ナンノコッチャ年明けから仕事をして稼いでシマッタ
古い町並みを見て歩くのが好きでそれもいわゆる観光地は殆ど行く事はない
郡上八幡
町並みを見てつくづく思うのは現代の商店街がシャッターを付けた事で世相が変わってしまったのではないか言う事で
時間から時間まで稼ぎました後は自分の時間で一切ダメと言うなら勤め人をするべきで その程度の覚悟では商いをやってはいけない
商いは来て呉れた人と一緒に楽しむ道も沢山あるのだ。
この引き戸の商店が営業が終わった事を知らせるのはサラシのカーテン一枚なのだ。
俺がガキだった頃に空き瓶をぶら下げて留萌駅前の酒屋にたった1合の酒を買いによくいった。
買いに行くのが遅い時はカーテンが掛かった戸をドンドンと叩いて引き戸を開けて売って貰った。
売る方も夜中だろうが戸を開けてくれる。
昭和は戦争を経験した人達が商いをして平和に対する思いや覚悟が
いまの世代とはまったく違いその思いが地域を守って来て
小商いの商人も簡単に破る事が出来る閉じまいで誰が来るかわからんでも戸を開ける、その覚悟と
商いに対しての覚悟が違ったのではないかと思うのだが
現在の成長戦略とやら言うが商いを戦いにしてはいけない
バイクで転んでも頭を打たない程度の格闘技は少しだけやったが強い者だけが残るならそれはもう人間社会ではない
商いは地域に必要とされ地域と共に育ってゆくのが理想なのだ。
見ず知らずの他人を標的する犯罪が増えた事は何かがおかしい
地域の安全を考える時にこれからは小商い店は三階建とシャッターやドアを禁止したら
世の中は変わるかも知れんと思うのだが
防犯が悪くなった為のシャッターか
銭以外は一切シャッターアウトのシャッターが治安を悪くしたのか
俺の処は壊れた電動シャッターを外し引き戸にしたが明るくなってよかったが
戸三枚分の さ~サラシを買う銭がない~
正月は鳴物で サラシに巻いた~
嫁さんに逃げられた俺が言う
昭和の恋さんは待っては呉れるが平成や令和の恋さんは待ってはいない
待ったのは小室佳子さんくらい