大は小を兼ねない

機械に関しては大は小を兼ねない 大き過ぎると狭い処に入れないし大きさゆえの自分本体を支える為に強度が必要になり又それに付随した装置も必要になってゆく
除雪機を言えば小さな幅60センチ程度の物でも100キロ位になるがまだ手で左右に向ける事は出来る。
幅がたった15センチ程度大きくなると200キロを超えてしまい手で方向を変える事は難しくなりそれに付随した装置が必要になってゆく さらに死角や取りこぼしが起きる。
小さな除雪機は時間を掛ける事で作業を隅々までやる事が出来るので建設機械と同じで大きい事が必ずしもいい事ではない
同じ車体に過ぎる馬力は故障の原因にもなってゆく
スピード狂が泣いて喜ぶアウトバーンがあるドイツのベンツには
「 シャーシーはエンジンより速く 」と言う言葉がある。
これは事故になった時に乗員を守る車体が優先する事を言っている。
およそ人が乗る物や操縦する物に関しては力だけ馬力だけで押し切るのはダメなのだ。

昨年12月のある大都会の公園で雪の中でカップ麺を食ってるオヤジが居た。
近くのコンビニから買って食ってるのだと思うが湯が冷めるだろうに
どんな事情があるか知らんが結構優秀な営業マンの俺には見知らぬ相手でも一年くらいなら食わしてやる財力もある場所もある知恵もあると思っていたが
だがこの時はなぜか声を掛ける事を躊躇してシマッタ画像には入っていないがすぐ傍に人が居たのだ。
戻った時にはもう居なかったダメだよな修行が足りんと思った。

社会も隅々まで行き渡る為には大きすぎる組織ではダメなのだと思う。
小さい中で地域で時間を掛けて網を掛ける様にして行かなければないのだ
田舎の良さは食うだけなら困らん事なのだ。
コロナで家賃が入らんでも雪国では出てゆかれて空き家になったら人の住まん家は春までに相当壊れるのは目に見えてるのだ。
家賃などコロナが終わったら出世払いで貸した方が得策なのだ。

今から8年前の1月に札幌で姉妹が亡くなった。
もう大都会は大き過ぎるゆえんの限界を超えた。
大は小を兼ねない

帰れ帰れ

伊勢湾台風の4年後に海の潮の満ち引きで流れる事のないゴミがいつも漂っていた大江川のすぐ横海抜0メートル地帯
元塩町4丁目の3畳一間のアパートに秋から住んだ。
中一で食って行くのがやっとだったがたまには学校にも顔を出さんとない
その中でこれは変だぞ おかしいと思い始めたのが雪が降らん事だった。
川の土手にも空襲で出来たと言う大同製鋼の穴にも枯れた草がそのままあるのだ。
雪深い北海道から行った俺は何かがおかしい変だぞと思い始めたが それが何だったのかは当時はわからなかった。

田舎者なので歩く事は苦にならなかったが着た切り雀の俺がだだでさえ排他的に感じる名古屋で買い物が出来る場所は栄や熱田ではなく
一番落ち着く場所は今の新幹線ホームがある駅西駅裏だった。
昭和38年代の駅裏は人の背丈程度のバラックの集まりだったが服が普通に50円程度で売られているなどなにせ物価が安い
そこに生活必需品や食料を買い行くのだが明かに言葉は違っていたが
元々留萌の旧市立東病院のすぐ横の出なので言葉の違いなど身近で見て聞いた俺には大した気にもならなかったが
季節の移ろいが無いのだけは体内時計がある様に体内四季を感じて育った俺にはどうしても違和感は残っていった。
もしその時に体内四季を感じる事が出来ない身体だったら現在の俺は生存していないとハッキリ思う。
何か大きく道を踏み外そうとする時に生まれた地で身体に根付いた体内四季が揺り戻すのだ。
帰れ帰れと


