神かまうな仏ほっとけの俺が
土曜日に人生のほとんどを好き放題に暮らしく行く当てが無くなりここ崖下村に5年前に来た
実弟、八の3回忌を井上円了が禁酒論の講演をしたと言うお寺でお経をあげて貰った。
残った姉弟も姉は新興宗教によって分断され仏事の付合いは一切ないので
ほんの数人でお経をあげて貰ったがお経より初めて入った壮言な作りの本堂に見とれてしまった。
増毛にはたいした縁も無かったが老後は増毛で暮らしたいと漠然と思って海沿いの三反五畝ほどの土地を買って置いたのが
バブルと他の要素で大当たりして見る見る地価があがりその後バブルは弾けて
現在は買った値段の七分の一でも終活処分が出来ないでいる
そんな流れ着いた地と冷や飯食いの次男坊なのでお寺を持っていない
これ幸いとお経をあげて貰えれば何処で良かったのが引き受けて呉れたのが当寺だった。
人間誰の世話にもならんと言っても自ら墓に入る即身仏になる根性も無いので最後は一人で歩いて墓には入れない
生前墓を作ると長生きすると言う説とやめとけと言う説があるが俺の場合は実姉が新興宗教で何されるか危ないので生前墓を作って置いた。
田舎の公営墓地の場合は管理費が掛からない処が多いので墓仕舞いをする必要がないのだ
縁者が途絶えて石が倒れようが転がろうが確かに生きて来たと証が残り通り掛かりの者が手向けて呉れるかも知れないと思うのだ。
国道429号線だが40キロほど誰にもすれ違う事はなかった。
志引峠 明治四十三年 母九十二歳とある
縁者ではないが拝んで来たので喜んでいるだろうと思う
下蒲刈 遊女の墓らしい安永や寛政などもある石としてでも生きた証が残る事は
たいした事をしてこなかった自分には最高の贅沢だと思うようになった。
春休みにさいど山陰山陽に挑戦したいと思う。