーターほどあった記憶がある。
以前は堤防の基礎で3000トンのケーソンが流されている。

留萌は日本海の中でもチョット特殊な地形でジェットエンジンで言えば壱岐や対馬がベンチュリー部分にあたりそこから大きく広がり最大流速のあるノズルの部分にあたるのが留萌や稚内沿岸になる 
その中でも留萌は積丹半島の返り波が丁度当たる位置にある為に海難事故の多いところで座礁した貨物船がそこらに普通にあった。

増毛は日方岬と暑寒岳の蔭にあり比較的穏やかな海域になっていて その境目は舎熊で今のセーコーマートがある辺りが海象の境目になる。
穏やかな海域の増毛は北前船が来て留萌より早くに栄えた場所で留萌管内では最初に裁判所などもあったそうだ。
それを見ていた現在の留萌港が見える高台に住んで居た五十嵐億太郎翁が負けてなるものかと私財を投じて作ったのが留萌港なのだ。
その結果は五十嵐億太郎翁と家族はスッテンテンになり今の海上保安庁の庁舎裏に末裔が住んで居た。
五十嵐億太郎翁と家族がスッテンテンになる代わりに地理的にも不利な留萌が増毛と立場が逆転する事になってゆく
今でも留萌十字街から大町や明元町に掛けて当時の面影を見る事が出来る処がアチコチにある。
それもすぐ見る事は出来なくなってゆくだろう。
その土地がどんなにマイナス要素があろうが切り開いてゆくのは人でしかない

網走やオホーツク地方は今でも風の強い日は火山灰が飛び先が見えなくなる 火山灰地そこにあれだけの大農作地帯を作って来た先人達がいた。
留萌にも偉大な先人が居た事を忘れてはいけない
留萌郵便局を港に向かって降りてゆくと(車は急すぎて通行禁止)沿岸バス車庫にゆき着くどん詰まりに左には早とちりで廃線してシマッタ増毛線の背の低いガードがある そこの角には今でも水が湧き出ていて水を貯める丸い大きな水槽がある。
その界隈は岡田造船の社宅がありチョット乱暴者の製缶工がたくさん住んでいた。
昔と今どっちが良かったのか今でもわからない 
ただ人々が今ほどセコクなかったような気がしてならない

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