雪国の一本道ですれ違えない場合は
歩きで相手が女だったら雪国の男は雪の中に入り道を譲る
逆をやるとそれはもう男ではない、それまでの奴と値付けされる。
それが普通の事なのだ。
車でも大きい車か四輪駆動車が道を譲る強い者、力のある者が道を譲る。
それがどうだこのコロナになっても額に汗する実体経済を押しのけ金融経済が一人勝ちし強い者が力のある者が弱い者を押しのけていいと
男の侠気五常はどこにいったのだ。
避ける事が出来ない厳しい季節が人を作ってゆく
帰れ帰れと戻ってこいと雪が舞っている。

バッカみたい

7割のテレワーク?
8割と言えば専門家会議に丸々従った様に聞こえるから7割
7割の根拠は
ここにクズな政治家とクソ役人の性根が見える。
もう何も期待をする事はやめて東京の隔壁は閉じて人が出る事は禁止した方がいい
金をばら蒔いた土地だけで後からコロナ復興税の収支を付けろ

や~思い出したある市の住〇江町の地方の役所に申請書を貰いに行ったら書き込む処に親切にマーカーで印を付けて寄こした。
お前はバカと
鉛筆で印を付ければ消して其のまま使えるのに
そいつはバカではなかったのだ役所を お上とも思わん奴に対する底意地の悪さなのだ。
即刻その申請書をそのまんま持って某市の幸町にある国の役所にどうやって書いたらいいか聞きにいったもんね~
自分が一番エライ政治!役所などそんなもんなのだ。
他にも一杯あるがやめておく
や~俺も飽きもせずに文句ばっかり言ってるなと思うが
これってストレスなど一切知らん俺の健康法なのだと思う皆の衆スマン

五畿七道

江戸時代と明治時代との大きな違いのひとつに五畿七道と言う区分けが大きく変わった事だ。
江戸時代の五畿七道は関所によって人の往来も制限されおよその区分けは山々の常によって分けられ文化もまったく違う場合もある。
それが明治新政府によってトンネルを掘る 西風に逆らい上る事が出来る蒸気船によって東京にゆく事を主に考えられて道の再編が行われて東京に行く道は上り
遠ざかる道は下りと言われ現在でも成田空港に降りると東京はすぐ行けるがすぐ隣の茨城に行くには簡単には行く事は出来ない
そうして江戸時代後期にも見られる中央集権化を図った結果が今回のガ~スと二階だか三階だか知らんが中央の役所によって地方にまで広げられた人災に繋がってゆく

震災前の岩手県浄土ヶ浜を船上から見る。

山々の常や川が人々の往来を妨げて文化も変わる
それは今回の様な疫病が出た場合の自然の防波堤となってゆく 後半になっても岩手に感染者は出なかったのは地政学的なものが大きかったのではないかと20年ほど東北の隅々まで回って歩いて思う。
三陸リアス海岸を持つ岩手県は各地に車でゆくのも大変な集落や地域が現在でも沢山あり
その交通の不便さが地域内の持続可能な物流と生活圏を作って来た。
じぇじぇの小袖集落はよほど行く気がなければ通り越してしまい行くにしても急で狭い車一台がやっと通る坂道を降りて行かなければならない そんな処が東山道陸奥の圀 現在の岩手には沢山ある。
良くなる時はゆっくりと悪くなる時は加速されるのは世の常
これからさらに強力な疫病が襲って来るだろう そうなった時には船上火災の様に隔壁の閉鎖が必要になってゆく
ここに住んでやや28年ここ崖下村には船の解体船台もある為にニュースにならないだけで船上火災の船を数度見て来た。
なぜ自分は助かったのか隔壁の閉鎖それは誰の犠牲の上に助かったのかと最後まで自問自答し苦しむ姿も見た。
その人達は町の健康診断にもいかん悪くなっても病院にもいかん ただただお迎えの時期をジッと待っている。
そして意識が朦朧として家族に看取られて壮絶な人生の最後を迎える。
2年間人の裏を見た修羅場を一緒に過ごし泣いて笑った。ある船の機関長Kさんは医療を拒否して焼酎を呑んでゆっくりと旅立った。
外を歩く時は糊の効いたシャツをパリッと着て地面を蹴る様にして洋式歩行で歩く姿は忘れる事は出来ない

