昔若い十代の子を預かった事があって少々凶暴で自傷行為が激しかった。
その子の生立ちと態度に自分の若い頃を見てしまった。
それから平岸の心療内科がいいと聞けば連れて行き旭川市立がいいと聞けば連れて行き曙がいいと聞けば連れて行きと一年ほどやった。
その時の俺の認識では心療内科は精神科の一歩手前の科と言う認識だった。
やがて自傷行為は無くなったがその後も次々と問題も起き
なんどアンカーを抱かせて海にと思った事やら
カンが異常にいい奴で俺がムカついてる時は船には中々一緒に乗らん奴だった。
大阪の心療内科の問題は建物が消防法適合とか合法とか言う問題ではなくガソリンに火を付ける奴がいると言う問題なのだ。
ガソリン販売を厳しくしてみても自分の車か除雪機から抜けばいいので防ぐ事は出来ない
これが列車内やホームセンターなども防ぎようがないのだ。
自分はこんなに一生懸命やってるのに他の者に対比させて今の状態はどうなんだと言う怒り
その気持ちが熟成され社会に向いた結果が見ず知らずの一般を巻き込み電車を襲ったりする。
解決する為の方法は沢山ある。
落ちこぼれた者にとって再起を夢見る事が出来ない状況や社会の不公平感が絶望にと追いやる。
その怒りを持った者をそれを個人の努力の問題と片付けるのは簡単だが、
さらに弱い見ず知らずの者に向かう事は性善説にたった人間社会では防ぎようがないのだ。
防ぐ手立ては準備段階で思い留まって貰うしかない
それには脳裏に少しでもいい思い出が必要で
その思い出を与えてやる事が出来るかどうかに掛かっている様な気がしてならない
それは地域であり職場であり趣味の仲間なのかも知れない
隣町が小平だがある日止められた。
たまたま車検書が積んで無かったが警察官は「 あ~たまたまだね 」と
今度来る時あったら車検書を見せて下さいと言われ放免になった。
スピード狂いの俺でもそれ以後小平市街地は徹底してスピードは出す事はない
狂った奴でも脳にほんの少しのいい思い出を残せるかどうかに掛かっている様な気がしてならないのだ。
ほんの少しの小さないい思い出を少しづつ無理なく積み重ねていく
それは行政の問題ではなく地域に住む者がお互いに手を取り合っていくしかないのだ。
どう見てもヤサぐれてる奴には元ヤサぐれてるオヤジが頭の良さそうな奴には元頭の良かった奴と得手不得手はあるが
無理せずま~ま~こんなものかと言う程度で持続させて行く事が大事な様な気がしてならない
阻害からは何も生まないでさらに危険を招く
不公平感を持つ時にそれが納得のいくものでなければならない
アイツは頭がいいから仕方ね~やとか親が金持ちだから仕方ね~やと
そう思う時になんだアイツはと一番に思うのは政治家の姿勢が大きい
たった一日で100万だとか皆が困っているのに銀座三兄弟とかま~恥ずかしくもなく続きそれは怒りの対象になっていく
清貧であって欲しいがせめて皆の稼ぎのピンハネで食っている事は頭に置いて行動して欲しいと思うのだが
日々どうでもいい様な事 雑談が地域を相手を救うかも知れん
そんな訳で年明けは欲の塊となって皆で白やら黒のマスクして宝引きだ~