ヂャイアントコニーと花嫁行列

朝に矢作アパート前に着いたコニーからホッカイドーと出身地で呼ばれ
車に乗り込む
お坊さんが使う経本のようなパタパタと開く六曜開運暦 を出し
知った被りのアニーは鼻の穴をひろげて今日は嫁入りに最高の母倉日ナンチャラ言う日だからと他にも車に乗れるだけ乗せて出発する。

名古屋には当時から喫茶店はそこら中にあり
零細の枝葉末端の町工場は事務机を置く場所があるなら旋盤や出来上がった製品の一台も置いた方がいいと言い帳面や接客などは喫茶店でやっていた。
当時から朝はパン一切れか卵が付いていて
回数券があり10枚買うと1枚余分に付いて来たがとても自分では買える物ではなかったが可愛がって貰い連れていかれた。
そこには町工場の大将など様々な人が集まり何処そこの娘は嫁入りするなどや中京競馬や競輪のノミ屋などや日雇いの情報交換の場となっていた。


港区浜
嫁入りは二階から菓子の袋をばら撒いたり嫁入り家具の見本市状態になり娘が三人居たら身上を潰すと当時から言われていた。

事前に喫茶店で得た情報を元に路地に名古屋名物の嫁入り行列が居る時間帯を見計らって360が一台やっと通れる細い路地をコニーで無理くり侵入すると
もうすれ違う事は出来ない どちらかがバックするしかないが
嫁入り行列は決してバック後戻りは出来ないのである。
かくして嫁入り行列の世話人はバタバタのアニーにご祝儀を渡しバックして貰うのだ。
その時に一台に大勢乗ってるとご祝儀も多くなると言う三段で青ッ鼻たらしていようが人数さえ多ければいいのだ。
ご祝儀を目当てに次から次と路地に入って来る車があると戻すのは
先頭の車がご祝儀を束で受け取り後の連中を表の道路まで戻すのだが
中に貫録負けをするとアニーでは無理があり時には大貫禄のロクデナシの狂ったオジサンに仕切られてトンビに油揚げ状態なったりとチョットした華を付ける賑わいが起きて来る。

鼻タレ坊主はせいぜい何十円程度のお小遣いが渡されるだけだったが
それでも廉売マーケットの製麺屋で作る
ただ汁を掛けただけの支那ソバが食えた。
北海道のラーメンが食いたい、帰りたい、と思っても帰っても食い扶持が増える事は守る事が出来なかった妹はすでに亡くなっていたが弟達のメシが減る事は目に見えていた。

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