呑み屋が未来の子供達にツケを回しても休業補償が欲しい足りない
なにを甘い事をと思わずにいられない
もう現在の都市の限界は来たのだ地方だけは残せ 往生際が悪いぞサッサと隔壁は閉じろ
と田舎に住んでいたら思うと同時に五畿七道を思う。

ひとり正月に思う。

暮れはせめて道南に行こうと思っていたが猛吹雪で留萌にすら行けなかったので
何処にも行かずに籠ったのでやる事がない
それならと一日も休まずに仕事をしまくった結果は、結構稼いだが
妹と親の仏壇を見ていたら母親にはボロイ小さな家は買ってやったが お年玉を一度もやった事が無かった事に気付いた。
なんてこった使ってこその銭と言う信念が新、年、早々ガラガラと崩れるではないか
いま現存生存して貧乏真っ最中の姉に母親代わりに人生初めてお年玉をやった。
さすが俺の姉で「 お~よ~よ~りょうじ~ 」と電話の向こうで小芝居を打ちやがる。
まったくロクでもない父親を持ったばかりに苦労ばかりだった母親と姉だったが
この男社会では女は可哀想だなと思う。
暮れのスーパーに行くと500円にもみたない僅かばかりの総菜をジッと見詰めて買わない年配の女の人を見ると男は何処にいったのよと思う。
俺は男尊女卑の見本のような男で男は女子供を食わす為に生存してると思っている。
成人した野郎は乞食しようがベンチで寝ようがすべての責任はそいつにあるのだ。


なにがあったのか新橋カプセルホテルから下を見る生きて生き抜いてこその男なのだ。

留萌港は下北半島風間村下風呂で生まれた五十嵐億太郎が中心になって私財を投げうった民間によって初めて作られた港で現在もあちこちに痕跡を見る事が出来る。
現在の大町に湊神社がある場所が五十嵐億太郎の私邸があった場所になり大町や本町の路地や建物に当時の面影を現在も見る事が出来る。
五十嵐家のその後を知っている人によれば慎ましい生活だったと言う。
もう時効なのでいいだろうが何を隠そうそれを聞いたのはすぐ隣住んで居た
その当時の小野小町か大町小町かと言われた美貌の持ち主から聞いたのだが
そしてその大町小町は逃げられた元嫁さんなのだ。
原石をさらに磨いたのは俺なのだがスミマセンでした懺悔

我らが貧乏人が住む原野二線のいつも川が氾濫する低湿地帯とは違い
海岸隆起によって出来た小高い大町や本町は事業家の住居や商家が多く点在していたが商売人の生活はやはり贅沢をせずに質素な生活が多かった。
昔の商売人(あきんど)の私生活は有事や災害に備えて大概は質素と言うのが本当の処なのだ。
コロナ、コロナと言ったって弾が飛んで来る訳でもない空からクラスター爆弾が降って来る訳でもない
従業員が従業員ガースと従業員を人質に取って銭寄こせと物言いする商売人も
我が事しか考えん背中のショボい政治家も腹括って私財は諦めろと言いたい

何処にもいけんで一人正月をした負け惜しみで失うものが無いのも一つの財産だと思うぜまったく

温故知新

ここ崖下村にはとても興味深い人が数人いる。
一人は法律制定前から漁業に従事していた為に特例で貰った船舶免許以外なに一つ免許も携帯も持っていない
厳しい自然界を相手に生と死の狭間の海に出て魚を獲って来る事を生業として2キロ四方から出る事もなく言動もなんの衒いもなく其のままに発言し行動をする。
その人を見てると時代を何処まで遡ったらこのタイプの人達が多数を占めていた時代に戻るだろと思う。
平成か昭和か昭和は戦前と戦後を分けて考え同じ昭和と言う考え方にはならないだろうと思う。
長く封鎖され陸の孤島と言われた処から来た思うままに生きるその人はどう考えても平成ではない昭和だろう それも戦前の昭和の地方の田舎ではないのかと思う。
もっとも俺は生存していないので希望的観点も入ってるが
昭和初期の地方の田舎とは分業制がまったく見知らぬ人や想像も付かない人達によって行われず、ある程度想像が付く時代だった。
その証拠に機械物に関しては各地に製造メーカーがあり、
それは地方の鍛冶屋が材料や原料を生かして行われて来た。
エンジンでさえ地方には地方のメーカーがあったほどで砂で型を作られて溶かした鉄を鋳型に流し込んで作られた。


近江長浜ヤンマーミュージアム ダイムラージーゼルエンジン
石油発動機ではクボタは尼崎が発祥で内燃機械でさえチョット頑張ればそこらの田舎でさえ作る事が出来た時代があったのだ。

2021年はもう一度地方のあり方が見直され土と水のある処に帰る元年になるだろう。
地方は使える物は使い倒し買替年数を伸ばし地方から出てゆく銭を少なくし区域内で循環をさせる事が重要になってゆくだろう。
三方よしの近江商人は全国各地で慎ましい日々を過ごしながら行商をして戻り
近江の国に入った途端に列車から身を乗り出して弁当やお茶を買ったと言う。
それは地元に落ちる銭なのだと言う。
時代は急ぎ過ぎたのだ今一度自分の足で歩いて行ける処の再確認が必要になったのだ。

立ち話、雑談の薦め上越高田雁木通り 下手な町内会館より雁木

嫁に逃げられメシに洗濯の俺が言うのもなんだがこれからは足元を見つめ直した者が幸せを掴む

新年ことわざ三連発

ここ崖下村で正月を過ごすのは何年ぶりになるだろう少なくとも十年以上前になる。
スノーモービルで冬山にもいかん車中泊にもいかんでのんびり暖かい部屋にいるとなんか野生が失わる様な気がしてならないのだ。
年末は酷い猛吹雪で舎熊で留萌に〆のラーメン食いに行くのを諦めセイコーマートで引き返したが吹雪で引き返すなどこれも初めての事だったが
一度決めたら何が何でも食うぞと夕方の夕凪を待って再挑戦してラーメン食って来た。

夜明けと共にしめ飾りを飾るのだがこの二つを何年間もとってあり替わりばんこに使っている。
右は2020年に使用し仕事は忙しくそこそこに稼いだので引き続きとも思ったが2021年は神様にも少し休んでもらい左側のしめ縄を飾った。
しめ縄も昨今はホームセンターで売ってる様になったら有難みもかなり減るので別に使える内は神様も働いて貰おう。

2020年はコロナで開けてコロナで終わったが
こんな大変な時こそ男は見栄張ってやせ我慢して生きて見ようと思うのだが
いつの頃からか男の背中がしょぼくなり見栄も張らんくなって思うままに欲望のまま生きてる。
代議士の部屋で貰ってはいけない金を貰ったり
大した困らんのに持続可資金を受け取ったりとやったらいかんべ
そんな訳で2021年はやせ我慢の年にしようと思う。
俺が考えるいい女とは男のやせ我慢を認め立て上手く稼がせるのがいい女だと思うのだが
武士は食わねど高楊枝なのだ
もっとも江戸時代には武士は人口の一割程度で殆どが農民だったので武士武士と言っても本当の武士かどうかあんまり当てにはならんが
2021年の男は渇しても盗泉の水を飲まずだょ~

コロナで北海道に賭場は出来なくなるだろうそれは悪い話の中でもいい事だと思う。
禍福は糾える縄の如しか

土と水

今年は本当に忙しかった。
車を二台を一台にしたせいもあるが車も18ケ月で39000キロ走った。
半分は遊びで半分は仕事だとは思うが今年は兎に角忙しかった。

毎年呉れになると一年を振り返り
ああも言ってやればよかった、あれは言い過ぎた余計な事をしたのではないかと殆どが反省で一年を振り返ると逃げ出したくなりグッタリ疲れ立っているのもやっと言う状態になる。
今年は特に忘れる事は出来ないだろうと思う出来事がいくつかあり今も気持ちに尾を引いている。
中でも若い子の事は本当になんと言っていいのか
土台が出来てしまった年配者は性格はそうそうかわらんが若い子はチョットした躓きがその後の人生を大きく変えてしまう。
俺には勝手に決めた線引きがあり
27歳を過ぎてフラフラしてる奴はその後も大たいそんな人生になると思っているので27歳までは社会が地域が食わして育てていかんとないと思っている。

今年はコロナで始まりコロナで終わりそうだが それがどうだ聞こえて来る政策は欲かいた大人にたいしての政策ばかりで若い子達に対する政策は見えてこない
見えて来ないと言う事は頼る窓口を公開していないに等しい
一方自営業はこれからは誰にも指図は受けない自分の力を試すのだと一本独鈷になったのだ。
苦しくなりました税金で助けて下さい税金を貰えないなら赤字でも営業しますなどと、どの口が言うのかと思う。
それはやがてこれからの若い子世代に国の借金として重くのし掛かって来るのだ。
これから国を背負って生き年寄りを食わして行かねばならない若い子達を育てる事に充分とは言えない時代に今回の政策で無駄に使った税金の為にさらに行き届かなくなる事は目に見えてる。
クソ爺の代議士もパッと仕事せん役人もサッサと辞めてしまえ。

アチコチから税金を使いませんか貰いませんかと言って来るが
それは要らない奴には言って来るが本当に困った奴には言う事は無いのだ。
さらに真面目に返す事を考えた奴は借りんが返す事を考えていない奴はすぐ飛び付く
それは俺の身の回りでも起きている。

今こそ高校までの教育費や給食費などはタダにすべきで こいつは困っていそうだと思ったら夕飯を持たせてやるか弁当屋のタダ券を持たす位の事をしてもいいと思う。
GOTOトラブルは遊びに行く金の持った奴や自営業者をさらに助けてやる政策で本当に困ってる子供や若い子や困ってる連中を助ける事にはなっていないのではないかと思う。
俺は思うのだが
政府も代議士も地方の行政も金にならん雪駄履いた貧乏人や困ってる連中は大嫌いで見るのも嫌なのだと思う。
メディアも取材をする時に最初に絵図を作りそれに沿った絵を流す その絵には一切責任は持たないだからクソゴミメディアと言われるのだ。

ほんと普段は饒舌な俺でも若い子の話は只々聞いて
何も言ってやれない 何もしてやれない 只々また来いとしか言ってやれないのだ。
後になって、ああも言ってやればよかったこうも言ってやればよかったと

暮れになったら帰る汽車賃もなく駅の雑踏に北に行く汽車を見に行くしか出来なかった俺には逞しく生きていって欲しいと願うことしか出来ないのだ。
ただ12回住民票を変え各地を転々とした俺の経験上は土と水のある処は金は無くとも生きて行く事は出来る。
どうにもならなん時はにわか山頭火か山下清になって土と水のある処を目指せ
神奈川から歩いてここ迄来た経験者に聞いたのは腹減って物乞いに行ったら
大きな寺は門前払いらしいが小さなお寺は供物を食わして呉れるらしい
命は大事にせ

グズグズと

正月休みは天気は悪いと言うしどうするべ~
それ以上に北海道から内地に行く事も問題だし やはり我慢しかないのかと思うが
大人しくして図書館巡りか博物館巡りでもするかと言っても何処もやっていない
俺は思うのだが今年の公営の施設はコロナはもっけの幸いとばかりに有給で休んでいる様に感じるのだが

以前は一日でラーメンは3~5杯は食べれたが今は2杯が限度なので食い歩きも出来ないし酒もせいぜい5合が限度なのだ。
ネットサーフィンもユーチューブも飽きたしネットのやり過ぎはなんか元々バカなのに更にバカになりそうなのだ。
ただでさえ少量の脳味噌でネットを見過ぎると結果の急ぎ過ぎと思考停止になり人生道中を楽しむ事が出来ないせっかちになるような気がするのだ。
やはり自分の目で見て肌で感じる空気はいい

今度は下北半島から国道4号線奥州街道を南下して大崎に行きそこから尾花沢、新庄、横手大仙と341を北上して点と点を繋いで北海道にはない奥州の歴史と侘び寂びの空気を感じて見たいのだ。
PCR検査をして陰性だったら行ってもいいのかとも思うのだが
新説発見の旅はダメか~グズグズと

「ソーラン節」は北海道の黄昏た西海岸側のニシン漁の唄で有名だが
「 ヤーレン ソーランソーラン ヤレン ソーランソーラン ハイハイ
男度胸は五尺のからだぁドンと乗り出せぇ波の上チョイ 」

ここ増毛や留萌にも沢山のニシン番屋があった
壁には墨で落書きがよくあり
「 岩手に帰りたい 」と書いてあった。
その短い落書きはニシン漁の辛さと望郷の思いがあった。
ソーラン節はニシン場の親方がヤン衆達に怒鳴っている唄なのかも知れん
「 早くヤレ、そらヤレ そ~ら、そ~やれ 」と ヤン衆はハイハイわかりましたょ
と本当は男度胸心意気とは違い辛い労働歌だったのかも
いま自分の目で見て手で触り肌で感じる空気の大切さをヒシヒシと思うのだ。

嘘つきは泥棒の始まり

クリスマスイブは世界の子供達に最悪のプレゼントが出来た。
100回嘘つき続けても日本の総理大臣にはなれるからと
この皆が苦しんでいる時にどうやったら真っ当に働いている人間は罰せられる事がない
このクズを気持ちの中に落とし込んで この大変な時に身を削って稼ぐ事が出来るのか
わかる人がいるなら教えて欲しい

同じく24日の朝ドラで千代ちゃんを救う為に仲間のお茶子が年玉袋に入れた。
何処かにしまって置いたコツコツと貯めた銭を千代ちゃんの為に使って欲しいと出す場面だが
金庫もない住込み部屋で銭が無くならない
あれは凄い場面で
俺が最後の飯場生活をしたのは琵琶湖の国鉄湖西線作りだったが
当時は同じ部屋に10~20人程度が暮らしていて労賃も飯場事務所で貰った。
銀行もない郵便局もない山奥で貰った労賃は柳行李に入れて
二交代や三交代で柳行李に銭を入れたまま現場に出るのだが それが無くなったり盗まれる事もなかった。
どんなに酒癖が悪かろうがすぐ手が出る奴がおろうが背中にモンモンが入っておろうが
そこには年端もいかん お茶子でさえ守れる。
李下に冠を正さずなど色々なごく普通の常識があったが
嘘つく奴は基本何事も信じる事が出来ない
嘘つきは泥棒の始まりなのだ。
そんな奴は飯場でさえいる事は出来ない
飯場はその時その時の技能職の集まりなので工事が終われば散り
また何処かで工事が始まれば集まるを繰り返す意外と狭い世界で

竜飛青函トンネル 殉職者 34名

病気は治っても癖は直らない
一度でも性根を見られた奴はクセと言うか癖(ヘキ)は直る事はないとその世界では生きてゆくのは難しい
ま~このクズ野郎には夫婦共に泥棒稼業に落ちて欲しいと切に思う。
それでなければ世の中は真面目な奴が損をする。
絶対にそうであってはいけない